
心の伊達市民 第一号
以前は読みたい本は書店で買っていたが、その費用がバカにならず、しばらく前から図書館を利用するようになった。その一番の理由として、図書館に蔵書が無くても、希望すればほとんどの場合、私の読みたい本を購入してくれる。
だから早く申し込めば、常に新本を買うのと同じ状態の本が読めると分ったからだ。
これは住民にはとてもありがたいシステムであるが、中央区はお金があるから出来るのだろう。
読みたい本が思い当たらない時は、図書館のHPで「新着案内」を見る。
ある時、新着案内を見たら、「東京の生活史」という本が見付かった。
東京に住む私としては興味があったので、それを予約した。
図書館の蔵書にある本でも、本の内容までは分からない。
タイトルだけで「面白そう」と思ったのである。
図書館から「用意が出来ました」という案内メールが届いたので、引き取りに行った。
そして書棚から取り出して驚いた。「なにかの間違いでは?」と思った。
その理由は「タイトルからして、普通の単行本だろう」と勝手に思っていたのが違ったのである。
しかも違い方が半端じゃない。厚さは6センチ、ぺージ数は2011ページ、価格は4200円+税金である。重さはなんと1.4キロだった。これは洗面所の体重計で測った。
受取った時に驚いてしまい、『これは読まないな』と思った。
本の内容であるが、「あとがき」によると、抽選で選んだ150人の人に聞き手になってもらい、それぞれが1人の人に東京の生活を語ってもらう。その時の文字数は1人あたり1万字である。
それが取りとめもなく2000ページ以上も書かれているのであるから、最初から読む気が失せる。読まないで返すのも申し訳なく、その中からいくつかを適当に選んで読んでみた。
本の文字がかなり小さいので、高齢者には読み難い。
各人の話のタイトル代りに、中身の文章が長短く書いてある。
私が読んだのは『朝ごはんはクロワッサンとキャフェオーレだよ。それがいきなり「おー」って挨拶したら、小指がねえんだから。そんなやつばっかりだから』がタイトルである。築地市場のマグロの仲卸しのオヤジの昔話であり、これは身近な感じで予想外に面白かった。
『親父が月島、勤め先が築地市場でしょ。おふくろの実家っていうのが日本橋の鰻屋なんだよ。中央区同士の結婚だから、親父とおふくろは。月島の思い出はね、やたら水が出たんだ。ちょっと大雨が降ったりとか台風が来るっていうと、床下浸水当り前だよ』。
『だからあそこさ。ウォーターフロントなのさ、なんだよ。豊洲のほう行ったらキャナリーゼ?バカこいてんじゃないよ。あんな低いところ、貧乏人しか住まなかったところなんだよ、それが高層マンションが建ったりで、全然変わっちゃったじゃん』
『江戸ってどこからどこまでか知ってるか? おめえら。ね、江戸っていうのは中央区、千代田区、そして港区の一部、台東区の一部。あと墨田区・・・入れてやるかな。そのぐらいなんだよ。だから江戸なんつうのはね、本当に狭いエリアなんだよ。足立区とかさ、北区とか練馬区とか、そこらへんがね、江戸を語るな、このボケと。月島はよかったねー。埋立地のくせに日本橋と同じ、中央区に入れてもらえて』。
こんな感じの語り口で、小さな文字で1万字、8ページも語るのであるから、この人の話だけは面白かった。他にも面白い人がいたかもしれないが、本の厚さに負けてちょっと読んだだけで返却した。
(おまけの話)
いつも私が行っている区役所と隣接した図書館が、老朽化のために8月末で閉館となった。現在は新しい図書館を八丁堀に建設中である。
中央区には3ヶ所の図書館があり、今まで行っていた京橋の他に人形町、月島にある。
我が家から一番近いのは「月島図書館」であるが、その方面に用事が無いので、今まではどうしても京橋図書館に行くことになっていた。名前は「京橋」だが住所は築地1丁目1番地で、この辺りは昔は京橋区と言っていたので、その名残である。
現在は仕方ないので「月島図書館」に行っているが、新しい図書館が12月に完成しても八丁堀に行くには面倒なので、これからも月島図書館に行くことになるだろう。
「月島」と言えば「もんじゃ」である。私に言わせれば「変な食べ物」だ。
少し前に私の菩提寺の築地本願寺から案内が来て、「建設中であった月島分院が9月1日に完成オープンしました」と知らせて来た。
そこで月島図書館に行ったついでに、様子を見に行った。
場所は月島の「もんじゃ通り」を佃方面に進み、その通りの外れの左側にあった。
建物は9階建てで、1階が洒落た「本願寺カフェ」、2階が本堂、3階以上が「介護付き有料老人ホーム」となっている。
「本願寺カフェ」と「介護付き有料老人ホーム」はテナントで、さすがに宗務長がMBAを持った人だけに「これからの新しいお寺のありかた」を目指しているようだ。
私はエレベーターで2階に上がり、本堂にお参りした。いつもは築地の本院に行っているので、小さな本堂でビックリした。誰もいない中で、静かにひと時を過ごした。
帰りにエレベーターに乗ったら、「B1」があるので押してみた。
しかしB1ボタンは反応せず、見に行くことが出来なかった。もしかしたら倉庫とか霊安室でもあるのかな?
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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影の主役を選んだ人 『dj_hatass=畑吉晃』にプロ魂を見た
12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
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