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あいつとの32年間の空白を埋めるために(3)

(2023年3月執筆)

それからしばらくして
あいつは日本料理屋で仕事を始め、
アメリカ人女性と結婚した。
後にそれは合法的にアメリカに滞在するために、
月数百ドルと引き換えにした形式結婚だったと聞いて驚いたものだ。

その後も大麻取引に巻き込まれて
留置場に入る騒動を起こしたり
(幸いFBIの囮捜査の絡みで無罪放免されたが)、
次の女性と結婚して一緒にスペインに渡ったりとか、
あいつには頭を悩まされることも多かった。
両親は相変わらず心配していたが、
僕はまあ元気にしているならいいかなと思っていた。

そしてあいつがスペインに移ってからまた十数年が経った。

あいつが友人と開いたスペインイビサ島の日本食レストランは
それなりに繁盛している様子で、
一度は勘当された父親のもとにもたまに訪ねて帰国するようになり、
その時は僕も帰郷して
昔の家族4人で水入らずの数日を過ごした。

ある日、帰国したあいつと一緒に酒を飲んだ時
「兄貴は昔からいつもうまく知恵を使って俺のせいにしてきた」と
僕への恨み節をぶつけてきたので大喧嘩となったが、
心の中ではあいつが「そんなふうに思っていたのか」
と衝撃を受けた。
気まずくなって、またしばらく連絡をしなかった。

すると最近、
あいつの体の調子がどうも良くないらしい
という話を両親から聞いた。
それで久々にスペインにいるあいつに
連絡をしてみると元気のない声がした。

末期癌ということだった。


何もしなければ余命4ヶ月から1年だと
医者に言われたらしい。


僕は「なんでこうなるのかな」と
なんとも不愉快な気分になった。
同時に、このまま異国の地で
果てさせるわけにはいかないと思い、
「帰ってこないか?」と提案した。

老老介護をしている両親のもとに
帰すことはできなかったが、
妻が「うちに来てもらえば?」と
提案してくれたこともあり、
結局スペインから引きあげさせて
北海道の我が家に来ることになった。
日本を離れて32年経っていた。

こうして今、
僕は妻と一緒に彼の闘病生活を支えている。
僕は弟との残り少ない時間を共有しながら、
彼との32年間の空白を埋めているつもりだ。
僕の中であいつは今でも昔のままだ。
そして考えている。

近いようで遠い、
遠いようで近い弟の存在。
血のつながりとはなんだろう。
家族とはなんだろう……と。

(おわり)


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豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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