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[2008.03.24]
■料理の出来ない男は失格だ?
女房が風邪をひいて寝込んでしまった。 
こうなると私はどうしようもない。 
自分だけならどうにでもなるが、女房の世話をしなければならなくなった。 
洗濯、ゴミ出し、洗い物、自分の食事はなんとかなる。 
これは普段からやっていることだから・・・・。 
困るのは女房の食事である。病人は寝ていても食事はする。 


最初の日の夕食は駅の傍の弁当屋で弁当を買ってきた。 
2日目になると弁当は不味いと言うので、スーパーに行って惣菜を色々と買ってきた。 
ご飯は自分で炊いて、前日にカブと茄子のヌカミソも漬けた。それを昼食に食べた。 
 
女房は食欲が無いので、少しだけ食べた。夕食には残り物の同じ惣菜を出した。 
彼女はあまり食べなかった。 
 
そんな時に女房が料理教室をやっていた時のお手伝いのおばさんのMさんが偶然、電話をくれた。 
そこで風邪をひいて寝ているという話をしたら、翌日すぐに来てくれた。 
Mさんは80歳を過ぎているが、元気溌剌である。 
 
 
家に来ると部屋の掃除、風呂の掃除などをしてから、昼食と夕食の用意をしてくれた。昼は温かいそうめん、夜はホタテの炊き込みご飯である。 
女房もやっと美味しそうに食べていた。これで風邪も治るだろう。 
思わぬ機会に老老介護を体験した。これは問題が大きいな~。 
 
 
男も料理が出来ないとどうしようもない。引退後は亭主として失格かもしれない。 
伊達市のSさんがメールをくれて、彼の家での食事の支度のことで可笑しい話を送ってくれた。 
 
彼のプライバシーもあるので公表できないが、友人の皆さんはSさんに会ったら直接、話を聞いて下さい。 
そんなSさんと仲間の皆さんの為に、この夏には女房が伊達で駄目な男の為に『男の料理教室』を開くと言っている。 
 
(おまけの話) 
私の子供の頃には我が家にはお手伝いさんがいた。 
その頃は女中さんと言っていたが、差別用語だというので『お手伝いさん』に変わった。 
なぜ、これが差別用語なのかよく分らない。 
そのお手伝いさんは九州の屋久島の出身で、名前をC子ちゃんと言った。 
 
私がまだ小学生になる前には既に家にいたから、彼女が中学を卒業して上京したのだとすれば、今では75歳くらいだろうと思う。 
私が中学生になる頃にC子ちゃんは美容師になると言って、我が家から出て言った。 
 
その後、自由が丘で美容院を開店し、更にアメリカ人と恋愛して失恋して自殺未遂を起こした。 
その時に、どういうわけか私は彼女の家に行って、入院の手伝いをした覚えがある。 
更にその後、売れない画家と結婚した。 
 
そのせいか更に事業欲に燃えて金融業も始めて成功した。ある時、親戚の葬儀の席で久し振りに会ったが、少し垢ぬけただけで、彼女は昔のC子ちゃんでなにも変わっていなかった。 
それにしても、C子ちゃんの人生は波乱にとんだ一生だ。長生きして欲しい。 
そして、私の子供の頃の昔話も聞きたいな~。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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