■2009年の最初の話
2009年の最初のご挨拶です。 この年になると友人や知人などの関係者に亡くなった方が多く出るようになる。
昨年も12月になってから、年賀状の辞退の葉書が沢山来た。
そんなこともあるし、世界的な大不況のこともあるので、今回は新年のお祝いの言葉は止めておこうと思う。そこで、『今年もよろしく』だけにしておく。
お正月の飾り
例年だと私は元旦から1年に1度だけの本業である『飛騨高山の縁起絵馬』の販売を四谷のホテル・ニューオータニで行っているはずである。
ところが、今年は暮の入院の影響で私は不参加となった。
それでも、私の姉夫婦は例年通りに地下1階の日枝神社の前で絵馬を売っている。
売れても売れなくても、正月のこの行事は私にとっては『決まりごと』である。
それをしないと、なんだか落ち着かないが、今年は仕方ない。
そんなことで、私は久し振りに普通の日本人のお正月を我が家で迎えた。
最近はおせち料理というのはデパートやコンビニで買う物と思っている人が多い。
おせち料理
現役の時は女房が懐石料理の先生だったから、おせち料理は手作りであった。昔はどこの家庭でも、そうしていた。
でも、2人とも引退してからは、面倒なことはしないようにしている。だから、我が家もおせち料理はデパートで買うようになった。
私の実家でもオフクロがお節料理を作っていたが、オヤジは和食があまり好きではなかったので、元旦が終ると、もう翌日からは普通食となり、朝はパンだった。
そんな家庭に育った私は、同じく2日目からはパンとコーヒーである。
私がなんとなく感じたところでは、家庭でおせち料理を作らなくなってから、若者が切れたり、アトピーが始まったように思う。料理に使う防腐剤や化学調味料の影響か?
科学的な根拠は全くないが・・・。
昨年は色々と頭に来る事件が多かった。だから、しょっちゅう怒っていた。
でも、今年も同じようなことが起きるだろうが、ハワイの和尚に『頭が悪い』と言われないように、怒る時は人が気が付かないように、密かに自室で怒ろうと思う。
ハワイの荒了寛和尚の絵説法
(おまけの話)
今年もおまけの話には苦労しそうだ。そこで、お正月の過ごし方の話である。
私の子供の頃は、お正月は家族一同がいつもより少し遅い時間に集まって、お正月の挨拶の後におせち料理を食べて、オヤジからお年玉をもらった。
それで終りだったような気がする。
初詣にも行かなかったような覚えがある。
中学校も高学年になると暮はオヤジの工場でアルバイトをして、12月29日頃から友人達と志賀高原にスキーに行って、正月を民宿で過ごすのが恒例となった。
そこで出る凍った野沢菜を初めて食べた時は、なんと美味しいのだろう思った。
大学生になると、大晦日は麻雀をしていた。
そして、朝になると初詣に行った。
アメリカから帰った後は、ボーリング・ブームとなったので、近くのボーリング場で年越しボーリングをしていた。
結婚してからは、しばらくは家に居て女房の作るおせち料理を食べていた。初詣は近くの小金井神社で済ませていた。
2日には女房の実家に行って、義父と麻雀をして過ごした。それも義父が亡くなってからは、行かなくなった。
それ以後は、私も普通の日本人のお正月を過ごしていた。
そして、ある時から姉に誘われてホテル・ニューオータニで飛騨高山の絵馬を販売するようになった。
今までに色々なお正月の過ごし方を経験したが、その時はそれが一番良かったというのが結論である。
これからは、病院で過ごすことのないように気を付けよう。