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[2009.02.20]
■元の木阿弥になるケーキ
この頃になると同級生の悲報が届くようになる。 
自分もそんな年齢になったのだなーと感慨深いものがある。そこで、お互いに元気な内に同級生と会っておこうと考えた。 
遠い伊達の人達とは交流が激しいが、近くの友人とはいつでも会えると思うからか、たまにしか会わない。 


私の住む小金井市の隣町に住む同級生のO君とS君に『たまには会って近況を報告し合いましょう』とメールを出した。 
そして、ある日の午後から国分寺駅ビルの8階のカフェで待ち合わせた。 
 
私はメタボ対策もあり、家から歩いて行くことにした。いつもだと約40分で行ける。電車だと2分の距離である。 
小金井駅の踏切を渡り、南側の再開発の様子を見ながら歩く。そして国分寺までの中間点にある地下道から『はけ』に出る。 
 
この辺りは綺麗な清水の湧いている場所が多くあるので有名だ。 
小金井は古くは黄金井と書き、黄金の井戸があったことに由来した地名である。 
 
はけ伝いに進み、貫井神社を横目で見ながら更に歩いて行く。道端には見捨てられたような道祖神がひっそりと佇んでいる。 
 
道祖神 
 
伊達の自然とはまた違い、歴史を感じさせる自然が多いのに驚く。写真を撮りながら歩いて行ったので、約束の時間に少し遅れて到着した。 
この店はケーキが美味しいので有名である。 
そこでつい誘惑に負けて720円のケーキセットを注文した。思いっ切り甘かった。 
 
 
メタボ対策で歩いて行ったのに、これでなんの役にも立たなくなってしまった。これを元の木阿弥と言うのだなー。 
 
(おまけの話) 
私の子供の頃は水泳が流行っていた。 
貫井神社の湧水を利用して、当時は神社の脇に50メートルのプールがあった。 
私達は貫井プールと言って、時々そこに泳ぎに行っていた。そのプールは湧水を使っているので、夏でも冷たかったのを覚えている。 
 
貫井神社の湧水 
 
ある時、そこにあの『フジヤマのトビウオ』とアメリカ人に言われた古橋選手と橋詰選手が来るというので見に行った。 
模範水泳を見せてくれたが、今となってはよく覚えていない。 
 
一方、学芸大学の脇にもプールがあった。 
こちらは日本海軍の潜水艦の試験用のプールだったとかで、水深が深い上に深さが一定ではなかった。 
だから、時々溺れる子供がいた。 
こちらのプールの方が家から近かったし、水温も高いので夏休みにはよく行った。 
でも、今のような水泳教室なんて洒落たものは無かったので、勝手に泳いでいただけである。 
 
中学に入ったら学校にプールが無かったが、3年生になったらプールが出来た。 
そこで同級生の今はアメリカ在住のO君と水泳部を作った。そして翌年に私は国体の東京都予選に100メートル背泳で出た。その時に一緒の組で泳いだのが、小金井で1年先輩のMさんだった。 
 
100メートルを泳ぎ終った時にはMさんに25メートルもおいて行かれてしまった。 
私の能力と練習量が足りなかったのは勿論だが、Mさんは東京都の記録保持者だったのである。 
それ以来、いまだにMさんは頭が上がらないままだ。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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