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[2009.03.16]
■過去が生きてる箱根温泉(福住楼)
私は中学・高校を一貫教育のTという私立の学校に通っていた。 
この学校は戦前は海軍士官学校だったので、戦後になってもその面影は色濃く残っていて、先生も当時の厳しいままの人がいた。 
その影響でスパルタ教育で、先生が生徒を殴るなんて平気だった。 


その学校を卒業して49年も経つが、ある時、同期の幹事からメールが来た。 
『卒業プレ50周年記念行事で箱根の温泉で50周年行事の打ち合わせをしよう』と、あった。 
幹事は作家の嵐山光三郎君で、場所は彼の箱根の定宿である塔ノ沢温泉の福住楼である。作家というのはどういうわけか、温泉宿に泊まって本を書く。 
 
この福住楼というのは昔から多くの文人に愛されてきた。 
明治の創業以来、漱石、藤村、露伴、康成など多くの作家が定宿としてきた。 
福沢諭吉は福住楼の為に『温泉の清潔は七湯中第一』と宣伝文を書いた。 
そんな長い歴史があるくらいだから、建物は古くてアチコチにガタが来ている。 
 
 
今では珍しい木造三階建ての旅館の廊下を歩くとガタピシと音がする。その先の階段を上るとギシギシと音がする。 
部屋に入るとガラス戸の隙間から冷たい風が入って来る。 
なにもかにも昔のままだ。 
もちろんトイレにウォッシュレットなんて付いていない。 
 
でも、風呂はいい。 
私が最初に風呂に行ったら、先に嵐山君が入っていた。 
 
小丸風呂 
 
私がいま読んでいる彼の書いた『悪党芭蕉』に付いて話をする。風呂から出て、28人の同級生と1人の先生が参加して宴会が始まった。 
 
 
ひとりずつが順番に自分の近況を述べる。 
 
28人の内、18人がまだなんらかの仕事をしている現役である。250人の内、もう39人があちらに行ってしまっている。 
M君は『俺は歩く担保だから社長を辞められないんだよ』と冗談気味に言っている。 
いまだに頑張っている彼らでも、人生の終盤に差し掛かっていることだけは間違いない。 
 
古い旅館で古い友人達と飲み、食い、歌い、夜は更けて行った。 
 
(おまけの話) 
ほんの稀に懐かしい場面に遭遇することがある。 
今回の箱根塔ノ沢温泉の福住楼で、それに出会った。 
 
午前8時に朝食処へ向うと、廊下の真ん中にバケツが置いてある。『なんでこんな物をここへ置き忘れたんだろう?』と思った。 
近付いてみて感動した。 
それは雨漏りの水を受けるバケツだったのだ。 
 
雨漏り用バケツ 
 
昨夜からの大雨に屋根がもたず、遂に廊下に雨水が落ちて来たようだ。 
こんな光景をこんな名旅館で見られるとは思わなった。 
私の子供の頃は雨の日には、どこの家でも見慣れた光景であった。 
 
箱根の宿で過去の友人達に会い、そして廊下で過去の光景に出会った。 
この年になると、古いものとの出会いは大事にしたいし、懐かしい。 
 
嵐山光三郎君の色紙 
 
(源泉資料) 
弱アルカリ性単純泉、湧出温度61.9度、源泉加水掛け流し。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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