
心の伊達市民 第一号
マンションの友人が東京国際クルーズターミナルに行き、「Queen Elizabeth号」の出港の様子を撮った写真を送ってくれた。この日の出港は午後7時だったので、通常のクルーズ船より早い時間の出港だった。
行き先が「日本周遊と韓国クルーズ」だったことで、目的地が近いのでそうなったのだろう。そこで私は次の「Queen Elizabeth号」の入港を調べてみたら、14日の午前5時30分に入港し、その日の午後7時に出港すると分った。
入港時に見に行くのは無理だし、出航時間も午後7時では帰りのことや家での夕食のことを考えると億劫だ。そこで昼間の停泊時の様子を見に行くことにした。
私の年代では「Queen Elizabeth号」は特別だった。戦後に欧米から入って来た文化で、ディズニーの総天然色映画、「Queen Elizabeth号」は記憶に深く刻まれている。
クルーズなんて言葉も無く、ただ「凄いなー!」と憧れただけで、乗りたいなどとは考えもしなかった。
私の年代の人には憧れだった「Queen Elizabeth号」を、ネットで調べてみた。
すると『1930年代にジョン・ブラウン・アンド・カンパニー造船所で建造され、当時のイギリス王妃エリザベスにちなんで命名された。第二次世界大戦に徴用船として最初の航海を行い、1945年8月の第二次世界大戦の終結に伴い、』
『軍役から戻ったクイーン・エリザベスは、ジョン・ブラウン(John Brown)造船所で内外装を大幅に改修され、ようやく旅客船として北大西洋航路に投入され1968年まで運航された。』。
『クイーン・エリザベスはサウスサンプトンからニューヨークまでの路線を、20年以上にわたって運航された。しかし1950年代に入ると、大型旅客機が大西洋横断路線に就航した。さらに1958年には、大型ジェット旅客機のボーイング707が就航し運賃も低下した。』
『1960年代に入ると、クイーン・エリザベスをはじめとする北大西洋航路定期船の乗客は急激に減り、採算性は低下した』。そして1969年に小型で経済的な「クイーンエリザベス2」が登場した。
今回の「Queen Elizabeth号」は3代目で、3月から5月の間に7回も東京に来ている。
しかもそれは近場のクルーズだけで、どうやら日本で荒稼ぎをしているようだ。
私は見に行った日は、早朝に「初夏の九州と韓国クルーズ」から帰り、夜には「初夏の九州と済州島・台北クルーズ 11日間」に出発する。
乗船価格を調べてみたら、一番高い「グランド・スイート(128㎡)」は186万円で、一番安い「1Aスタンダード(14㎡)は20万円だった。ずいぶんと差があるのだなー。
家の前から東京BRTに乗って豊洲市場前まで行き、そこから「ゆりかもめ」に乗り換えて6駅で東京国際クルーズターミナル駅である。現地には10時30分に着いた。
「Queen Elizabeth号」の全景はターミナルからでは撮影出来ないということは、少し前の「COSTA SERENA号」で分かっていた。
そこで隣の「潮風公園」から撮影することにした。「Queen Elizabeth号」の全長は294メートル、総トン数は9万900トン、「COSTA SERENA号」の全長は290.2メートル、総トン数は11万4261トンなので、ほほ同じ大きさである。
私が現地に行ったのは午前10時20分頃だったが、まだ下船した乗客がシャトルバスに乗り込むところだった。一方でこの日の夜に出発するクルーズに乗船するお客たちが、続々と乗船手続きをしていた。乗船するお客たちは老夫婦が多い。
みんな大きな荷物を抱えて、期待に胸膨らませているように見えた。
船会社は「Queen Elizabeth号」を1日も休ませず、しっかりと稼いでいるなー。
停泊しているだけのクイーン・エリザベス号は動きが無いので、すぐ飽きてしまう。
やはり船というものは、出港・入港で動いている時が面白い。
(おまけの話)
以前に書いた「SusHiTech TOKYO 2024」4月27日から5月26日まで開催している。
これは「Sustainable+High Tech」の略だそうで、最先端のテクノロジー、多彩なアイディアやデジタルノウハウによって、世界共通の都市課題を克服する「持続可能な新しい価値」を生み出す東京都のコンセプトだそだ。
私はこの日にクイーン・エリザベス号の撮影の後に、「海の森」で行われる「環境・モビリティツアー」の12時からの回に申し込んであった。同じ駅にある「日本科学未来館」から無料巡回バスで、15分くらいかけて「海の森」の会場に行った。
このイベントは東京都の主催で、協賛会社&組織は270社に及ぶ一大イベントである。
「海の森」にバスが到着したら、目の前に「東京ゲートブリッジ」が見えた。
埋立地の広い敷地に1棟の建物と、いくつかのテントがある。
ガイドツアーの時間まではまだあるので、アチコチを見て廻った。
するとあるテントから、男性が大声で呼び込みをしていた。
何事かと近付いたら、『ライスミートを試してください』と言われたので、400円を支払いライスミートの焼き鳥を食べた。米で作った肉だそうだが、全然美味しくなかった。
時間になり30人の参加者をガイドが歩いて、色々な企業の出展している小間に案内した。水質改善、Dorone(ドローン)、河川清掃ロボットなどを、出展企業の社員が説明した。約50分のガイドはあまり面白くなかった。
広場では電動サイクルの試乗が行なわれていたので、それに挑戦した。2輪車は転倒が怖いので、電動式3輪キックボードを借りて乗ってみた。これは思ったより快適で、青空の下で広い広場を走り回った。今回の「SusHiTech TOKYO 2024」で、これが一番だった。終ってからアンケートがあり、それをスマホで回答する。お礼にハンドタオルをもらった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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