■1人で過ごす寒い日は・・・
東京はこの冬一番の寒さだと天気予報が伝えている。 (2月27日)
少し前は、『もうこのまま春か?』と思わせるほどに暖かったのに・・・。
朝から女房が出掛けてしまったので、1人でゆっくり家で過ごす。
「仏像彫刻をやろうか」、「溜まっている本を読もうか」、「録画してあるDVDを見ようか」などと考える。
我が家の愛猫ラーちゃんも寒いのか、近くに寄って来る。
障子を開けて外を見たらミゾレが雪に変わって来た。
これじゃ、せっかく植えたレタスの種が大丈夫かと心配になって来る。
レタス畑
そんな時にパソコンを開くと、伊達から次々とメールが入って来ていた。
『アカデミー外国語賞を取った「おくりびと」の発祥の地は北海道です』と知らせてくれたHさんは、親バカオヤジとして伊達では有名である。それがまた私は好きだ。
その返事を書いたり、古い写真を見たりする。
1人で静かに過ごす日もなかなか良いものである。
毎年夏に伊達市に行くようになってから、今年で7年目になる。その間には多くの友人達が出来た。
みんな親切な気のいい人ばかりだ。
これがズーと続くのだと思っていたら、今年の夏はそうはいかない。
昨年暮れの前立腺癌の手術後の定期検診の為に、3ヵ月に1度は病院に行かないといけないので、9月初めには東京に戻ることになりそうだ。
人生というのはなかなか同じことは続かないようである。
そんなことを考えていたら、次々と昔話が思い起こされて来た。
今更、取り返しはつかないが、それでも悪いことよりは良いことの方が多かったような気がする。
人生の残り時間も少なくなると、時にはシミジミとしてしまうのである。
ハワイの和尚の3月カレンダー
(おまけの話)
シミジミと昔を思い出していると、私の場合はあれだけ大変な思いをして続けていた仕事のことはあまり思い出さないから不思議だ。
辛かったことよりも、楽しかったことの方が記憶に強く残る体質のようだ。それなのに、楽しかった筈の小学生の頃とその前のことは殆ど記憶が無い。
ボーとしていた子供だったのかもしれない。
私の人生のハイライトは大学卒業と同時にいきなりやって来た。
それは大昔の、私が22歳の時にニューヨークに行ったことである。ニューヨークに着いたその日も、4月だというのにミゾレ交じりの天気だった。
だから、ミゾレが降るとその時のことを思い出すのは条件反射だろう。
あれ以上の大きな経験はそれ以降無かったように思う。
早過ぎるハイライトも、その後の長い人生を過ごす上では困りものである。
NY博の日本館で
(写真の白い上着の左側が若い頃の私です。当時のNYの新聞に出ました)
その後も色々とあったが、年と共に段々と感動する心が薄れて来てしまい、あの時が最高だったと思っている。
これはお見合いに似ていて、『後になるほど、最初の人が良かった』と思うのと同じかもしれない。
昔のことが良く思えるのは、年をとった証拠でもあるのだが・・・。