
心の伊達市民 第一号
いつも同じ場所の彼岸花を見に行くのもマンネリとなった。
都内で彼岸花が見られる場所は限られている。
そこで色々と探した結果、水元公園が良さそうだと知った。
しかしこの公園は葛飾区の外れにあり、埼玉県三郷市に接している。
今までにも何回か来ているが、都バスを利用すると、本所吾妻橋と金町駅で2度乗り舞える。シルバーパスで無料で行けるが、それでも都バスは結構、疲れる。
今までにこの公園に行った目的は、「花菖蒲園」、「メタセコイアの森」、「オニバス池」、「アサザ池」などの撮影であった。今回は初めて、「彼岸花」の撮影に行った。
公園のホームページでチェックしたら、9月22日時点で「猛暑で例年より咲き始めが遅くなっていますが、少しずつ開花しています。丘全体が綺麗に染まるのは、もう少し先になりそうです」とあった。
9月26日に水元公園の管理事務所に電話して、彼岸花の様子を聞いてみた。
その結果は「非常に良いと思います」との回答だったので、翌日に出掛けて行った。
10時07分に家の前から都バスに乗って、水元公園で降りた時は12時だった。
バス停から公園入口までの間は水郷となっていて、そこでは釣りが楽しめる。
大勢の高齢者が釣りをしていたが、ビクを覗いてみたが誰も釣れていなかった。
魚を釣るのが目的ではなく、ここで時間をつぶすのが目的ではないかと感じた。
公園入口から中に入ると、目の前に睡蓮の池が広がっている。
右手に少し歩くと、遠くに「彼岸花の丘」が見えたが、赤い絨毯を敷いたように見えた。近付くと、なだらかな丘の下から上へ彼岸花が植えられていて、素晴らしい光景だった。
数人のカメラマンが来ていたが、思ったより見に来ている人が少ない。
ミニ三脚を使い、自撮り写真も撮ってみた。
ロープが張ってあり中には入れないが、その方が写真を撮る者には都合が良い。
群生する彼岸花を坂の下から撮り、横から撮り、上からも撮った。
彼岸花は真っ赤なので、写真にするとぼやけてしまう。
なかなか納得の写真が撮れない。近くのオヤジが接写で、彼岸花を下から撮っていた。
どんな写真になるかと思い、私も試してみたがあまり面白くなかった。
少し離れた場所には、真っ白の彼岸花が植えてあった。
数は少ないが、その後ろに赤い花もあるので、その対比が美しい。
彼岸花の写真を撮り終えたので、公園内を散策することにした。
この日の気温は30度を越えていたので、直射日光を避けてなるべく日影を歩く。
1キロ以上先に「メタセコイア」の林があり、以前に紅葉の時に来たことを思い出した。そこへ行ってみたが、まだ全く紅葉は始まっていなかった。
この公園は水郷となっているので、水に囲まれていて水鳥も多い。
公園の外れにカワセミが見られる、「カワセミの里」があるので行ってみた。
そこには2ヵ所のカワセミを見る観察用の木製の施設が用意されている。
ホームページでは「天候や気温にあまり左右されずにカワセミを観察することが出来るので、水元公園でも特におすすめのカワセミ観察スポットです」とあるが、今回で3回目だが、今回もまたカワセミは見られなかった。 疲れ果てて家に戻り、夕食後にすぐにベッドに入ったら、夜中の2時に目が覚めてしまった。
(おまけの話)
9月になっても続いた暑さで、植物の様子が変である。
日比谷公園のギンナンは例年より1ヶ月も早く、実が落ちている。
まだ銀杏の葉が緑色だというのに! また彼岸花の様子も変だ。
「今年の紅葉はあまり綺麗にならない」という報道もあり、私は友人と奥志賀高原に撮影旅行に行くことになっているのに心配である。
【浜離宮恩賜庭園】
ブログを読み返してみたら、彼岸花の撮影に行っているものがあった。
2017年、2022年、2017年と3回が見付かったが、浜離宮に撮影に行ったのは どの年も9月21日と22日だった。やはり彼岸花は「お彼岸」に咲く花であった。
今年の私は9月21日に、浜離宮恩賜庭園に彼岸花の様子を見に行った。
ところが例年の場所には花が咲いていない。わずかな数の彼岸花が細い茎を伸ばしていた。こんな細い茎では、大きな花は咲かない。残念だが、今年はダメなようだ。
【日比谷公園】
浜離宮の彼岸花の様子を見た足で、日比谷公園にも行ってみた。
日比谷公園の彼岸花は、祝田門近くの三笠山に咲く。
三笠山といっても、標高は僅か9メートルである。
その中腹に例年なら、彼岸花が群生している。
ところが今年はここでも異変が起きていた。
浜離宮と同じ状況で、少ない数の細い茎が伸びていただけである。
その中にたった2本だけ、元気のない彼岸花が咲いていた。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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Shinji