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[2009.03.03]
■石の上にも3年、仏像も3年
私がひょんなことから仏像彫刻を始めて4年くらいになる。 
それまでの私の生活は仏像とは全く縁は無く、かなり距離をおいた生活だった。 
私のオヤジが洋行帰りということもあり、そんな影響からか西洋ものが好きな私は仏教とか仏像とかはどちらかというと近付かないようにしていた。 


ところが、引退してやることが無い私は女房の勧めもあり仏像彫刻を始めた。 
だから、その動機はあまり褒められたものではない。 
ところが、不思議なものである。やってみたら、これが面白いのである。 
『喰わず嫌い』ということはあるんだと、その時に知った。 
 
『石の上にも3年』という諺があるが、私の仏像彫刻の経歴は4年である。 
夏の間は伊達市に滞在しているので、仏像彫刻は正味で3年になるのである。 
そろそろ結果が出ても良い頃になって来た。 
 
始める時に、先ずは何ごとも形から入る私であるから、彫刻刀を揃えた。 
 
彫刻刀 
 
これは1本で5000円ぐらいする。でも、ゴルフクラブに比べたらかなり安い。 
 
中野坂上の成願寺教室に通い、新入りのくせに昨年の2月にはハワイでの仏像展を企画した。 
その次に、勢い余って伊達市でも9月に仏像展を開催した。 
 
一番最初の教材だった1面のみの地蔵尊を彫っていた頃に比べたら、ずいぶんと上達したと自分でも思う。 
 
お地蔵さん 
 
今では不動明王を彫るほどに上達した。 
更には仏像を彫ることにより、心の平静を得ることが出来るまでになった。 
 
勢至菩薩像 
 
昨年は日本中で仏像が流行った。 
NHKでも『にっぽん 心の仏像』という企画をして、全国の視聴者からの投稿でその人の心に残る仏像を放映した。 
これはなかなか良い番組だった。 
 
次には薬師寺からは日光菩薩と月光菩薩が上野の博物館にやって来た。 
遂には『仏像ガール』なんて女性が現れるまでになった。 
 
今までは、なんでも私が始めると、その後、それが流行るという傾向があった。仏像もそうなるのか?  
でも、仏像なんか流行らないだろうなー。 
 
(おまけの話) 
仏像を彫ると、出来あがった時には嬉しいが、その処遇に困る。 
最初の頃はまだ少ないからいいが、段々と溜まって来ると、それをどうしたらいいかが問題である。 
 
大きさは15センチくらいと小さいが、多くなるとその置き場にも困るようになる。ゴミとして捨てるのは具合が悪い。 
なんだかバチが当たりそうな気がする。 
 
だからと言って、むやみに人にもあげられない。 
もっとも欲しがらないだろうと思う。 
ところが、私の仏像は欲しいという人がかなり居るのである。 
今までに差し上げた人と仏像の数を思い出してみた。 
 
K会長にプレゼントした不動明王 
 
最初は習い出して間もなくの頃である。 
伊達市の亡くなった長老の家族から頼まれて阿弥陀如来像を1体彫った。 
 
その後、伊達市だけでもイタリアン・レストランに1体、Tさんに2体、寿司屋に1体、Kさんに1体、もう1人のKさんに1体、K会長に1体、室蘭市の居酒屋に1体と、その友人に1体、私の親戚に2体、女房にも1体。ついでに娘にも1体、イコロ農園には多めに4体などである。忘れていけないのはハワイの和尚に1体がある。 
 
まだあると思うが、忘れた。合計で18体も差し上げている。みんな私の仏像で幸運が舞い込んでいるようだ。 
 
これからも溜まって行く仏像をどうしたらいいのかが、今の私の悩みである。 
女房は言っている。『あなたが死んだら、お棺に入れてあげる』・・・と。 
それじゃー、かなり大型の棺桶が必要だ。 
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▼コメント(2)
名前:榎本宣道  2009.03.03 09:52:11
すっかり仏像彫刻が生活に入り込んでいるようで、とても嬉しいです。何事も自信を持って立ち向かうことが上達の秘訣のようですね。習い事のほとんどは10年が一つの区切りのようですので、これからがもっと楽しいのではないでしょうか。ある生徒さんは、作った仏像は閻魔さまのお土産にすると言っていました。ご参考まで。 
名前:榎本宣道  2009.03.03 09:52:01
すっかり仏像彫刻が生活に入り込んでいるようで、とても嬉しいです。何事も自信を持って立ち向かうことが上達の秘訣のようですね。習い事のほとんどは10年が一つの区切りのようですので、これからがもっと楽しいのではないでしょうか。ある生徒さんは、作った仏像は閻魔さまのお土産にすると言っていました。ご参考まで。 

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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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