今年はコロナ明けで、佃祭と深川八幡祭が盛大に行われた。
なんといっても祭が一番盛り上がるのは、「神輿の渡御」である。
それが終るとまだ祭は続いているのに、「もう終り」という雰囲気が出てしまう。

私は8月15日の深川八幡祭の最終日に、門前仲町に行ってみた。
もう町は普段に戻り、道路には祭の「残り火」のようなものが目に付くようになっていた。


深川八幡祭の水掛隊が乗った舞台



かなり前のことだが、NY世界博で友人が言っていたことを思い出した。
『人生は祭のようなものだ。その時は夢中で楽しみ、祭が終るとまた次の祭りに向かって行く』。我々はまだ22歳と若かったのに、『ずいぶんと年寄りみたいなことを言うなー』と思った。

でもこの年になり思うが、人生に祭があったのと無かったのでは張り合いがずいぶんと違う。 「人それぞれ」の祭りで構わないが、人生に祭は必要のように思う。


「御神輿渡御」の幟が侘しい



門仲商店街はお盆休みの期間中なので、ガランとしてあまり人が出ていない。
13日の各町連合神輿の渡御の時は、あの広い永代通りが神輿と関係者で埋め尽くされていたのに、これが同じ町とは思えなかった。「深川八幡祭」は神事であって、神輿渡御はその中の1つであることを思い起こさせる。

この日は「深川八幡祭」の最終日で、富岡八幡宮では最後の神事が行われるはずだ。
富岡八幡宮に行ったら、僅かな関係者が来ているだけだった。
参道の両側の屋台も片付けられたり、これからという店が最後の営業をしていたが、お客はいない。


 「かき氷屋」は営業中



神輿の渡御が終ってしまうと、なんだか「宴のあと」みたいに感じるのは私だけだろうか? まだ祭の片付けも中途半端で、道路に幟は立っているし、水掛隊の舞台も解体していない。

商店は通常営業に戻っているが、店の入口の上には「祭提灯」が吊り下げられたままだ。この日まで「深川祭」なので、自分の店だけ勝手に外すことも出来ない。
神輿の渡御を祭のフィナーレに例えれば、その後は観客は帰ってしまい侘しさだけが残る。


 「富岡八幡宮」の本殿



本殿の方に人が集まっているのが見えたので、行ってみた。
近付いて行くと本殿の中に祭の関係者が集合し、神主が「お祓い」をしているのが見えた。多分だが、祭が無事に終了したことを神様に報告しているのだろう。

神輿を担いだような人達はいない。彼らはきっと二日酔いと体中の筋肉痛で、家で寝た切りだろう。「宴のあと」とは、そんなものだ。
でも、後になれば良い思い出になる。


「例祭祭典」の準備が忙しい巫女さんたち。



今回のタイトルに「宴のあと」と何気なく書いたが、その後になって思い出したことがあった。同じ題名の三島由紀夫の長編小説「宴のあと」が、日本最初のプライバシー事件だったことだ。

その内容は政治家と料亭の女将の恋愛を描いたもので、1961年にモデルとされた有田八郎が裁判に訴えたのである。裁判の結果は三島由紀夫の敗訴で、日本は意外に古くから「プライバシー」は確保されている。

そんなつもりで「宴のあと」というタイトルにしたわけではなく、「祭が終ると、宴のあとのようだ」と感じたからであった。


テントの前で「片付け?」を話し合う旦那衆



家に帰る時は「危険なほどの暑さ」だったので、「ミスター・ドーナツ」の店に入りしばらく涼んだ。そして店を出て地下鉄「大江戸線」に乗って、「勝どき駅」で降りた。
改札口へ向かう途中で、なにかいつもと違うような気がした。

そして「ハッ」と気が付いた。帽子をミスター・ドーナツに置き忘れてしまったのである。バカな自分に腹が立ったが、また階段を降りてホームに出て地下鉄に乗った。
たった2駅だから助かったが、店に行くと私の座った席に、そのまま帽子が置いてあった。また最後に失敗をしてしまった。


 祭の時の「踊り」などのイベント舞台



(おまけの話)
本殿の横に、祭の「寄付金」を書いた掲示板があった。
これを「花掛け」とお洒落な言い方をするようだが、金額を見て面白かった。
多くは当り前のように「金壱萬円」などと書かれている。

中には「八百八拾八円」と縁起を担いだものや、「九百壱拾壱円」などのようなクイズのような金額もある。
この数字を良く考えてみたら、寄付した人が救急救命士だったので気が付いた。
これは「緊急通報用」の電話番号だったのである。


 寄付金を書いた「花掛け」



午前11時に深川祭の神事の最後となる「例祭祭典」が、本殿で行なわた。
本殿の中には大勢の関係者が揃っていたが、その中に背中に「八」と書かれた法被の一団がいた。帰りに日本一の神輿の傍にいた、祭の関係者に聞いてみた。
私 『背中に「八」と書かれた人達はなんでしょうか?』
男 『八・・会のお偉方だよ』

それ以上は聞き難かったので、家に帰ってからネットで調べてみた。
すると富岡八幡宮の神使は「鳩」だそうで、あの団体は各町の祭りを仕切る代表の集りの「八鳩会」の人達だと分った。背中の「八」は「鳩」が向かい合っている図柄で「末広がり」だった。


背中の「八」の字の法被



手水舎の前を通ったら、男に呼び止められた。
なにかと思ったら、パンフレットを渡されて「署名」を頼まれた。
パンフレットを見たら祭とは関係無く、「江戸城木造天守を再建しましょう」とあったので署名をした。

私は皇居東御苑に良く行くが、そこに「天守閣跡」がある。
以前より「天守閣があればなー」と思っていたので、この運動には大賛成だった。
江戸城の天守閣は1657年の明暦の大火で焼失し、その後は二度と再建されることはなく現在に至っている。


「江戸城木造天守を再建」パンフレット


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

アクセス総数:1,395,982

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

コメントを書く
お名前 必須

名前を入力してください。

メールアドレス
(表示されません)

正しいメールアドレスを入力してください。

コメント必須

コメントを入力してください。

コメントに不適切な言葉が含まれています

パスワード必須

パスワードを入力してください。

パスワードは半角小文字英数字で入力してください。

Cookie

心の伊達市民 第一号からの関連記事

伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

アクセス総数:1,395,982

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

心の伊達市民 第一号のよく読まれている記事(直近期間)

心の伊達市民 第一号のカテゴリー

心の伊達市民 第一号のハッシュタグ

心の伊達市民 第一号のアーカイブ