9月5日で東京パラリンピックが終った。
競技自体は私はあまり見なかったが、オリンピックもパラリンピックも何ごとも無く終りホッとしている。

オリンピック村は我が家からすぐ近くなので、警護の為に海上保安庁の警備艇が朝潮運河に停泊しているのをいつも窓から見ていたが、それもいつの間にか消えていた。
選手や関係者の送迎の為の大型バスの駐車場は築地場外市場の跡地に作られ、そこに駐車していた多数のバスも夫々の会社に戻って行った。



バスが去り、ガラ空きの築地駐車場。


そして駐車場にはバスに代わって、大型トラックが駐車しているのが目立つようになった。
オリンピック村を去る選手達の大きな荷物や、道具などを運び出しているのかもしれない。

またここは既に分譲住宅としての販売も行われたので、部屋のリフォームの為に選手達が使った設備なども搬出しているのかもしれない。選手が使ったベッドは、コロナ患者を収容する施設で再利用されるらしい。



バスが去り、オリンピック用の乗用車が戻って来た。


しばらくするとトラックも去り、駐車場はガランとして来た。
代りにオリンピックで使用した、小型の乗用車が駐車しているのが見えるようになった。

この乗用車は車体がオリンピックカラーに塗装されているので、IOCとの契約でそのままでは中古車市場には出せないだろう。車体を塗り替えるのか、或いは廃車にするのだろうか?
全部で200~300台はあるのではないか? 私の目には、全てが大盤振る舞いのオリンピックだった。



オリンピック・カラーから通常のライトアップに戻った。


暗くなって気が付いたが、東京タワーのライトアップも通常のオレンジ色になった。
またオリンピックカラーにライトアップされていた隅田川の3つの橋、「築地大橋」、「勝鬨橋」、「佃大橋」もライトアップが終り暗くなった。都バスもオリンピック期間は通行止め、経路変更などがあったが、こちらは東京フォーラム前とオリンピック村の中が9月30日まで規制が続いている。



都バスは「有楽町駅」と「東京国際フォーラム」はパスした。


9月12日にオリンピック・パラリンピックの為に閉鎖されていた、環状2号線が通行可能となった。
そこで早速、豊洲市場へ納品と仕入れのためのトラックや、軽自動車が走っている。
私は興味を持ってこの道の側道を通って、オリンピック村の「その後」を見に行った。

以前は検問所があった場所で、建物の解体が行なわれていた。
選手達が宿泊していた建物から各国の横断幕も撤去され、以前のように戻っていた。



選手村入口の検問所の解体が行なわれていた。


選手村の入口では警備員がいてまだ入場制限をしていているので、私は中には入れなかった。
中ではそれぞれの業者が、オリパラで使用した部屋のリフォームを行っているのだろうか?

デベロッパーは分譲住宅として販売したからには全てを新品にしなければならず、壁紙、水回り、便器、バスタブ、エアコンなどは全て取り去り新しいものに入れ替えるのだろう。
そうなると、大量の中古品が市場に出回りそうだ。



選手村の窓から下がっていた横断幕も消えた。


築地の駐車場はガランとした。海上保安庁の警備艇も去った。オリンピック村は静かになった。
銀座の町を彩っていたオリンピックの旗や幟も取り払われた。
みんなオリンピック前の光景に戻った。でも、どこかに「宴の後」の寂しさが漂っている。

「宴」というものは終れば「何でも」、「誰でも」が元の生活に戻り、宴があったことさえも忘れてしまう。その繰り返しが「人生」というものかもしれない。



朝潮運河から海上保安庁の警備艇は去って行った。


(おまけの話)
オリンピックとパラリンピックに参加した世界からの選手達が、大会期間中にオリンピック村からツイッターやYOUTUBEを使って中の様子を伝えていた。
色々と面白い投稿があったが、発展途上国からの選手達は「ウオッシュレット」に驚いている。
また選手村から東京のビル群に沈む夕日に感動していた。
そんな中で一番、評判が良かったのが選手村の食堂のようだった。



これ等の車は走行距離は1000キロも走っていないと思う。


品数の多さ、料理の美味しさなどに感激している投稿が多かった。
ところが韓国オリンピック協会は東京オリンピックに出場する韓国選手団のために、調理師と栄養士を派遣し、選手村近くのホテルを丸ごと借り切って給食支援センターを設け、韓国から空輸した韓国産食材で作った弁当を開催期間中、選手団に供給していた。

福島産の食材が放射能で汚染されているという理由のようだ。
全くの嫌がらせで、調査資料によると、ソウルの放射線量の方が福島より高いそうだ。



東京フォーラム前は重量挙げ競技の為に通行止めだった。


選手村での「ある投稿」が、韓国国内で物議を醸している。
それは韓国のユニフォームを着た人物が、選手村の食堂で食事をする風景である。
画面には「夜食、本当に美味しいです」と感想が書かれている。

韓国のネットでは「国に帰って来たら、謝罪しろ!」とか、「あんな奴は選手生命を絶て!」など過激な投稿が溢れているようだ。「なんでも反日」をしている彼らを可哀そうに思う。反日を煽り続けて来た韓国歴代大統領にも責任がある。



「ホテルマリナーズコート東京」より先は選手村。


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

アクセス総数:1,395,321

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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