
心の伊達市民 第一号
ずいぶんと久し振りに、新宿東口を歩いた。
新宿へ行っても映画を見て帰るだけなので、東口はあまり行かない。
地下道から東口の地上へ出たら、思ったほど人がいなかった。
以前はここで待ち合わせの人達で、溢れていたのだが・・・。
それもコロナ禍だけではないと思うが、人の流れの状況が変わってしまったようだ。
東口広場で周りを眺めたが、西口のビル群がいやに目立っていた。
広場から目の前のビルを見たら、猫がいた。
これは2021年7月のブログで「新宿に巨大な猫出現」というブログを書いた、あの時の街頭ビジョンの猫である。以前と放映方法が違い、コマーシャルの間に短く猫が登場する。
以前は三毛猫だけだったが、今回は白い可愛い猫も登場する。
猫好きの私はコマーシャルが終り、猫が出るのをいつまでも待っていた。
猫を切り上げて、伊勢丹デパート方面に進む。
右側にある「フルーツパーラー高野」、左側の「ABCマート」、更に進んで信号を渡ると右側に「三省堂」と続く。道路の反対側には「眼鏡市場」があるが、この場所は
私には思い出深い場所だ。私が学生の頃はここは確か「早川」という焼売屋で、2階に雀荘があった。
私はここへ入り浸って、マージャンをしていた。ここで鍛えられたお陰で、社会人になってからは、麻雀ではかなりお小遣いを稼がしてもらった覚えがある。
その先には「ビックロ」があったはずだ。
「ビックロ」とは「ビックカメラ」と「ユニクロ」の共同出店で、家電と衣料品が一緒であった。ところが今は「ビックカメラ」だけになっていて、ユニクロは撤退していた。調べてみたら、ユニクロが10年の契約期限の更新をしなかったそうだ。
開店早々に私も行ってみたことがあったが、なにか違和感があり、「ダメじゃないかなー?」と、その時は思ったのである。相乗効果がどうであったかは発表されていないので不明だが、良ければ契約更新をしていたはずだから、それからも結果が分かる。
ビックカメラの並びの少し先は、「マルイ」である。
昔は「月賦販売の丸井」で一世を風靡したが、お洒落とは縁遠かったように思っていた。知らなかったが、今は場所貸しのテナント業にビジネスモデルが変ってしまったようだ。向かい側の伊勢丹には、ここへ越して来るまではずいぶんとお世話になった。
いまは全く縁遠くなってっしまい、滅多に行くことも無くなった。
それでも三越と合併したことにより、零細投資家の私は10%割引で商品を買える。
伊勢丹の斜め向かいには、2011年までは三越新宿店があった。
その横を入ったところにある、天ぷらの「船橋屋」によく行ったものだ。
カウンター式の天ぷら屋で、職人が目の前で揚げてくれるのが楽しかった。
器に天汁に大根おろしを入れて待つ。職人が熱々の天ぷらを和紙の上に置く、
それを箸でつまみ天汁に浸し口に運ぶ。最近は値段がかなり上がったようだが、私がよく通っていた頃は、定食の1人前が1200円くらいだった覚えがある。
腹ごしらえが出来て伊勢丹先の明治通りを渡ると、新宿3丁目交差点である。
その少し先の右側に、「追分だんご本舗・新宿本店」がある。
時間があれば、ここでお茶をする。時間が無い時は、「だんご」を買って帰る。
昔は「新宿3丁目」から「2丁目」にかけては、「ゲイの町」で怖かった。
私は夜の3丁目は知らないが、いまは63軒のLGBTQ御用達の店が林立し、「オールジェンダー」で活気を呈しているようだ。今回の新宿東口の散策は、ここで終り。
(おまけの話)
マンションの友人にHさんという、私より少し年配の人がいる。
ある時、彼の娘さんの結婚相手が会社を閉めて、『アメリカに行って俳優になる』と言って家族で渡米してしまった。なかなか芽が出なかったようだが、最近になり思い掛けない話を聞いた。
『彼はまだメジャーで俳優になれていないが、子供がメジャーにデビューした。「ディズニ―+」の番組の「SHOGUN」に出る』と言った。
私はわざわざ契約してまでは見たくなかったので、そのままにしていた。
最近のことだが、用事があり新宿に行った。
大江戸線の「新宿西口駅」で降りて、地下道に出て驚いた。
壁いっぱいに、更にすべての柱に「SHOGUN」のコマーシャルが出ていた。
「SHOGUN」は10回シリーズのドラマで、プロデュースと主演は真田広之である。
1600年にイギリス人のジョン・ブラックソーンの乗り込んだエラスムス号が網代の漁村に漂着した。そのイギリス人こそ、後の「按針」である。うろ覚えながら彼のことは知っていたが、もう一度、本を読んでみようと思った。
地下道の壁の巨大な広告の最後に、有名俳優からのお祝いの花束が飾られていた。
その中に「森崎ウィン」という聞き慣れない名前があった。
早速、ネットで調べてみたら「両親ともミャンマー人で、出稼ぎで日本に来た。彼は街でスカウトされてタレントになった。森崎は芸名である」と分かった。
それよりも驚くのはHさんの義理の息子が「50歳を過ぎ、会社を畳んで俳優になりたくてアメリカに移住した」ことである。「人生は一度きりだ」と言って、家族と共に渡って行ったそうだ。私にはとても出来ないが、一方で羨ましかった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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いま、お馬さんと密な関係になってみた!LAKE TOYA RANCH
こちらの特集版にご訪問くださり、どうもありがとうございます^^ / 今後月に2~3回ほど、編集部のライターとして、皆様のお目目にかかることになりましたRiettyです。 この場では、私が出会った「好き」や「楽しい」や「いいね!」を皆様におすそわけさせていただきたいと思っています。 いろんなモノ。 いろんなコト。 いろんなヒト。 楽しむための情報の一つとして。 どうぞ末長くお付き合いくださいね ♡ さてさて。 国道230号線を留守都村方面に向かって車を走らせた時。 この看板を見かけたことはありませんか? 私、実はず〜〜っと気になっていたのですが、ついに曲がってみました。 すると…。 まずお迎えしてくれたのはこの子。 プードルのラヴィン君です。 まだ子供なので、「お客様だ〜!」とはしゃぐ姿がとても可愛い。 北海道弁では「おだつ」感じ。 そして誘導されるように歩くと…。 たくさんのお馬さんたちがのんびりお食餌中でした。 ここは、洞爺湖にほど近い月浦町にある「LAKE TOYA RANCH」さんです。 おっとり優しいお馬さんに跨り、ホーストレッキングや引き馬などを体験できるところです。 早速、体験してみました。 乗せてくれたのはヨーロッパ系ハーフリンガー&どさんこのミックス、大食漢のマックス君。 男子ですが可愛い顔立ちです。 山岳馬なので体力があります。 まずは「よろしくね ♡」とご挨拶。 そして、マックス君の相棒はアメリカ産クウォーターホースのローラちゃん。 カウボーイが乗るお馬さんです。 でも、ここで乗っているのはとても素敵な美人インスタラクターさん♡ トレッキングに出かける前に、「進め」「止まれ」「ターン」の手綱捌きを教わりました。 とても良くトレーニングをされているお馬さんたちなので、的確なアドバイスのもと、少しの練習と、「仲良くなりたい!」という気持ちがあればすぐに乗れるようになれます。 さあ! いざ! トレッキングに出発〜! 緊張と興奮でワクワク&ドキドキ☆ 親切なインストラクターさんは、ほとんど後ろを見た状態で爽やかに優しく指示をくれます。 上り坂は前傾して。 下り坂は後ろに反り気味に。 軸を保とうとするので、インナーマッスルが鍛えられそうです。 太腿の内側も締まりそう。 なかなかの運動量です。 二次的効果を密かに期待してしまいます。 途中、雪が降り出しました。 グリーンシーズンも良いけれど、白い雪原や山道を歩くのは本当に気持ちがいい ♡ お馬さんが一緒にいると、見慣れたはずの洞爺湖の景色が非日常なものに変わります。 お馬さんとの密なトレッキング。 元気に迎えてくれるラヴィンちゃんと、穏やかなお馬さんたちと、親切なスタッフさんたちに優しい時間をいただきました。 もちろんワイルド&イケメン社長 高橋洋一さんも、はにかみながら歓迎してくれます ^^ / 最後に地元密着耳寄り情報!!(地域外の皆様にはごめんなさい) 絶対にお得!! 絶対におすすめ!! 見逃さないでね♪♪ 帰りは高橋社長とラヴィン君が見送ってくれました。 レイクトーヤランチ情報 電話 0142-73-2455 住所 虻田郡洞爺湖町月浦44番地(カーナビ住所検索はうまくいきませんので、レイクトーヤランチと入れて検索してください) アクセス 洞爺湖温泉街より車で5分 E.mail toya@jphorseriding.com ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年) ※シェア、リンク等大歓迎です!
Rietty
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
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