
心の伊達市民 第一号
5月26日(日)に晴海埠頭で、東京消防庁は「令和6年 水の消防ページェント」を開催した。案内によると『このイベントは、東京港の安全を守る消防の姿を都民の皆様に披露し、消防への理解と防火意識の高揚を図るとともに、船舶の火災予防や水難事故防止を呼び掛けることを目的としています』とあった。今回は5年ぶりの開催だそうだ。
イベント開始は午前9時30分となっており、遠くから来る人には大変である。
こんな早いイベントは、やはり消防という職業柄かもしれないと思った。
9時15分に現地に行ったら既に大勢の人達が来ていて、写真を撮れる場所は無かった。
後で分かったのだが、この日は「HARUMI FLAG」の町びらきも行なわれるようで、多くの新住民が来ていたのである。
午前9時30分になり、司会者が式次第でイベントを始めた。
恒例の「消防庁長官」の挨拶に続き、小池都知事の挨拶の代読の都庁職員で、それ以上の挨拶が無いのが良かった。続いて消防庁音楽隊の演奏に合わせて、カラーガールズ隊が大きな旗を廻して演技した。
次に消防艇8隻のパレードにヘリコプター3機が加わった。現場でもらったパンフレットによると、消防艇のパレード(行進)を「航進」と言うと初めて知った。
消防演技のプログラムを見ると、10時15分から消防艇の一斉放水である。
私はこれが好きで、何回見ても飽きない。
一斉放水」は、大型消防艇の3隻が行なった。
参加艇は「みやこどり」、「おおえど」、「かちどき」だった。
晴天の空に向かって放水すると、なぜか見ている私の気分が晴れる。
東京国際クルーズターミナルが出来る前は、クルーズ船は晴海埠頭に入港していた。
そして外国船が入港する時は、消防艇が歓迎の放水をしていたのである。
アナウンスがうるさいくらいに、「熱中症に気を付けて!」と放送している。
「後ろの見学者のために、日傘は差さずに帽子を被れ!」と言っている。
確かに、この日は暑かった。
晴海埠頭公園は日影が無いので、「気を付けろ!」と言われてもどうしようもない。
プ
ログラムはドンドンと進み、事故を起こした遊覧船から乗客が海に飛び込んだ。
それを上空からヘリコプターが吊り上げる。
しかしあまりに混雑しているので、私には上空で行われるイベントしか良く見えない。
イベント会場の貴賓席は帆船が停泊する「海技教育機構」の専用桟橋で、そこにテントを張り招待客を入れている。左側には水産庁の「開洋丸」が停泊している。右側には構造物がある。そして大勢の見物客である。一般客はテントが邪魔で、イベントが良く見えない。主催者は次回の時は、一般客のことも考えて欲しい!
今回は現地に行くのが遅過ぎた。以前の経験から、大丈夫と思ったのが間違いだった。
晴海埠頭は「HARUMI FLAG」の目の前なので、親子連れの新住民が大勢来たのだった。良い写真を撮れなかった私は、そこで私の住むマンションの49階のスカイラウンジに行ってみた。ここから「どう見えるか?」を確認する為である。
しかし残念ながら建設中のタワーマンション2棟の間から、わずかに見えただけだった。もし次回も行くのなら、対岸の「竹芝桟橋」からなら、邪魔が無いので良いだろうと気が付いた。
(おまけの話)
東京消防庁は四谷三丁目に「消防博物館」を持っている。
ここへ行けば「日本の消防の歴史」が分かる仕組みになっている。
私はかなり前に一度、見に行ったことがある。
今回は2度目で、『集まれ! 世界の消防ミニカー展』という面白そうなイベントなので、私はわざわざ四谷まで見に行った。
地下鉄の「四谷三丁目駅」から直結で、「消防博物館」に行ける。
入口で入門証を渡されて、首から掛ける。
平日の午前中のせいか、幼稚園生らしき子供を連れた母親が2組だけ来ていた。
先ずは6階の企画展示室に行ってみた。そこには日本、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツの5ヵ国のミニカーが展示されていた。「世界の・・・」という触れ込みだったので、もつと多くの国とか、発展途上国のミニカーも出ていると思った。
ミニカーは国が違ってもあまり変わらない。
そもそもガソリンエンジンを搭載した消防車の原型は、1905年にアメリカで生まれた。
日本で初めて導入されたのは1911年で、ドイツのベンツ社製だった。
だからどこの国も最初は輸入から始まったので、あまり形が違わないのだと思った。
ここへ来ると昔の日本の火消しも見られるし、消防ヘリコプターの操縦席にも座れるので、とても面白い。地下1階まで展示があるので、暇人にはかなり時間が潰せる場所だ。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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Shinji