8月24日に東京2020パラリンピックが始まった。
オリンピックほど盛り上がっていないようだが、それでも私の周りでは動きが見える。

その一番はオリンピックの終了で築地のバス駐車場がカラになっていたのが、またバスが見えるようになったことだ。オリンピックの時と同じくらいの台数が駐車している。
オリンピック村は17日に開村したので、続々と選手達がやって来ているのだろう。



パラリンピック専用バス駐車場(8月21日夜)


2番目は航空自衛隊の「ブルーインパルス」が祝賀飛行をしたことである。
今回もまた、予行演習を行ったので、隅田川のテラスに出て撮影をしようと思った。
しかし航空自衛隊はこのコロナ下で、見物が感染増につながることを恐れて、なかなか日時を発表しない。私は毎日のようにブルーインパルスの飛行予定をチェックしていた。



パラリンピックの祝賀飛行の予行演習のブルーインパルス(8月22日)


自衛隊は戦後、長い間、憲法問題もあり日陰者のようだった。
それが日本各地で災害が発生すると、真っ先に駆り出されて救援活動を行う。
自然災害が多い国なので、借り出される回数も多い。

最近では大手町の集団接種会場で、コロナワクチンの接種を行っている。
そんなことから「自衛隊容認派」が国民の過半数を超えるようになった。



お台場に設置されたパラリンピック・マーク(8月23日撮影)


航空自衛隊の「ブルーインパルス」の記念飛行も評判が良い。
青い大空に編隊を組んで飛ぶ自衛隊機は、美しいし、頼もしささえ感じる。

オリンピックの時も、予行演習と本番の2回、私は写真撮影に行った。
その時は五輪マークを描いたが、今回は無い。
なぜならパラリンピックのデザインはブルーインパルといえども描けない。



曇っていたので、東京スカイツリーの右手に急に現れたように感じた。


パラリンピックのシンボルマークは「スリー・アギトス」という。
「アギトス」とは、ラテン語で「私は動く」という意味だそうだ。
22日に航空自衛隊のブルーインパルスが、予行飛行を行った。

私は隅田川テラスに出て撮影したが、薄曇り空の中をアッという間に飛び去って行った。
しかし本番の時の参考になったので、「良し」とする。
現場には近所に住む中高時代の同級生も来ていたので、久し振りに旧交を温めた。



東京スカイツリーの右手で旋回して、こちらに向かって来た。


24日に東京2020パラリンピックの祝賀飛行の本番が、午後2時から行われた。
私は今回は急に考えを変えて場所も変えて、勝鬨橋より2つ上流の中央大橋で撮影することにした。
毎度、同じ写真では芸が無いと思い、東京スカイツリーを背景に入れることを考えた。

橋の近くの中華料理屋でランチを食べて、準備万端でその時を待つ。
この場所は初めてなので、飛行機がどこから現れるかが分からなかった。



中央大橋の橋脚の間から見えたブルーインパルス。


橋の上は時間が近付くと、かなり大勢の人が集まって来た。
だが生憎の曇り空でガスっていて、鮮明な写真は期待出来そうにない。
急に東京スカイツリーの右手上空に現れたブルーインパルスは、3色のスモークを出しながら飛行した。

そしてアッという間に去って行った。やはり慣れた場所で撮るべきだったか?
しかしオリンピックの時と今回の予行と本番で、1ヶ月間で4回もブルーインパルスの飛行を見ると、少々、飽き気味になってしまった。



ブルーインパルスは東京湾の方向に去って行った。


(おまけの話)
ブルーインパルスの祝賀飛行は、アッという間に終ってしまった。
「もっと見たい」と、オリンピックの時も思った。なにしろジェット機は早いので、もたもたしていたら写真を撮ることさえ難しい。

家に戻るのには早過ぎるので、急に思い付いて「和田倉門の銀杏並木にギンナンの生る時期ではないか?」と考え、その足で向かうことにした。



銀杏の木の上の方を見たら、なにか生っているように見えた。


都バスを乗り継いで東京駅丸の内南口まで行き、そこから数分歩く。
内堀通りの手前で銀杏並木を見ると、大きな木の上の方がなにか違和感を感じた。

緑の葉っぱと違うようだし、色も少し黄色みがかかっているのに感じた。
近付いて見上げたら、ギンナンが鈴なりだった。
私の怪しい記憶では、例年より早いように思う。



近付いてカメラの望遠レンズで覗いたら、大量のギンナンが生っていた。


木の下に行き、上を見る。確かにギンナンである。
この銀杏並木の葉は、他の銀杏より葉の大きさが小さい。
だから良く見ないと、葉とギンナンの区別がつき難い。

私が上に向けてカメラを構えていると、通り掛かる人が不思議そうな顔をして上を見る。
そしてギンナンを見付け、「ギンナンですかー」と言う。
みんな自然には興味を持っているようだ。



ギンナンは黄色く色付いていたが、まだ熟してはいない。


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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