心の伊達市民 第一号

台湾の練習船が入港


マンションのデジカメクラブのメンバーのYさんからメールが届いた。
彼は時々、私の知らない情報を連絡してくれるので、とても助かる。
今回は晴海埠頭の船のことで、どうやら彼はこの辺にちょくちょく散歩に行っているようだ。

そのメールには『先日まで停泊していた台湾の巡視船の場所に、今度は台湾の練習船が停泊しています。調べてみたら、台湾高尾の所属のようです』とあり、台湾の新聞記事のURLも送ってくれた。

【Newtalk新聞】・・・ https://newtalk.tw/news/view/2023-08-22/885063


 駐日代表の「謝昌亭」さんが桃をプレゼント(新聞から)



パソコンで新聞記事を開いてみると台湾の繁体字で書いてあるので、それをGoogleで翻訳してみた。

『数日前、高雄の銭鎮の漁港が何人かの政治家に襲われて邪魔されたとき、若い学生を乗せた1隻のボートが広大な海、つまり水産局の漁業訓練船でした。 21日、7日間の航海の後、船は東京の晴海桟橋に停泊し、駐日代表の謝昌亭も特別に用意した桃を乗船させ、研修生を元気づけました。 鋭い目のネチズンは、YuxunのNo.4研修生がホワイトボードを使用して、Doudaに「駐日大使」と書かれた<>つの文字でウェルカム看板を作っていることを発見しました』。


  台湾の練習船



Googleの翻訳は「まだまだ」の感がある。大凡は分かるが、意味不明のところもある。
記事で駐日代表が「桃をプレゼント」したが、台湾には桃が無いので台湾人はとても喜ぶのである。

そこで練習船が出航してしまわない内にと思い、翌日の午前中に晴海埠頭に見に行った。しかし朝から暑い。晴海埠頭までの道には、全く日影が無い。
汗をかきながら、約10分で晴海埠頭に着いた。


  練習船の名前は「漁訓貮號」



目当ての練習船「漁訓貮號」は、以前に台湾の巡視船が停泊していた場所にあった。
船体は全長64.4メートル、総トン数は1211トンだそうだ。
船の一番高い場所のマストには日章旗を掲げ、船尾には台湾国旗の「青天白日旗」を掲げていた。

金網越しに近付くと音がしているので、船はエンジンを掛けたままのようだ。
しかし人影は見えない。みんなクーラーのある部屋で研修をしているのか、或いは東京見物に出掛けているのかだろう。


 船尾には「青天白日旗」がはためく



湾は複雑な歴史を抱えていて、台湾には「本省人」と「外相人」と言われる人達がいる。本省人は古い時代に中国、特に福建省から台湾に渡って住み着いた人達である。
外相人は第二次世界大戦の終りに中国本土で内戦が起こり、毛沢東との戦い破れた蒋介石は台湾に逃れて政府を樹立した。そして元々、住んでいた本省人である台湾人を支配したのである。

1947年2月28日に、外省人政府による本省人の虐殺事件があった。
この時に言われたのが「犬(日本人)が去りて、豚(中華民国人)来たる」と比喩した。台湾人が日本びいきなのは、「日本統治時代の方が良かった」という思いがあるからである。


  金網越しの練習船「漁訓貮號」



亡くなった安倍元首相は『台湾有事は日本有事』と述べていたが、最近の中国との関係を考えると先見の明があったと思う。また8月に台湾を訪問した麻生副首相は台北市内で講演し、軍事的圧力を強める中国の動向を念頭に、『台湾海峡で有事とならないように、「戦う覚悟」を示して抑止を図る必要がある』と述べた。

私は中国は経済力が付いて来て以来、振る舞いが横暴になったように感じる。
経済で外国への影響力を増すことを考えているようで、最近では福島原発の処理水を海洋放出にクレームを付けている。自分の国の原発からは、福島の処理水の10倍ものトリチウムを含む水を日本海に放出しているのであるから図々しいとしか言えない。


 金網の隙間から「漁訓貮號」



つい腹が立って中国の話になってしまったが、練習船に戻る。
今回は出来たら出港時に、レインボーブリッジの上から写真を撮ろうと考えていた。
そして色々とネットで調べたが分からない。やっと見付けた手掛かりは「東京港管理事務所」の電話番号だった。

写真を撮りに行った翌日の25日に、東京港管理事務所に電話した。
すると『昨日の15時30分に出港した。出入港を調べるサイトは無いので、電話してくれ』と言われてしまった。次回にチャンスがあれば電話して、レインボーブリッジの上かから写真を撮りたい。


豊洲ぐるり公園から(元オリンピック村前に停泊)



(おまけの話)
練習船の全景の写真を撮ろうと思い、晴海大橋を渡り「豊洲ぐるり公園」のテラスへ行った。晴海大橋は船を通すためか中ほどが高くなっているので、往復とも登りがあり、それがキツイ。ヨロヨロと登って行き、頂上から練習船の写真を撮った。

そして今度は下りで元気が出て、いつもの私の指定席の晴海大橋の下の休憩所に座った。目の前で父親と2人の小学生の子供が釣りをしていた。続けて3匹も小さな魚が釣れた。父親と遊ぶ男の子たちを見て、「いいなー」と羨ましかった。


晴海大橋の上から見る練習船



家を出てスーパーに寄ったらセルフレジだったので、会計は機械に向って自分で行った。支払った後に、「少し高いな?」と思いレシートを見たら、ダブっている品物があった。そこで係員に伝えたら、手続きをして「107円」を返してくれた。

スーパーを出て返してもらった107円を小銭入れに入れようとしたら、100円玉を落としてしまった。その100円玉はコロコロと転がり、少し先の下水道の鉄格子に向って転がって行った。
私はなす術もなく見ていたら、鉄格子の隙間から下水に落ちて行った。もう取れない。
せっかく返してもらった107円は、手の平に7円が残っただけだった。


 晴海大橋の下の階段式休憩所から見る豊洲方面



青空を見上げたら、「天高く馬肥ゆる秋」という言葉が頭に浮かんだ。
気のせいかもしれないが、なんだか「空が高い」ように感じた。
積乱雲が南から北へ流れて行く。私の子供の頃は「入道雲」と言っていたような気がする。

雲の形は激しく変化して、青空が見えたと思うと、そこが雲で塞がれる。
そして他の場所の雲の間に、青空が見えたりする。
飽きもせずに見ていたので、持参した本「歌舞伎町アンダーグラウンド」を読まなかった。


  青空が高く見える(秋が近い)

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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