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[2008.03.28]
■避けられない道ながら・・・。
約束したボランティアの日なので、介護施設に出向いた。 
事務所には私のネームプレートが用意されていた。 
担当者のHさんに案内されて3階の食堂兼団らん室に行く。 
 
私は部屋にいた老人達のテーブルに近づき席に着いた。 
係の女性は用事があって去って行ってしまった。何から話していいのか戸惑う。 
 



そこで、『どこで生まれたんですか?』と聞いてみたら、それがきっかけで話が続いた。その後に彼らの人生を聞いて、苦労したんだな~と思った。 
テーブルには5人位いるが、話すのは2人だけだ。 
他の人は興味がないのか、そっぽを向いていたり、居眠りをしている。 
 
『長生きして何か良いことはありましたか?』と変な質問もした。その返事は『あまりいいことは無いねー。長生きすると兄弟も知り合いもみんな死んでしまう。それが困る』ということだった。 
お返しに変な質問をされた。『三途の川を渡るのにはお金が要るのかね?』 
私は困ったが、『死に損った人に聞いた話では、要らないと言っていた』と言ったら安心していた。 
 
1時間くらい話をして、ボランティア室に戻った。 
そこにいた3人のボランティアのおばちゃんと親しく話をしてみた。この施設の老人の平均年齢は83歳だという。最高齢は102歳だそうだ。 
 
私は聞いた。『どういうタイプの人がボケるんですか?』、その答えは『一概には言えないが、消極的な人、好奇心の無くなった人、手先を動かさない人』と言っていた。最後は『自分はボケない』と思うことが大事だそうだ。 
それなら私は大丈夫そうだ。 
 
ボランティア活動を終って外に出た時に吸った空気がもの凄く美味しかった。 
何回続けられるかは、今ではまだ判らない。 
でも、長生きすればするほど、この道は私も通らなければならない道である。 
避けられない道ながら、なんとか私はそこは通らずに違う道に進み、そこで崖から転落して行方不明になりたいなー。 
 
(おまけの話) 
親しくしている人の娘さんが生まれてすぐの子供を亡くした。嘆き悲しんでいる時に私の仏像彫刻の趣味を知り、恐る恐る仏壇に入れる仏像を彫ってくれないかと頼んで来た。 
 
『恐る恐る』はもし私が下手で返品したい場合に困るという理由からだと思う。 
そこで私は小さめの地蔵尊を彫ることにした。 
仏壇に安置するお地蔵さんの他に、いつも近くに置いておけるようにと思い、更に小さなお地蔵さんもおまけで彫った。 
 
お地蔵さんの下に敷いてある座布団は女房が和服の帯で作った。それを持って四谷の家まで女房と届けた。 
 
 
実物を見た彼らはあまりの出来の良さに感激して、何度も『ありがとう。こんなに素晴らしいお地蔵さんとは思わなかった。顔も可愛いし、凄く気に入った』と言ってくれた。実は顔は難しいので先生に手を入れてもらったのである。 
 
私もいずれ介護の後はお迎えが来て、仏像のお世話になる。 
その仏像を自分で彫って、しかも人に喜ばれるという趣味を持ったことを本当に良かったと思っている。 
 
仏像は粗末に出来ないし、要らなくなったといって生ゴミと一緒に捨てるわけにもいかないので、私の死んだ後もズーとこの世に残る。 
それが私がこの世に生きた証かもしれない。 
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▼コメント(1)
名前:浅野  2008.04.03 21:47:15
暫く 時間に追われ 今日久し振りに まとめて拝見しようと 開けましたら 前の方はみれなくなるのですね。ボランテアを 始められたそうで どうして出来るようになられたのか  
分かりませんが 思いついたことは なさる方だと 感心させられました。お地蔵様も立派な出来で 人柄が出てるような温かみを感じます。前立腺は心配なさらなくても 良い方に導かれると思います。  

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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