
心の伊達市民 第一号
都バスと「ゆりかもめ」の「東京国際クルーズターミナル駅」は、以前は「船の科学館」という名前だった。それが2019年に東京国際クルーズターミナルが完成した時から、駅名が変ったのである。その「船の科学館」の付帯設備に南極観測船「宗谷」がある。「宗谷」という名前を聞いて、「懐かしー!」という人は、相当の高齢者だと思う。
その名を知らない若い人の為に,「船の科学館」のホームページには次のように書かれている。
「宗谷は1938年に耐水型貨物船として建造され、太平洋戦争を経験、その後、引揚船、灯台補給船となり、1956年11月からは日本初の「南極観測船」として1962年㋃まで、6次にわたる南極観測に活躍しました。その後、1978年に退役するまで、海上保安庁の巡視船として活躍。1979年から「船の科学館」前に係留され保存されています」。
岸壁に係留されている「宗谷」は、手入れが良くなされている。船の塗装も真新しい感じがした。オレンジ色の船体の舳先の方に、「宗谷」と「SOYA」と船名が白で書かれている。真っ白なロープ3本で、杭(ボラード)につなぎ留められてある。
その前には巨大な宗谷のスクリューが飾ってある。材料は真鍮のようだ。
船橋は真っ白である。全てが私の若い頃に、テレビか新聞で見た光景である。
私は何回かこの前を通り写真を撮ったことがあるが、今回初めて乗船したのである。
見学は無料であるが、入口に受付がありパンフレットを渡された。
その時に係の女性から、『出来ましたら、宗谷を維持するための寄付をお願い出来ませんか?』と言われた。私は寄付する気持ちはあったが、『見た後に寄付します』と言って、階段を上り船内に入って行った。
見学は順路を示しているので、それに従う。船内は通路も狭く、思ったより狭い。
通路両側には船員の部屋がある。役職により部屋の造りが多少違う。部屋には二段ベッドが置かれているが、かなり長さが短いように感じた。当時の日本人は背が低かったのだろう。
調理室、医療室、食堂、機関室などをドアの外から見るようになっている。一番上には操舵室があり、その近くに船長室があるが、ここだけは近くに寄れないので中が良く見えない。私の見学の間にも誰も来ない。約20分くらいを掛けて、ゆっくりと船内を見て廻った。
南極探検隊と言えば「タロ」と「ジロ」の話があり、当時の日本人はその奇跡のような物語に感動した覚えがある。
第一次越冬隊が悪天候に阻まれて、撤退せざるをえなかった。その時に昭和基地から宗谷まで小型飛行機で戻る時に、重量の関係でどうしても19頭の樺太犬の内の15頭を置いて帰らざるをえなかったのである。
しかも犬を鎖に繋いで来たのである。これは日本中で大バッシングを受けた。第二次越冬隊は断念し、1年後に第三次越冬隊が昭和基地に到着した。その時になんとタロとジロの2頭が生き残っていたのである。
これは日本中が感動して、映画にもなった実話である。
さて船を降りてから、受付に行った。そして500円を箱に入れた。
「見学は無料」と書いてあるのだから、あまり高額の寄付はしたくない。
受付の女性に聞いてみた。
『誰も見学していなかったが、1月に何人くらい見学しているのですか?』
彼女は『コロナの影響で、1月に2500人くらいです。コロナ前は修学旅行の生徒も来ていたので、その倍以上でした』。
その人数は私の予想をはるかに超えていた。1月に100人も来れば、いい方だと考えていたからだ。私の青春時代を思い起こさせてくれた「宗谷」の見学だった。
(おまけの話)
南極観測船「宗谷」を見に行くために、勝どき駅前から都バスに乗ろうと思った。
ところがそこで「オーバーツーリズム」に付いて、考えさせられる事件が起きた。
「宗谷」は「東京ビッグサイト」行きに乗り、「かえつ学園西」で「東京テレポート駅前」行きに乗り換える。「東京ビッグサイト」行きは、いつも混んでいる。
ところがこの日はバスが来ても、満員で乗れなかった。
次のバスが来たが、やはり満員で乗れなかった。私の前には外国人家族が5人、その前に会社員らしい女性が1人待っていた。
その女性は焦ってバスの前に立ち、「1人だけでも乗せてくれー!」と大声で必死に運転手に訴えたが無駄だった。外国人家族は諦めて、スマホを見ながら歩き出した。
私の今までの経験では、この路線は「新豊洲駅前」でほとんどの外国人が降りてしまう。
彼等は観光客で、築地市場の見学の後に豊洲市場へ行くのである。
私のようなこの地区に住んでいる者には、全く迷惑なことである。これは「オーバー・ツーリズム」であると思う。
世界各地の観光地で同じことが起きていて、今では大きな問題となっている。
私は家に戻ってから、都バスの「お問い合わせ」に事情と対策を書いてメールで送信した。その概略は次のようなメールである。
『勝どき駅前から東京ビッグサイト行きに乗ろうとすると、バスは満員でドアも開けずに走り去ってしまう。こんなことが続いている。そこで時間帯によっては便数を増やして欲しい』
『それとほとんどの乗客が新豊洲駅前で下車して行く。彼らは豊洲市場に行くのだから、東京駅発豊洲市場行きの路線を作って欲しい』。
この回答はまだ来ていないが、来た時は報告したい。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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BROCKEN代表 佐藤大輔氏 〜「もったいない!」に背中を押され、ゆるっと しれっと 熱い人
今回の主人公は「BROCKEN」代表 佐藤大輔氏。 「一体全体この人は何者なんだろう?」 そんな筆者の興味からオファーを入れた取材でしたが、正直「しまった…」と思いました。 何故ならば、一つにはプロの編集者でライターさんだったことをうっかり忘れていたこと。 そして、ネタが豊富すぎたこと。 「やっちゃった…」と思いました。 さて。 待ち合わせたのは地球岬にある「崖の駅」でした。 きっと、この画像に書いてあることをもれなく読んでいただくだけで、佐藤さんの「ゆるっとしれっと感」が伝わるかと思います。 なので「これにて終了〜」と、してしまう手もありかな…。 そんなことを思ってしまうほど、取材させていただいた2時間はヌマでした ^^; 佐藤さんったら、面白すぎます。 危うく、すっかりハマった足が抜けなくなるところでした。 気を取り直して佐藤大輔氏略歴から 1)1982年10月 室蘭生まれ 高校生までの18年間を室蘭で過ごす。 〜室蘭中島町生まれだそうですが、その記憶はほとんどなく、あるのは高砂町に住んだ頃のこと。その後の大輔氏は、生まれ故郷「室蘭」の刷り込みを実感する場面に何度も出会います。 2)中国留学。その後、当時、道内唯一中国語学科のある大学に進学。 〜なぜ中国語なのかは、「なんだかよく判らない」という面白さに惹かれたのと、 「これからは中国語を学んでおくと良さそうだ」と直感したのがその理由。 3)大学卒業後、JTBに入社し二年間在職。 人に旅を売るより自分が旅をしたくなり世界一周の旅に出る。 〜なぜ狭き門で自分が採用されたのか気になり上司に尋ねると、なんと「ギャンブル枠採用」と言われたそう。 JTBでは曹洞宗の檀家さん向け「団体参拝」の営業を経験。隣のチームは日蓮宗担当されていました。 旅行業界の興味深い背景です。 「特に旅行業界に興味があったわけではないんですよね。 外国語が活かせるかな〜?くらいの気持ちで受けたら採用してもらえました。 でも「ギャンブル枠採用」って、納得しました笑」 世界一周の旅へ 「檀家さんたちに営業の仕事をするうちに、『人に旅を売るより自分が旅をしたくなった』というわけですね。」 「そうなんです。世界一周しよう!と思い立ち、半年間の有効期限で世界を周れる『世界一周堂』という会社が売っている『一周券』を利用しました。」 なんでも、5大陸の内、何大陸を選ぶかによって値段が変わるそうで、最初に選んだアライアンスの航空会社で決めた日時しか乗れないという縛りがあるのだそう。 その時、大輔さんが選んだ旅は半年間の移動代が40万円という格安のものでした。 なんという魅力的な!! 筆者も行きたい…。 うずうず…。 「その旅の中で印象深く忘れられないエピソードを教えていただけますか?」 「よく言われますが、インドへの旅はその後の自分の人生観に大きな影響をもらったと思っています。あそこにはまだカースト制度の名残があって、乞食として生まれ乞食として死んでいく人が今でもいるわけです。汚水の中を歩いて生活する様な…ね。でも、目がとても綺麗で、白目の光の強さに圧倒されました。そして気付いたのは、目の綺麗さと貧富の差はイコールじゃないということ。言い換えれば『金持ちにならなくても幸福はある』というか。どういう風にしても生きていけるんだよな…って思ったんです。」 こういうエピソードにも大輔氏の『ゆるっと熱い』感が溢れています。 「でね、肺炎で入院したんですよ。」 「そうそう!そういえば、旅する間のアトラクション的楽しみを持ちたくて、『1カ国につき1回はぼったくられても良しとする』というルールを自分に決めていました。どこの国でもボッタクリって普通にあるんですが、それを通してその国が少しわかるような気がして。でもこれって『傲慢』な考えでもあるよな…とは思っていました。」 ぼったくりエピソードもたくさんお持ちのようですが…。 本当にヌマから抜け出せず帰れなくなりそうだったので、ほどほどで切り上げさせていただきました ^^; 気になる方は是非ご本人に会って聞いてみてほしい! 本当はもっと旅を続けたかった大輔さんは、先輩の結婚式に呼ばれたことをきっかけに、旅を途中で止めて帰国してしまいました。 「まあ、結果的には旅には満足したんですけど、少し後悔しているのは一周券を買ったこと。あらかじめルートを決めて旅に出るものだったので、ある意味自由を奪われてしまったわけです。だから、途中で気が変われない。気に入ったから滞在を延ばすってことも許されない。あの旅は、自分にとっての何回目かのモラトリアムだったので、そもそも目的がある旅ではなかったんですけどね。実に勿体ないことをしたな…って思っています。もっと何て言うか、沢木耕太郎の『深夜特急』のような旅をしたかったな…って。とはいえ『深夜特急』に出会ったのも旅の途中だったので、最初から手遅れでした笑。」 なるほど。 世界一周こそしませんでしたが、若かりし頃、一人ふらふらと行き当たりばったり旅ばかりしていた筆者にも、なんとなく大輔さんのお話の意味がわかる様な気がしました。 「ところで、いま振り返ってみてもう一度行きたい!と思うところはありますか?」 「イースター島かな…。実はイースター島まで行ったというのに、なんと室蘭を思い出しっちゃったんです。イタンキ浜の上の丘の膝丈の笹とか、ローソク岩とか、海とセットで色々思い出して『似ているな…』って思ったんですよね…。」 イタンキ浜の丘にそっくりな風景があったりして、モアイ島に居ながら室蘭を思い出してしまった大輔さんでした。 そして再び略歴の続き 「僕、根本的にはマイナス思考だし、実は結構真面目なんですよ。」 大輔氏は自分をそう分析します。 前職から逃げる様に世界一周の旅に出たにも関わらず、「不自由な旅をしてしまった」と悔い、「勿体ないことをしてしまった」と思ってしまうマイナス思考さ加減。 けれども、空の色とか、建築物とか、旅の中でいろいろなものを観て『旅とか観光って人生の栄養なんだな』と思うところ。 ネガティブな部分も含め、旅で得た心の栄養を無駄にはしないと思う真面目さ。 「1カ国1回ぼったくりアトラクション」を許す自分に傲慢さを感じるところ。 イースター島で感じた故郷室蘭を想う気持ち。 確かに自己分析通りだと思います! 4)帰国半年後、リクルート北海道 じゃらんへ入社し、11年間勤務する。 〜苦手な営業部で2年。 編集部では9年働き、仕事はとても楽しかったそう。 「編集の仕事って設計屋なんです。 『なんでそれを作るのか?』『誰が喜ぶのか?』を考える役。 つまり枠組み作りです。その後、デザイナーとライターに依頼をして協働して作っていく。 根が真面目だから、誰かの役に立っているとか、何かの糧になっていると知ると嬉しくなるんです。 でもね。当時の編集長に言われました。『お前の記事は毒が強い。が、薄めれば薬になる。 スパイスだけじゃ味がないんだ。味付けは大事だ。』 この言葉には本当に感謝しています。 すごく心に残っているし、その後の僕の仕事にも生きている言葉です。」 「じゃらん」時代の面白いエピソードを伺いました。 読者の嗜好の指標として、購読前支持率と購読後支持率というものがあるそうなのですが、 その過去最低の数字、購読後支持率3%というのを取ったことがあるそうです。 ところが何故か嬉しそうな大輔さん。 「実は、その時の購読前支持率は1%だったんです。ところが読んだ後に2%増えたというわけです。 小さい数字でも3倍になった!購読後に数値が3倍になるっていうのは滅多にないことなので嬉しかったです。」 5)じゃらん退職後の地域おこし協力隊+α 〜2017年に退職したのち室蘭に帰郷。同時に室蘭市観光課付、室蘭観光協会配属になりました。 同時期、個人事業として『BROCKEN』も立ち上げました。 また、『北海道Likers(当時サッポロビールが運営していた)』のライティングの仕事も始めました。 いつの間にか着実に積み上がっていたキャリアがフルに発揮でき、さらに地域おこし協力隊としての活動で経験値を上げながら、『BROCKEN』の活動も成長させていきました。 「地域おこし協力隊をしながら感じたのは、世界一周から帰国したときにも感じた『もったいなかったなあ』ということでした。それは、室蘭的な良さに触れずに無関心に育ってしまったということに対してです。例えば、蓬莱門・地球岬・イタンキの丘・大黒島の夕陽など室蘭の素敵な風景があったのに、その良さに気づかなかった。」 Uターンをして室蘭を見直した時、何かが外れたように室蘭が見えてきたと言います。 高校を卒業してからの18年間で多くの気づきを得た大輔さんは、「室蘭の良さを発信したい!」と強く想うようになりました。 6)そして今 現在は、個人事業「BROCKEN」での活動と、合同会社「SUM-i-CA」の経営メンバーとしての活動、二本立てで活躍されています。 事業内容はあまりにも多岐に渡っているのでHPをご覧いただいた方がわかりやすいです。 でも、せっかくなので特記するとすれば、というよりも筆者のツボだったのが今回の取材の待ち合わせ場所でもあった「崖の駅運営」と「むろらんくん育成事業」と「たたら製鉄への関わり」のこと。 「この崖の駅はもともと地球岬にあった『毒まんじゅう』の店の空き家利用でした。地球岬は室蘭の顔なのに『もったいないなあ』と思ってね、私設の無人観光案内所みたいなものを作ったんです。堂々と無人と謳っている通り、僕はほとんどいませんが時々母がいます。その時は「むろらんくんグッズ」も販売しています。」 え!? 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