歓喜の丘


前回で今回の団長の旅を総括し、
最終回としたはずなのに......

「縁は奇跡であった」

前回にあったように、
吉居社長(以後「編集長」)の弟さんがスペインから32年振りに
帰国したと書いてからのこと。

その記事を読んだ武部はる奈さんからメッセージが届いた。

えー!吉居社長さんの弟って、ユウスケさんですか???
ユウスケさんのご両親にもお会いした事があります。
奥さんのエレーナとは、カフェ巡りを一緒にしました。
イビサに行ってからも、
サンティアゴに来た時にはお会いしていました。

今療養中なのですね。
お元気になられてまたお会いしたいです!
なんとまあ、こんな所で繋がるとは・・・

というメッセージがきた。

なんと武部はる奈さんは編集長の弟さんを知っていた!!

さらにはる奈さん。

私がサンティアゴに初めて来た時にユウスケさん夫婦には
とってもお世話になりました。
ユウスケさんのお寿司も沢山ご馳走になったし、
エレーナには色々美味しい所に連れて行ってもらいました😊

ほんと、凄いご縁です!

早速編集長にこのことを知らせ、
弟さんに是非ともスペインへの想いや
はる奈さんとの出会いについて書いてほしいと
リクエストしたら、
しばらくして入院闘病中の弟さんからメッセージが届いた。

それがこちら。
(編集長の弟さんからの手記)

23歳で渡ったアメリカを後にして38歳でスペインに移った。
また一からやり直しの言語。そして生活。

旅行気分ではなく真剣に定住しようとすれば
するほどうけるカルチャーショック。
中国人と呼ばれることに耐えられなかった
はじめの3年間。
それがきっかけで4人組にボコられ洗礼も受けた。

腹がたったり腹を空かせたりすると言葉は上達する。
無我夢中になればなるほどメシが旨く感じる。
外人であることを利用すればするほど仕事が増える。
でもそれをやりすぎるとまたやられる。
ほどほどに自分を持ち、
ほどほどに後にしたがう。

なにごともほどほどにほどほどに。

スペインに移った当初は
時にこの国が憎かった。

編集長によると弟さんはアウトローの人らしい。
アメリカに23歳で渡ってから、結構壮絶な人生を歩んできた。

しかし僕は聞き齧りであるが友輔さんはかなりスペイン人に近づいてる様に感じた。

それは、有本紀明氏の「スペイン・聖と俗」の中に、スペイン人の本質として、ヨーロッパの他の国の人々が祖国愛から歴史書を編んだようにはスペイン人は歴史を語らなかった。

スペイン人は自国の悪口を言うことにかけては稀な情熱を燃やす国民で、「もしロシアのことを悪く言うのならそれはフランス人。スペインのことならスペイン人」と言う言葉もあるほどだ。

そんな意味で彼はスペイン人に近づいている気がしている。
(もしお会いしたときには叱られるかも)

そんな彼でもスペイン移住後初期は大変な思いをしたのがわかる。

次回も弟さんの手記続きを紹介したい。

(次回は3月25日公開予定です。)


巡礼路の壁画


農業もゴルフも続けるのだ! りっきー

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伊達の経済界を引退後、会員制農園の経営者であり、農家になる。だいぶ自由が利かなくなった体に鞭を打ち、毎日の農作業とゴルフに励む。

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