
心の伊達市民 第一号
テレビ番組でたまに見るのだが、都会の色々な場所に置かれているピアノがある。
そのピアノは誰でも弾いて良い。これをストリート・ピアノと言うらしい。
この番組は結構好きで、演奏者が語る世界を垣間見るのが面白い。
色々な仕事の人が、通り掛かってピアノを弾く。もちろんプロもいる。
人前で弾くのだから、みなそれなりの腕前である。
そこで私は調べてみた、「東京のどこに、にどのくらいの台数のピアノが置かれているのだろうか?」。その結果は東京都だけで、ざっと32台あるが、殆どが東京23区にある。
一番遠いのは八王子市で「オクトーレ」という商業施設内にあるようだ。
しかし肝心の私の住む中央区には「1台もない」というのが寂しい、
そこで私は行ける範囲で、ストリート・ピアノを探す旅に出た。
【山手線・高輪ゲートウェイ駅】
JR山手線に新しく出来た「高輪ゲートウェイ駅」にストリート・ピアノが置いてあるのを知った。「高輪ゲートウェイ駅」は2020年2月に開業したのだが、私のその日に駅を見に行った覚えがある。
さすがにその日は「撮り鉄」、「乗り鉄」などで大混雑だった。
その時は駅が出来ただけで、駅の周りにはなにも無く工事が盛んに行われていた。
7月5日に東京駅から山手線に乗り、「高輪ゲートウェイ駅」で降りた。
また駅の周りは工事中なので、この駅で降りる乗客は殆どいない。
駅中央のエスカレーターを上る。左手が改札口だが、エスカレーターの後方に戻る。
そこに立派なピアノが置かれていた。だが誰もいない。
この場所だと誰かがピアノを弾かなければ、気が付かないと思う。
ピアノの置かれた場所といい、その環境といい申し分ないが人がいないのが勿体ない。
【歌舞伎町チェックメイトビル】
初めて知った時は、「歌舞伎町にストリート・ピアノ?」と思った。
7月7日に、そのピアノを見に行った。
場所は歌舞伎町の真ん中で、周りはケバケバしいホストバーの看板だらけの飲食街にあった。地図を頼りに探したが見付けるのが難しかったし、そこここに屯している男に因縁を付けられないか心配だった。
「チェックメイトビル」というのは、いわゆる「ソシアル・ビル」で、テナントは高級バーやクラブのようだった。
ガラス戸から中を覗いたが、暗くて良く見えない。「こんなところにあるかなー?」という思いと、「入っても大丈夫かなー」との思いで入るのを躊躇った。
フロアを掃除するオジサンがいたので、思い切って中に入った。
そこはエレベーターホールになっていて、奥の左手にピアノが見えた。
でも「こんなところにピアノを弾きに来る人がいるかなー?」と、疑問だった。
【渋谷マークシティ】
7月5日に渋谷に行った。井之頭線の乗り口に向かい。渋谷マークシティに入る。
どこからかピアノの音が聞こえて来た。音を頼りに進むと、男がピアノを弾いていた。
特別に上手とも思えなかったが、ストリート・ピアノの条件を満たしていた。
多くのピアノの脇には立て札があり「1回の演奏は1~2曲まで」、「パフォーマンス演奏。歌唱、他楽器持ち込みセッション禁止」、「営業活動禁止」などが書かれている。注意書きが無ければ、誰かがやりそうなことだ。
(おまけの話)
私には残念ながら音楽の素養が無い。
両親ともに音楽には関係無かったし、音楽の話をしているのを聞いたことが無かった。
私の子供時代は戦後間もなくで、教育も混乱していたのだろうと思う。
小学校で音楽の時間があったかどうかもハッキリとは覚えていないが、先生が順番に私達をオルガンのところに呼び、『ドレミファのドの場所を押しなさい』と言った。
でも私はどの鍵盤か分からなかった。
【羽田空港第1ターミナルビル】
中学に入り音楽の時間があった。
先生のあだ名は「シャケの頭」と付けられていたが、髪型が鮭みたいだったのである。
この先生は冬に学校の行事で、我々と一緒に山中湖に行った。
当時の山中湖は今と違い、一面に氷が張った。そこで自慢の中古車で湖上を走ったまでは良かったが、途中で氷が割れて車は湖に沈んでしまった。幸いに先生は脱出して助かったが、「シャケの頭」と言うと、この事件を思い出す。
私が30歳を過ぎた頃に、突然、エレクトーンを買った。
その理由は「子供にお金より思い出として、父親の作曲した音楽を残したい」と思ったからである。初めての楽器なので、若い女の先生を紹介してもらい、家に来てもらった。
そして鍵盤など触ったことも無いのに、いきなり「ビートルズのイエスタデイから始めたい」とお願いした。
苦労してなんとか何曲かの映画音楽くらいは弾けるようになり、次に作曲に取り掛かった。しかし全く音符が頭に浮かばない。そんな時に子供が白い鍵盤にマジックペンで、赤く落書きをしてしまった。
それでスッカリやる気が失せてしまい、そのまま作曲が出来ないでいる。
【品川・コクヨ】
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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『自然と科学のミュージアム「森の工舎」』 〜自然と人への愛を感じる癒しと学びの時間
2Fから吹き抜け越しに1Fのフロアを覗くと見えるこのソファ(?) 何をモチーフにしているのかお分かりでしょうか? 時間が経つのを忘れてしまう。 白老虎杖浜にある『ナチュの森』は、1日中居られる… いえ、1日では足りないと感じる心地よく学びの多いところでした。 今回は『ナチュの森』の中に2022年12月OPENされた「森の工舎」の取材で訪れたのですが、 ナチュの森の全てを案内していただきました。 丁寧な案内をしてくださったのが、「ナチュの森」広報担当の 山本祥史さんです。 さて。 皆様、いろいろな名前が出ているので、そろそろ混乱し始めていらっしゃいますよね…。 そこでちょっと、「ナチュの森」のこれまでの歩みと背景について簡単にご説明しますね。 ナチュの森の運営会社は東京本社の株式会社 ナチュラルサイエンスという名の低刺激スキンケア商品メーカーと北海道本社の株式会社 ナチュラルアイランドという名の北海道素材に着目したスキンケアメーカー 2011年 白老虎杖浜の工業団地用地を取得 2014年 地域説明会、協議会などを経て、閉校した旧虎杖中学校(1988年使用開始の校舎)土地建物売買契約を締結 2017年 ナチュラルアイランドの北海道工場竣工 2018年 ナチュの森オープン 2022年 自然と科学のミュージアム「森の工舎」オープン “ 校舎 ” が ” 工舎 ” に生まれ変わった時でした。 このような歩みを経て、虎杖中学廃校跡地を活用した工場&ガーデン施設「スキンケア工園 ナチュの森」は完成しました。 ただ、このように箇条書きにしてしまうと、その道は淡々と着々と進めてこられたように見えます。 けれども、「北海道の自然の恵みを素材にした商品作りをしたい」という構想から15年、 この地に出会ってから完成まで10年が経過しました。 このプロジェクトに向けられた大きな原動力は、自然と人への大きな愛でした。 それを実感できるのがこちら。 こちらの冊子は「ナチュラルアイランド」のものです。 表紙の花は、皮膚のガードマンとも呼ばれる万能ハーブのカレンデュラ。 ナチュラルアイランドのカレンデュラ製品は、全てナチュの森のファームで栽培された花を使っているそうです。 この冊子、「ナチュの森」を訪れた時、ぜひ開いて見ていただきたいです! 筆者は全26ページの冊子を美しい写真とともに読み終えた時、 胸が熱くなり幸せな気持ちになりました。 今やどこでも溢れている言葉。 「持続可能な」や「環境にやさしい」という文字はこの中のどこにもありません。 読み進めながら感じるのは、 「大切なものは敬意をもって守る」という自然へのリスペクトと人へのリスペクトでした。 さて、それではいよいよ今回の主役的な建物、 旧虎杖中学校校舎「森の工舎」のお話に入ります。 と、その前に。 実は〜 アポイントメントの時刻は13:00でした。 私が到着したのは10:00。 山本さんにお会いする前にどうしても体験したかったのがこちら。 「蒸留カフェ」も魅力的でした。 「花のある暮らし」〜エッセンシャルオイルを楽しめるドライフラワーアレンジ ワークショップ(こちらは2/28までの期間限定メニューです) 季節ごとにワークショップメニューが変わります♡ ワークショップが行われるスペースは「森の工舎」の無料スペースです。 このスペースには、「蒸留カフェ」と「ショップ」があります。 取材前のランチには、スパイシーでお肉ごろごろなカレーセットをいただきました。 この前に、蒸留した高知産生姜エキスを使った甘味ゼロのジンジャーエールもいただきました。 スッキリ爽やか!初めての味でした。 ママと赤ちゃんが一緒に使える、「ナチュラルサイエンス」看板商品の低刺激スキンケア製品も販売されています。 これすごい! 他の商品を知りません! 皆様、俱多楽湖や虎杖浜の語源をご存知ですか? どちらも「イタドリが生えるところ」を意味しているのです。 まさにここならではの商品です。 さて、それでは本題。 そもそも何故、「ナチュラルサイエンス」は北海道白老町の虎杖浜に『ナチュの森』『森の工舎』を作ったのでしょうか? 「弊社が北海道の豊かな自然の恵みで化粧品を作りたいと考え、 低刺激化粧品にとっての最も大切な原料である「水」を探し求めていたときに、 ようやく巡り会えたのが白老町に位置する倶多楽湖の湧水(カムイワッカ=神の水)でした。 それは、他の素材を最大限に活かせる肌に優しい軟水でした。 そして、湧水口の近くには既に閉校になることが決まっていた虎杖中学校がありました。 その中学校を見学させていただき大変驚きました。 校舎は古いのに、とても掃除が行き届いていて落書きひとつありませんでした。 ずっとずっと大切に綺麗に使われてきたことがすぐにわかりました。 そのとき、『この建物と、これまでの生徒さんたちや先生たちの想いを 「ナチュラルサイエンス」で引き継いでいきたい!』と強く思ったのです。 本当は水を探して北海道中走り回っていたので、 物件探しをしていたのではありませんでした。 ですが、その時そう思ったのです。 そして、「虎杖中学校の跡地に湧水を引き込んで工場を作れないか」「校舎や体育館は取り壊さずに、そのまま残して再利用できないか」と考えるようになりました。」 なるほど…、それが「ナチュの森」が生まれるきっかけだったのですね!ちなみに「校舎」が「自然と科学のミュージアム 森の工舎」になったのは何故ですか? 「はい。ナチュラルサイエンス・ナチュラルアイランド」の工場と「ナチュの森」を運営している中で、この校舎を活用し、周辺地域の自然の恵みを利用させていただき、地域に貢献できることは何かを探っていった結果の形が、私たちが大切にしている「ものづくり」を体感する「自然と科学を通して物事を体験する」場としての「森の工舎」となりました。 また、とても重要なこととして、自然の恵みを得るためにはそのままでは毒になることもあるということがあります。 大学や研究機関との連携の中で判明した研究結果の共有も、ここを通して行いたいという考えもありました。」 訪れた時、「蒸留実験室」では、ちょうどタイミングよく釧路産モミ(トド松)の蒸留を行っていました。 使われる水はもちろん俱多楽湖のカムイワッカ。 フラワーアレンジメントを途中にして飛んで見に行った筆者です。 仕込んでから40分ほどでエッセンシャルウォーターが採れます。 先ほどのドライフラワーアレンジメントには、好きなエッセンシャルオイルが付いていました。 実は私、この後のお話を知らずにこの和ハッカのものを選ばせていただいていました。 和ハッカの貴重品種「JM-23」を、滝上町の農家 瀬川さんは2haの広さの畑で大切に育てています。 世界で唯一、瀬川さんだけが栽培されている和ハッカはとても貴重です! また、この実験室では、四季に合わせた様々な植物を使った体験会なども行われます。 この日はラベンダーサシェ作りの準備がされていました。 「アトリエ」では、お子様向けの自然と科学をテーマにしたモノづくりを体験できます。 「香りのラボ」には調香室も備え、様々な香りを体験しながら、今の自分に合う香りを分析する体験ができます。 そして「ライブラリー」では数千冊の本が並びます。 とにかく選書が素敵すぎです! ネイチャー関連の本もたくさんあります。 なんと、なかなか見ることがない貴重な本まで!! ホント、びっくり!! どんな本があるのかは、ぜひ実際に訪れて見つけてみてくださいね☆☆ 読書のための椅子の配置も心地よい。 ここだけで1日いられます。 そして。 なんて素敵な〜!! と思ったのがこの空間♡ 元々は半円形だった天井を丸く整え、太陽をモチーフにした大きな照明をつけました。 灯りの点き方にも工夫が施されています。 そしてその下の吹き抜けのところには蛍光灯をリサイクルして作られたガラス照明「ウォーターバルーン」が、雨粒の如く各色ゆらゆらと煌めきます。 そしてその下には…。 そう、記事の最初に登場した丸いソファは俱多楽湖をイメージしたものでした。 そのソファーに寝転べば、こんな空が広がっていました。 太陽 雨 湖 それらの循環が表現されています。 そしてもっと素敵だったのがこちら〜 この日ちょうど、こちらのライブラリーで、旧虎杖中学校の卒業生の皆様と出会いました。 実は、山本さんのお隣にいらっしゃる女性は、虎杖中学校出身で現在は「ナチュの森」の工場の従業員の方でした。 そして、さらに左側の男性お二人も「ナチュの森」の従業員の方々でした。 こちらで働く従業員さんは、9割の方が地元採用だそうです。 だから、こちらの3名の方々の他にも、たくさんの卒業生がこちらで働いていらっしゃるはずです。 かつて、ここで学んだ生徒だった方々が、今度は働く場としてここに戻ってきている。 これもまた、素晴らしい循環です。 地域との関係の良さが窺えます。 学校ではなくなった今も、 こうして卒業生が気軽にこられる雰囲気作りをされていることに感動! あまりにも感動して、写真を撮らせていただきました♡ 「えほんの部屋」もあります。 0歳からのお子様と保護者の方のための部屋です。 ナチュラルカラーのマットを階段上に配置した向かい側には〜 人形劇などが上演できる舞台があります。 こちらでは今後、紙芝居などいろいろなイベントを開催するそうです。 「ギャラリー」では、北海道初上陸の「ようこそ絵本のまちへ展」を開催中です。 もと体育館だった「あそびのひろば」は、全天候型のあそび場になっています。 白老町の登別寄り、虎杖浜温泉から山の方に入ったところにある俱多楽湖のカムイワッカを引く親水公園の隣。 この水に惚れ込んだ会社「ナチュラルサイエンス・ナチュラルアイランランド」の建物が現れます。 ・自然の恵みを安全に大切に享受するために、自然を科学すること。 ・地域の人々の故郷への想いを大切にすること。 ・地域の人々と仲良くして、地域の役に立つこと。 これらを信条に、「森の工舎」は今後も進化していくことと思います。 朝から訪れたというのに、外に出ると薄暗くなっていました。 「森の工舎」は、時間を忘れて過ごせるところでした。 ―ナチュの森 森の工舎 情報― ナチュの森HP https://nachunomori.jp 森の工舎 https://nachunomori.jp/morinokousha_pre ナチュの森 Instagram https://instagram.com/nachunomori_official?igshid=YmMyMTA2M2Y= ナチュラルサイエンス Instagram https://instagram.com/naturalscience.official?igshid=YmMyMTA2M2Y= ナチュラルアイランド Instagram https://instagram.com/naturalisland_official?igshid=YmMyMTA2M2Y=
Rietty
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Rietty
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Shinji