心の伊達市民 第一号
2日目の朝は早くから目が覚めてしまったので、午前5時から入れる新館の露天風呂に行ってみた。こんな早い時間なら誰もいないだろうと思ったのが大間違いで、すでに10人以上のジジイが来ていた。
部屋に戻りテレビのニュースを見ていたら、女房がドアをノックした。
朝食会場に向かう途中で女房が言った。『昨夜はもの凄い雨で、今日の観光は無理ではないかと思っていた』。
幸いに食事時間には青空も見ていていて、今日の紅葉見物が楽しめそうだと感じた。
午前9時30分にバスがホテルを出発した。
最初に向かったのは「三国川ダム」である。
この読みが難しい。これで「さぐりがわ」と読むのだそうだ。
ダムの堤防の上を歩いたが、どうということはない。目の前の山々が茶色に染まっている。
自然の山は多くの木が「ブナ」なので赤くならないで、もうすぐ枯れて落ちてしまうそうだ。この季節の最後の紅葉を見られてラッキーだった。
次は「奥五十沢渓谷」である。この「五十沢」も読みが難しい。「いかざわ」と読むのだそうだ。そこで渓谷の紅葉を見た後に、近くの「十字狭親水公園」に行き、しばらく時間を調整する。そしてまだ昼食時間には早いが、六日町で自由昼食となる。
ここで昼食となるのが各観光会社の観光コースの定番らしく、他のツアー客もいて小さな町なのでどこの店もいっぱいだった。
仕方ないので、少し離れたイタリアンの店に入ったが、スパゲッティが熱くなかった。
次がいよいよ本日のメインイベントの、私が命名した「苗場紅葉ライン」である。
苗場山の山麓駅から「田代ロープウェイ」に乗る。田代ロープウェイは標高806mの山麓駅から1,413mの山頂駅までを10分で繋いでいる。途中も頂上からの光景も素晴らしい。
眼下に二居湖や奥清津発電所が見える。
残念なのは観光バスが何台も到着したところなので、ロープウェイは満員で写真が上手く撮れなかったことだ。
でもコロナの影響か、定員91名のところを50名くらいに抑えているようだ。
「田代ロープウェイ」から「ドラゴンドラ」までは、1枚の共通券で運用されている。
だから頂上からは歩いてもいいし、「らくらくリフト」に乗っても良い。
リフトは20分待ちだったが、乗り物好きの女房の意見を取り入れてリフトに乗った。
乗降時の危険を避けるためか、登りは2人乗りで下りは1人乗りだった。
リフトは時々、途中で停まる。「事故かな?」と思ったら、そうではなかった。
自分の降りる番が近付いて分かった。降りる時に杖を使っている高齢者の為に、一時停止していたのである。
最後の乗り物は今回のハイライトでもあり、期待の「ドラゴンドラ」である。
8人乗りのゴンドラで、頂上から麓までを25分も掛けてゆっくりと降りて行く。
両側の山は紅葉の真っ盛りだった。でも都会の真っ赤な紅葉を見慣れた人には物足りないかもしれない。
ゴンドラは山の起伏に沿って下りて行き、川の近くまで降り、そしてまた上って行く。
「何もしない25分」は飽きるほど長いが、紅葉を見ながらの25分は思ったより短い。
今回の旅はかなりツキに恵まれていて、我々が行動している時の天気は晴れか曇りで、帰りの新幹線の越後湯沢駅までのバスの道中は雨だった。
今回の旅では色々な乗り物に乗った。
タクシー、新幹線、観光バス、ロープウェイ、ゴンドラ、リフト、エレベーター、エスカレーターなどである。その中で私は「ロープウェイ」と「ゴンドラ」の違いが分からず、帰って来てからネットで調べてみた。
その結果は「ゴンドラは1本のロープで吊り下げられている。乗客は最大でも10名」。
一方の「ロープウェイは2本のロープで吊り下げられている。乗客は多いもので100名」とあった。旅行中にズーと気になっていたので、分かって良かった。
でも私の体験から「ゴンドラは多くの箱が吊り下げられていて、乗降時でも止まらない」が、「ロープウェイは登りと下りの2台の箱だけで、乗降時には停止する」を加えたい。
(おまけの話)・・・最低気温(8℃)、最高気温(12℃)、天候(雨、晴れ、曇り、雨)
団体旅行の人間模様である。参加者の男女比は6対4で女性が多かった。
女性の1人参加も多いが、男性と違い女性は隣の人とすぐ親しそうに話をする。
昔に「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルがあったが、男は寡黙な人が多いように見えた。
団体旅行に友人を求めて来る人もいるようだが、私は1人旅でも滅多に自分からは話し掛けない。もし嫌な人だったら、その人とズーと旅を共にしないといけないことになるからだ。
1人参加の「伊藤さん」という私より少し高齢に見える男性がいた。この人以外に参加者の名前は知らない。
この人は補聴器をしているが、マイクで話すガイドの声が全く聞こえないらしい。
そのことに気が付いたガイドは、いつも伊藤さんが迷子にならないかと心配している。
自由行動の時は集合場所と時間をメモに書いて手渡している。
そのことが皆に知れ渡り、みんなも伊藤さんの行動を気にしている。
この日の最後の見物は自由行動で「田代ロープウェイ」に乗り、そこから「苗場リフト」に乗継ぎ、少し歩いてから「苗場ドラゴンドラ」に乗り、降りた場所の近くの駐車場に集合だった。
「こんな難しいことが伊藤さんに出来るかな?」と心配したら、案の定、伊藤さんはバスに現れなかった。ガイドが誰かに電話しているのが見えた。
そして「伊藤さんはプリンスホテルに行ってしまい、今から戻る」と説明があった。出発前にガイドが『ドラゴンドラを降りたら大勢がシャトルバスに乗るが、それに乗らないように!』と言っていたのに、『私が伊藤さんと一緒に行動します』と言っていた男性がシャトルバスに乗ってしまったのであった。高齢者の旅行のガイドは大変な仕事である。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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Rietty
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06/02(金) 『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』
作務衣を纏った渋めの男性が現れると思いきや、目の前の染師は2パートに刈り上げたヘアスタイルの、抱いていたイメージとは程遠い方でした。 そのカッコいい雰囲気に釘付けになったところから取材は始まりました。 人生、何がきっかけで何が起こるかわからない。 金子夫妻と話をしているとつくづくそう思います。 「藍と出会って人生が変わった。」 今回お話しを伺ったのは、そうきっぱりと言い切る金子智志さんと愛さんです。 本当にこんなところに工房があるのだろうか…? 地図を頼りに探し当てた工房のある土地を見て驚きました。 湿地と田んぼに囲まれた広大な土地。 そこには、小屋を含め廃屋が何軒も建っていました。 「え!? こんな場所があったんだ!!」 それが筆者の第一声。 けれども同時に思ったこと。 それは〜。 「このお二人はなんて大きな夢を抱えているんだろう!」 ということ。 どんなに広い土地が欲しくても、この状況を見たら恐らくは誰もが諦めるだろうと思います。 なによりも廃屋の数が多いので壊すのが大変。 構築物も多い庭は広すぎて手入れも大変です。 ここを買うのは、たくさんお金を持っている人か、夢が大きく手入れが苦ではない人だと思いました。 現れたご夫婦と出会い、一目でこのお二人は後者だと直感しました。 ヒップホッパーが染師になると決めた日 金子愛さんは、伊達紋別駅近く「クリーニングのかねこ屋」の娘として生まれ、ピアノ教師を生業にされて今年で21年目。 その愛さんがパートナーとして選んだのは、ヒップホップに勤しみMCを生業にすることを志していた智志さんでした。 出会ったのは、その智志さんが夢をあきらめ、故郷の伊達市にUターンし、その後しばらくした頃のことでした。 「12年前、札幌から帰ってきてからは建築業に就いていました。」 そう話す智志さんの口から出てくる言葉は、とにかくイチイチ面白い! 韻を踏むような言葉がポンポンと出て来ます。 さすが、MCを目指していた方! 「僕、言葉が大好きだし大切にしているんです。ヒップホップをやっていたので、韻を踏む言葉の並びで、複雑な心の動きや物事の状況をバシッと表現するのが好き。そういうのパンチラインて言うんですよ。でもね、『言葉より藍!』と確信する出会いがあったんです。 藍に出会ったのは6年前でした。ニューヨークで寿司屋をやっている友達と会ったのですが、彼はアメリカに住みながら、日本人としての紺色にこだわりを持っていました。『和の心』を紺色=ジャパンブルーに求めていたのです。その時、僕の中に何か響くものを感じました。その日から、頭の中が紺色でいっぱいになりました。黎明館(藍の体験館)に通ったり、独学で学んだりしてすっかりと『藍』にハマってしまったんです。」 へ〜! パンチライン! 初めて耳にする言葉です。 最初は少々緊張していたお顔の智志さんでしたが、徐々に頬を緩め、次々とパンチラインをちりばめて語り始めました。 「とにかく藍染にハマって、3年間独学で染めていました。でもどうしても独学には限界がありました。そこで3年前、徳島の『BUAISOU』の研修生に応募しました。全国でわずか3名の狭き門に合格して研修生になることができ、12日間の研修をさせていただきました。そして、どうしても迷いがぬぐえず自信が持てなかった僕のやり方を『それでいい』とお墨付きをいただくことができたんです。嬉しかった。ようやくこのまま突き進んでいいんだ!と自信が持つことができました。」 『BUAISOU』について 世界各国からワークショップの依頼が殺到し、ハイブランドとコラボし、グローバルな活動をし続ける徳島の藍染工房です。 徳島県を拠点に、藍の栽培から染色、仕上げまですべてを一貫して行うBUAISOUは、古き良き伝統をそのまま受け継ぐのではなく、常に進化をし、先人たちをリスペクトしながらもそれを超えていく努力を続け、未来に繋ごうとしている。 わずか5人で運営する工房は、2015年4月されました。BUAISOUの名は、白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだものだそうです。 Bluem の誕生 ところで智志さん、『BUAISOU』研修においてお墨付きを得られたものの、しばらくは染師と建築の仕事の草鞋を二足履いていました。 けれども次第に口コミでオーダーが入る様になり、二足の草鞋を履いていては藍染の仕事が追いつかない状況になりました。 技術の確かさも証明されました。 それは「伊達美術協会」から表彰された『協会賞』という最高賞。 月と海、人間と自然を表した作品。 タイトルは『183672144288』 タイトルの意味はこうでした。 〜人と月と海の共通となる数字『18』。その18の倍数が人間の『生』を表し、目には映らない人と自然のつながりを人類が最も信頼し、裏切られてきた『数字』で表現しました〜 18:1分間に月が引き起こす波の回数=人間の1分間の呼吸の回数 36:人間の平均体温 72:人間の1分間の心拍数 144:人間の最高血圧 288:日数に変えると10月10日で妊娠期間と同じ 「人間が最も信頼し、裏切られてきた数字」この言葉だけで俄然実物を観てみたくなりました。 6月3日より2ヶ月間、「だて歴史文化ミュージアム」において展示会が開催されます。 「本格的に染師として生きていきたいと考えていたので、そのためにも自分の工房が欲しい!と思っていました。工房にする場所をずいぶん探したのですが、タイミングや予算も含め中々『ここだ!』という所に出会えなくて…。 がっくり‥としかけた一昨年の冬、出会ったのがこの場所でした。見に来たら一目惚れ。だいぶ荒れていましたが迷いはありませんでした。実はここ、子どもの友達のおばあちゃんの家だったところなのです。妻がそれを思い出してくれ、購入に結びつきました。」 昨年6月、ついに念願の城が手に入りました。 金子さんご夫婦にとっては夢に向かうThe 1’st stage『Bluem』です。 “ Blue “ × “ Bloom “ つまり青=藍 と開花。 藍で笑顔の花を咲かせたい! 藍で自分たちも開花したい! そんな想いが込められていました。 韻を踏む言葉が大好きな智志さんらしいネーミングです。 「『Bluem』は『藍』製品をカッコいいものとしてブランディングしていく場だと考えています。異文化交流はもちろん大事です。でも日本人として異文化を受け入れながらも、大和魂というか、『和の心』を『藍』を通して表現したい。だから『染まらないために染める』んです。ここを『まちのハブ』として育てて、いろんな人たちと繋がりながら行動して、自然を尊ぶ日本人のDNAを呼び覚ましたいんです。」 循環型ファッションを目指して ところで、今までの経済合理性は短期的にも長期的にも継続は難しい状況だと言われています。 そんな中、若い人を中心に高まってきたのが「気に入ったものを修理したり、染め直したりして長く使いたい」というニーズ。 衣料メーカー自体が「お客様に頻繁に買い替えさせる売り方ではなく、アフターケアを軸に『3つのR』をビジネスモデルの根幹にしていると言われています。 R:リユース(再利用) R:リデュース(使う資源を減らす) R:リサイクル(再資源化) の3つです。 「僕は自然のこと全然詳しくないです。SDGsとかもよくわからない。まあ持続可能な社会を目指そうということですよね。でも思うんですよ。藍もそうですが、人間は自然の恩恵なしには生きていけない。食べ物だってなんだって素材は全て自然が与えてくれています。でも、人間の勝手で飽きたり汚れたりすると簡単に捨てられてしまう。元は全て命なのに。そんな傷んでしまったり、汚れてしまったりしてしまったものを藍染によって甦らせることができるんです。幸い妻の実家がクリーニング屋なので、汚れやシミはしっかりと取り除いてから、新たな命を吹き込むことができる。おまけに堅牢性も増します。モノを大切に残すためのお手伝いができるのも幸せを感じることです。そうそう!あるピザ屋さんの窯から出た灰も藍染めに使えるんですよ。灰だって元は木。いただいた命に感謝して、最後までできるだけ捨てず使わせていただきたいと思っています。子どもたちの子ども、もっと未来の子どもたちのためにヒトが生きる源の自然を、僕らの役目として僕らの仕事で残して行きたいです。そう、『サスティナブルー』な仕事として。」 最後は韻を踏んで締めてくれました。 智志さんの中では当たり前の活動から生まれる循環。 ヒトもモノも自然もとても大切にされているお人柄が窺えるお話しでした。 人との出会いを一つ一つ丁寧に心に刻んでいるからこそ繋がっていく糸。 きっとお二人の出会いも…♡ 何度かその話を振りましたが、どうやらお二人だけのシークレットのようです ^^ お話しをしていて感じたのですが、ご夫婦のお人柄が多くの素敵なご縁の糸を手繰り寄せている気がしてなりません。 それを証明するかのようなイベントが、昨年の夏に開催された初イベント「草紙奏藍」でした。 先の見えないコロナ禍真っ只中、子どもも大人もみんなが疲弊してどんどん笑顔が少なくなっていく状況に、心を痛めていた金子さんご夫婦が立ち上がり開催されたのが、この『草紙奏藍』でした。 結果大盛況でしたが…。 思いついたのはいいけれど、正直他の作業もあり気持ちはいっぱいいっぱい。 広すぎる庭の草刈りはおろか、イベントに際しての環境整備もままならない。 途方に暮れそうになった時、助けてくれたのは、金子夫妻の活動を見守ってきた地域の方々や友人たちでした。 中には遠方から駆けつけてくださる方もいました。 畑違いの仕事から飛び込んだ『藍』の世界でしたが、元々のお二人の仕事や趣味の人脈のおかげで、予想を遥かに超えるお客様にお越しいただき、イベントは大盛況のうちに終わることができました。 もちろん、評判は上々。 きっと、今年の夏も期待されているのではないかと思います。 「今後もイベントは色々開催していきたいと考えています。全国シェア2位と呼ばれる篠原さんの藍の生産と“すくも”に加えて、染師としての技術や製品もグローバルに羽ばたかせて行きたいです。まずは「藍の町」伊達を歩く人たちの服や小物を藍色に染めたい!と思っています。」 2時間に渡った取材は、お話し上手な智志さんに乗せられ、素敵すぎる愛さんの笑顔に乗せられ、楽しくて楽しくてあっという間でした。 その楽しさはきっと、お二人に関わった方皆様が感じることだと思います。 I (藍)の形をバトンになぞり。 I (私)が染師として。 大和魂のI (愛)を届ける。 きっと、最後の『愛』は妻の愛さんと共に〜の意味が込められていることと思います。 AIZOME「I」 / Bluem 情報
Rietty
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Shinji