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[2007.11.19]
■ハワイで琵琶の伴奏でお経を聞く(1)
来年1月の『仏像 in ハワイ』の下見と準備の為にホノルルに行って来た。同行者は私の仏像の先生と、仏像展での同時開催の墨絵の関係者3名である。 
 
14日の早朝にホノルルに到着し、その足でレンタカーを借りる。いまやハワイは日本の一部かと思うほど日本化していて、レンタカーも日本の免許証だけで借りられるから驚きだ。 
 
空港から20分くらいの住宅街の中に目指す天台宗ハワイ別院はあった。見たところはお寺に見えない。本堂の中に入れば日本のお寺そのものである。 
 
この寺の住職の荒良寛大僧正はハワイで有名人である。日系人で彼を知らない人はまずいない。この地に開教して35周年を記念して、日光山輪王寺から門徒が60名もお祝いにやって来る。その日に合わせて我々もハワイ別院を訪問した。 


輪王寺の大僧正のお経に続き、九州からやって来た坊さん2人が筑前琵琶でお経をあげる。私も長く生きて来たが、琵琶の演奏と太鼓の音に合わせてお経を読むのは初めて見る経験だった。これがなかなか良い。 
ハワイという異国の地で日本の珍しい文化に接したというのもなんか変な気持ちだ。 
 
 
お経の後に皆で日本料理屋『夏の家』に行く。我々は住職にご馳走になる。 
夏の家は歴史的な店で、太平洋戦争の開戦の時に日本軍が真珠湾攻撃をしたが、開戦のしばらく前に日本軍の将校達がこの店から見える真珠湾を見下ろしながら作戦を練ったということが言われている。 
 
今でも自衛官が時々、その部屋での食事を希望するそうだ。その部屋は現在改装中であった。この店の女将もハワイでは有名人である。 
2人のハワイの有名人に出会えたことで、我々の仏像 in ハワイも成功間違いなしとなった。 
 
 
(おまけの話) 
ハワイに初めて行ったのは、今から43年前のことだった。 
NY世界博覧会の従業員として働いた後に帰国の際にホノルル空港に立ち寄った。その時に迎えに出てくれたのが、私が英会話を習っていた米軍人の夫婦だった。 
 
給油の僅かな時間を利用して空港のロビーで話をした。 
以前に東京で習っていた時より上達したと褒められた覚えがある。 
当時はNOVAなんて無かったので、英会話を習おうと思う時はツテを頼って米軍基地の中の将校の奥さんに習うというのがひとつの方法であった。 
 
いまや英会話学校はビジネスとなり、英語を習いたい人も教えたい人も山ほどいる。 
でも、英会話を習ってどうするの?と思う。 
海外パック旅行では英会話は必要ない。世界のどこへ行っても日本語が通じる。 
 
観光客が出会う人達はお金を稼ごうと思うから、必死で独学で日本語を覚える。 
日本人も英語が喋れなければお金を稼げないという時代になれば、おのずと英語はしゃべれるようになり、英会話学校も不要になると思う。 
戦後の基地の傍の女性たちは英会話学校になんか行かないでも、米兵と付き合ってお金を稼いでいたのである。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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