心の伊達市民 第一号
【東京ミッドタウン八重洲】
3月10日に東京駅前に「東京ミッドタウン八重洲」がオープンした。
六本木、日比谷に続き、3ヵ所目である。初日は混むので、少し経ってから行ってみた。東京駅八重洲地下街から、地下道で直接行けるのは良い。
低層ビルとタワービルの2棟から出来ていて、低層階には「日本でここだけ」という区立小学校が入居している。
地下1階と3階はレストラン街で、目新しい店も多く入っている。
2階と3階は新しいコンセプトで、斬新さを売り物にしていショップがある。
4階以上はオフィスになっていて、一般の人は入れない。一度見たので、「もういい」という感じだった。
【儀装馬車の開始】
3月8日に皇居で外国大使の着任を天皇陛下に報告する「信任状捧呈式」で、儀装馬車を使った送迎が再開されたのをテレビニュースで知った。私が1月に皇居前に行った時に、儀装馬車の練習風景に出会ったことがあった。それが3月8日の再開の為の練習だったのだと分った。
着任する大使が希望すれば儀装馬車を使用するが、ほとんどの大使は希望するようだ。
荒天の場合は自動車になるが、その日の大使はガッカリだろう。
しかし以前は儀装場所の予定が宮内庁のホームページに出ていたが、最近は事前の告知が無くなった。世界の趨勢から、テロを恐れているのかもしれない。
【もう12年】
私がここへ越して来たのは、2011年3月10日だった。毎年、必ず思い出す。
その理由は、12年前の東日本大震災の日(3月11日)の前日(10日)に越して来たからだ。区役所に行って転入届の手続きをしている最中に、ガタガタと大きな音と共に建物が揺れた。
かなり古い建物なので、2階の床が抜けて倒壊するのではないかと思った。
『ここで死ぬのかな?』とさえ思ったほどだった。
その後の原発事故の発生があり、「日本も終りか!」と思った。
そのことを思い出すと「日本はよくここまで来た」と、現役の人達に感謝している。
【帆船「海王丸」】
3月2日に帆船「日本丸」が、晴海埠頭専用桟橋から出港する写真を撮りに行った。
その後、3月9日に帆船「海王丸」が午前10時に入港すると知った。
海王丸がレインボーブリッジの下を通過する写真を撮ろうと思い、1時間前に行ってみた。
消防署の手前で、屋根の上からマストのような柱が見えて嫌な感じがした。
現地に着いたら、既に海王丸は着岸していた。
出航は時間通りだが、入港はその時の事情で変わることが多いらしい。
【個室ブース】
3月13日から新型コロナウィルスの感染防止のためにマスク着用が、「個人の判断に委ねる」となった。
それが影響したのかマスクの安売りが起こり、サラリーマンが出社するようになった。
それを感じるのは、通勤時間の都バスが混むようになったことである。
また地下鉄駅などに設けられていた「有料個室オフィス」に「使用中」のランプが点かなくなった。もともとあまり利用度は高くなかったように感じていたが、それがハッキリした。狭い「有料個室オフィス」を使うより、カフェの方が良いと思うサラリーマンが多かった。
【晴海客船ターミナルの解体】
家から歩いて15分くらいのところに、晴海客船ターミナルがあった。
1991年に開業したが、入港する豪華クルーズ船が巨大化してレインボーブリッジの下を通過できないので、2022年に閉鎖された。
以前は外国からのクルーズ船が入港すると、水上消防署の船艇が歓迎の放水をしたり、桟橋では和太鼓の演奏などがあり、時々、私は見に行っていた。
そして現在は解体控除の真っ最中である。壊すのは簡単だ。大型重機が何台もで、埃を巻き上げながら壊している。埃の中にホースで水を掛ける人が見える。解体後は何が出来るのだろう?
【ビルの窓ガラス拭き】
タワーマンションは自分で外から窓ガラスを拭けないので、定期的にガラス拭きの人がやって来る。ゴンドラに2人が乗って上から降りて来る。予定日は知らせて来ているが、突然、窓の外に人間が現れると毎回、驚く。
一方で低いビルではロープ一本に命を賭けて、ブラブラと揺れながらガラスを拭いているのを見掛ける。見ている方が怖くなる。昔は「山岳部の学生のアルバイト」と聞いたことがあるが、いまは専門家だろうと思う。ゴンドラ事故は聞くが、ロープの方の事故は聞かない。安全性が逆のような気がする。
(おまけの話)
【誕生日】
3月は私の誕生月である。もう「何歳になったか?」は数えたくなくなった。
『正月(誕生日)は冥途の旅の一里塚。めでたくあり、めでたくもなし』
この言葉は「一休さん」でお馴染みの一休禅師が言ったとされる。
自分のこととして感じるのは、「まさにその通り!」である。
でもどちらかと言えば、「めでたくない」の方が多い。
マンションの友人と、カフェでお茶を飲みながら話したことがある。
私『Xさんは父親の人生を、どのくらい知っているの?』
X 『知っているようで、良くは知らない。父親の思い出はあるが、それだけだ』
私『何歳で亡くなったの?』
X 『67歳だった』
私『私の父は56歳で亡くなった。若い頃にブラジルに住んでいた。今になると、もっとその頃のことを聞いておけばよかったと思う』。
私もXさんも、子供達に自分の人生を詳しく話したことは無い。
営業マンだったXさんは、朝早く家を出て、夜遅く帰って来た。
しかも子供の教育は、当時の世間と同じで妻任せだった。
子供は父親のことは妻から断片的に聞いていただけなので、その時に『私がどう考えていたのか? どうしたかったのか?』などのことは知らない。
普通の親子は親の経験を子供に申し送りしていないだろう。だから子供も自分で失敗を経験して、成長するのかもしれない。子供が思っているほど、親は単純な人生ではないのが今になって分かるようになった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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