
心の伊達市民 第一号
大江戸温泉物語
ブログ閉鎖中の話題(2017年9月6日)
マンションのデジカメクラブのただ1人の女性会員からメールが届いた。
「夏休みに家族と(大江戸温泉物語)に行って来ました。その時に分かったのですが、毎週月曜日と火曜日はシルバーデーで、通常料金が2612円のところが半額になります。更に勝どき駅から無料の送迎バスが出ていますので、良かったら皆さんでお出掛け下さい」とあった。

大江戸温泉入口。
大江戸温泉物語というのは新橋駅から出ている「ゆりかもめ」で8駅目のテレコムセンター駅で降りるとすぐの場所にある都会型温泉である。
この形の温泉が日本で最初(1955年)に出来たのは「船橋ヘルスセンター」で、それに刺激を受けて開業したのがJR錦糸駅前にあった「江東楽天地」ではないかと思う。

ここで靴を脱いで下駄箱に入れてから、フロント(左側)に行く。
その後、都会型温泉施設は人気が離散してしまったが、1990年頃になりボーリング技術の進歩により「どこでも本物の温泉が出る」ようになり、各地に都市型温泉が出来たのである。
大江戸温泉物語は2003年に開業したが、その頃に私は1度だけ行った覚えがある。
でも田舎の侘しい天然温泉が好きな私は、その後は都市型温泉には興味が無く行かなかった。

チェックインが終ると奥に進み、ここで浴衣を選ぶ(女性コーナー)。
今回はせっかく案内をもらったのだからと思い、また老人にお楽しみも与えるという意味合いで「大江戸温泉に行きませんか?」と、お盆が終った頃にデジカメクラブの会員に案内を出した。
そうしたら参加希望者は私を含めて3人しかいなかった。でも中止というのも悪いので、計画を実行した。

浴衣に着替えて進むと、こんな場所に出る
大江戸温泉に行ってみて驚いた。老人がほとんどいないのである。
目に付くのは若い女性と若い男性である。見た目では20代から30代ではないかと思う。
しかも行った時間が午前11時頃なのであるから、普通なら彼らは働いている時間である。
本当は彼らに「仕事は何ですか?」、「今日はお休みですか?」と聞いてみたいのだが、さすがにそれは出来なかった。

途中では色々な昔懐かしいような遊びが待っている。
一方、意外に多いのが外国人観光客である。白人も多いが、中国人、韓国人が多い。
フロントでロッカーのカギを受け取る。
それが帰る時の清算に使われるので、温泉内では全ての飲食、買い物はこれを読取り機にかざせば「ピー」で済むので外国人にも分かり易い。
カギをもらったら、次は浴衣を選ぶ。かなりの数の中から自分の好きな柄を選ぶ。

ここを入ると男女別の浴室がある。(ここより先は撮影禁止)
そしてロッカーで浴衣に着替えて浴室に向かう。浴室までの途中は買い物、食べ物をさせる店が並んでいて浴室まで素直に行かせない。浴室は風呂屋を大きくしたようなもので露天風呂もあるが、田舎の自然の中の温泉が好きな私には予想通りであったが向いていなかった。
でも「なぜこんなに若い者たちがここへ来るのか?」は最後まで分からなかった。それが年をとったということなのだろう。

温泉から上がったら、2階に休憩する場所がある。
(おまけの話)
デジカメクラブの女性Sさんから知らされた「勝どき駅から無料送迎バスがあります」を利用したいと思い、ネットで時刻表を確認して「10時35分に勝どき駅」を見付けた。
そして駅前の道路で、暑い日差しの中を送迎バスを待った。

若者向けなので、アニメ風の絵が至る所にある。
ところが時間を10分過ぎてもバスは来ない。焦る。
大江戸温泉の連絡先が分からないので、情報を知らせてくれたSさんに電話する。
なにしろジジイ3人は誰もスマホを持っていないのだから・・・・。
こんなことで、初めてスマホの必要性を感じた。

この前で若い女性に頼んで記念撮影をした。
彼女から電話番号を聞いて大江戸温泉物語に電話する。
そして説明に驚いた。「8月1日から午前中の無料送迎バスは中止となりました」。
「えー!」と思った。私に断りもなく、中止とはあんまりだ!
仕方ないので、都バスに乗り換えて東京ビッグサイトまで行き、そこから「ゆりかもめ」に乗り換えて2駅先のテレコムセンターまで行ったのである。温泉に入る前にすっかり汗をかいてしまった。

天井を見上げると江戸とアニメがコラボしていた。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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09/13(火) 終わりなき研究をしつづけるために〜谷藤貴昭さんの『チョコレート研究室』
店を継ぐ決意とチョコレート ごはん処「たにふじ」は室蘭の有名な老舗です。 主力商材は仕出し弁当。 もちろん、店内でお食事をすることも出来ます。 さて、北見のパティスリーで8年間パティシエとして活躍をされていた谷藤貴昭さんは、2021年9月にお父様が営む「たにふじ」を継ぐ決意をして帰郷されました。 今回は、ごはん処「たにふじ」の三代目 谷藤貴昭さんを取材させていただきました。 ただし、お話を伺ったのは和食の料理人としてではなく、bean to barを手掛けるパティシエとしてでした。 そう、貴昭さんは「たにふじ」を継ぐ決心だけではなく、チョコレート研究室を室蘭に立ち上げるために帰郷したのでした。 挑戦したかったチョコレートは、カカオ豆からチョコレートまでを一貫して手掛ける製法のbean to barチョコレート。 様々な産地から原料を仕入れ、カカオ豆という原点からオリジナルのチョコレートを製造されています。 オリジナルチョコレートとの出会い 高校卒業後調理師専門学校に進学した貴昭さんは、在学二年間のうち一年間は調理の勉強を、一年間は製菓の勉強をしました。 そして、卒業後は北見のパティスリーに就職、持ち前のコツコツ気質が徐々に頭角を現わし、1年に1度開催される国内最大規模の洋菓子コンクール「ジャパン・ケーキショー東京」では、銅賞の受賞するほどにパティシエとしての腕をあげていきました。 ところが、順調にスキルを磨いていた頃、コロナが蔓延し始めました。 「今年もコンテストで頑張ろう!と思っていた矢先のことでした。全精力を注ぎたいと考えていたのですがエントリーは叶いませんでした…。でもその時、そのエネルギーをお菓子に関わる何か未知のことに向けたい!!と、気持ちを切り替えることにしました。それがチョコレートでした。」 コロナだからと凹まず、エネルギー転換をする。 全てのことにおいて、その転換が出来た人が成功を手にしているような気がしています。 「当時お世話になっていたパティスリーのオーナーシェフが、フランスのチョコレートメーカー『カカオバリー』が行なっていた、オリジナルチョコレートを作れるサービスシステム(オ・ル・ノワール)の提供を受けていらっしゃいました。そして、店独自のチョコレートを作っておられたことに強く影響を受け、チョコレートに大きな興味を持つようになりました。」 それは、パティシエとして扱う素材の一つ、チョコレートが特別なものに見えた瞬間でした。 けれども貴昭さんは、オーナーの真似に止まりませんでした。 自分のオリジナルチョコレートを作りたい! 「カカオ豆からチョコレートを作るbean to barに挑戦しよう!」 そう考えた貴昭さんは、” 将来は親の店を継ぎたいこと “ “ どうしてもbean to barに挑戦したいこと “ をオーナーシェフに相談をしました。 すると、理解をしてくれたオーナーシェフは、店の厨房を貸してくれ、同時経営をしていたカフェの一角で販売することを認めてくれました。 こうして夢への第一歩を歩き出した貴昭さんは、オリジナルチョコレートのブランド名を「チョコレート研究室」としました。 「ところで、なぜ、『研究室』と名付けたのですか?」 「カカオ豆からチョコレートへと加工する『bean to bar チョコレート』に挑戦したいと思ったものの、当時はそのやり方を全く知りませんでした。そこで『bean to bar チョコレート』の数少ない実践者(全国でも少ない)に教えていただいたり、独学をするなどして工程を習得していきました。同時に『チョコレート検定』にもチャレンジをしてカカオ豆の知識はもちろん、チョコレートの歴史なども学びました。カカオ豆の香りや味わいは、産地によって全く違います。それが、焙煎具合や洗練時間、副材料によって複雑に混ざり合った結果、芳醇な香りを作り出すことができます。学んでも学んでも、本当に奥が深い世界で、日々研究をし続けなければなりません。だから研究室にしました。」 なるほど…。 地道な努力を続けようとする、貴昭さんの決意の現れなのですね。 「たにふじ」に工場を作る! さて、帰郷した貴昭さんでしたが、「たにふじ」には製菓スペースがありませんでした。 保健所の許可を得るためには、料理をする厨房とは別に工場を作らなければなりません。 そこで、ご両親の許可を得て、亡くなった御祖父様の寝室を工場にさせてもらうことにした昭貴さんは、2022年4月、クラウドファンディングで資金を集めることにしました。 そして見事に資金集めに成功。 元寝室が、念願の工場に生まれ変わりました。 「室蘭にオープンされて5ヶ月ですね。チョコレート研究室を通して皆様に伝えたいことがあれば聞かせていただけますか?」 「実は、現在日本に入ってきているカカオ豆の産地はそのほとんどがガーナ産なのですが、カカオ豆は産地によって香りやテクスチャーが全く異なるのです。その違いを含めてチョコレートや産地に興味を持っていただけたら嬉しいです。それと、カカオ豆農場で働く人々の労働環境などを考えて、可能な限り正当な取引をしようとすると実はとても高価であることに気づきます。そういうことも含めて、チョコレートについての認識を新たにしていただき、チョコレート研究室を通してチョコレートの価値を上げていきたいと考えています。」 取材させていただき、チョコレートの社会問題をも含めたその深い歴史と、魔力とも言える魅力に満ちたbean to barに惹き込まれました。 そして、bean to barに取り憑かれた貴昭さんが、コツコツとひたむきにチョコレートと向き合う姿に、原点を知る人の真の魂を見た気がしました。 本物との出会いに感謝しながら、ショコラとコーヒーのジュレを堪能させていただきました。 ―チョコレート研究室情報― ※ 公開初日に「貴昭さん」のお名前を間違えて公開してしまいました。誠に申し訳ございませんでした。
Rietty
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