勝どき通信の読者のみなさまへ


以前の住まいの小金井に住んでいた時は、「江戸」という言葉にほとんど縁が無かった。
ところが「ここ」へ越して来たら、突然、江戸に関わることになった。
史跡、祭りなどで、江戸が身近になったのである。
でも私が「江戸っ子」になったわけではない。



「小奈木川五本まつ」(江東区)


江戸という範囲は「どこから、どこまでか?」と気になった。
なぜなら「大江戸八百八町」という言葉があるが、隅田川を越えた私の住む「勝どきは江戸か?」と気になったのである。ネットで調べると、現在の地名で「千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、墨田区、江東区、渋谷区、豊島区、荒川区、そして区内の一部だが品川区、目黒区、北区、板橋区、練馬区の5区」が含まれていた。どうやら現在の東京23区より、少し狭い地域らしかった。



「神田明神曙乃景」(千代田区)


私の友人に「江戸っ子」はいない。
マンションの友人達も生まれは「香川県、愛知県、栃木県、千葉県」など田舎者である。
女房の女性の友人に江戸っ子が2人いるが、1人は気風が良く江戸っ子らしい。


もう1人はボーとしていて、田舎の出のように見えるが、実は日本橋の生まれの江戸っ子だった。
ところが、なんと私の住む中央区の山本区長は生粋の江戸っ子なのである。あの有名な日本橋の老舗「海苔の山本」の副社長だった人である。



「佃しま住吉乃祭」(中央区)


ところで最近は散歩の目的地が無いと、出掛けるのも億劫になって来た。
そんな時に図書館で「今とむかし 広重名所江戸百景ー江戸と東京」という本を借りて来た。
この本に登場する現在の場所を訪ねる散歩に出れば、かなり暇な私は日数が稼げると思った。


暇というのは私にとっては結構、辛いもので、独居老人ならいいのだろうが家族がいると違う。
女房に家事や食事の世話になっているのだから、あまり勝手な振る舞いも気兼ねで出来ない。



「鉄砲洲築地門跡」(隅田川の向かいは「治作」)


「江戸百景」の順番に廻るとアチコチに飛ぶので、その時の都合で行くことにしたので順不同になった。
最初に行ったのが「小奈木川五本まつ」である。


これは現在の深川にある小名木川のことで、徳川家康の命令で作られた運河である。
隅田川と旧中川を結ぶ水路で、途中に東京では珍しい2つの川の水位を調節するロックゲートがある。
現在でも「5本松」だけは植えられているが、浮世絵とはまるで違う風景となっている。



「昌平橋聖堂神田川」(お茶の水駅近く)


「神田明神曙乃景」にある神田川は、現在は建物が邪魔して見えない。
「佃しま住吉乃祭」は近所なので、よく行く場所だ。ここは神社ということもあり、現在でもほとんど絵と同じである。「鉄砲洲築地門跡」は隅田川の佃側から対岸の築地本願寺を描いているが、現在は見えない。
「昌平橋聖堂神田川」は現在のお茶の水駅近くの神田川を描いている。



「京橋竹がし」(中央区京橋)


「京橋竹がし」は水路が首都高速道路になっているし、「駿河台水道橋」も神田川がコンクリートでで固められ、浮世絵の雰囲気は全く無い。私は「江戸百景」をプリントして持参し、それと現在の比較をしながら訪ね歩いている。


図書館で借りた本には江戸百景を描いたと思われる場所の地図が示されているので、それもプリントして持参した。歌川広重の描いた世界に浸ろうと思って歩いているのだが、コンクリートで囲まれた「現在の江戸」ではとても無理なようだ。



「山下町日比谷外さくら田」(ガードの間から見えるのは帝国ホテル)


(おまけの話)
広重の「江戸百景」を見ると、川と運河が描かれているものが圧倒的に多い。
江戸時代は物資の運搬に船を使っていたようで、その為に江戸には多くの運河が作られた。
現在は多くの運河が埋め立てられてしまい、そこが首都高速道になったり公園になっている。
一部は「親水公園」という名で、元は川だったことを残している。



「駿河台水道橋」(信号の向こうは水道橋駅)


今から50年近く前の1973に年にヒットした、南こうせつ作詞作曲の「神田川」という曲があった。
江戸百景の中の「昌平橋聖堂神田川」と「駿河台水道橋」に神田川が描かれているので思い出したのである。


【貴方はもう捨てたのかしら 二十四色のクレパス買って 貴方が書いた私の似顔絵 巧く書いてねと言ったのに いつもちっとも似てないの 窓の下には神田川・・・・・】
あの頃はフォークソングが流行ったなー。



コマーシャルにも登場する「えびす様尊像」(神田明神)


神田川は井之頭公園の池を水源として流れ出し、水道橋駅の少し手前で日本橋川に分流する。
そして九段下で女房の生まれ育った家を左に見ながら、お江戸日本橋に流れて行く。
「東海道五十三次」の出発点である日本橋の橋の下を流れて、隅田川に入る。


そして勝鬨橋の下を流れて我が家の近くを通り、東京湾に注ぐ。川は流れる。
だから女房は勝どきに引っ越して来ても、生まれ故郷と繋がっている。
そしてまた演歌が頭に浮かんで来た。美空ひばりの「川の流れのように」である。
コロナが収まり、またマンションの友人達とカラオケで「川の流れのように」を歌いたくなった。



御茶ノ水駅と水道橋駅の中間地点で


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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