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任那日本府

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 第二次世界大戦の頃、
天皇を国家の中心に祭り上げた日本軍部は、
天皇が「神様」だった時代の歴史書、
「古事記」や「日本書紀」をことさら重視していたようで、
アジア各国の植民地化政策を進めたとされていますよね?

真実は微妙な部分はありますけど…。

 「日本書紀」の中に、朝鮮半島南部の任那(みまな)という地に、
「日本府」と呼ばれる役所が存在した、
という記述が複数回出て来ます。
この「日本府」が、
倭国人が朝鮮半島を支配するためにおいた役所であると長い間考えられて来た…。

 軍部は「神の国」日本が、
古代から支配して来た朝鮮半島を
再び支配する事に何の不都合もあるまい、
と理屈をつけて、
植民地化政策をゴリ押ししたようです。

 この「任那日本府」の存在は、
戦争が終わってからも、
20年近く信じられてた。
既に、歴史の真実として日本人の頭と心に深く刻み込まれていたようで…。

 1963年になって、
北朝鮮の学者が「任那日本府」は存在しなかった!
とするセンセーショナルな見解を発表した。
むしろ朝鮮半島の人間が、
日本へ移住し日本に分国を作っていた!というのさ…。
続いて、韓国・朝鮮の研究者たちが、
その地域を支配したという証拠はどこいも書いていないという結論が出た。

 また、「日本書紀」に日本府の記事が出て来た
欽明天皇の時代には、
国家を表す名称としての「日本」という言葉はまだ成立していなかったのさ…。

 それでは何故、「任那日本府」の存在が、
広く信じられていたのでしょうか?
「日本書紀」に書かれる以前の414年、
同じく朝鮮半島の高句麗に建てられた広開土王碑に、
倭国が、百済・新羅・任那の三国を支配した、
と解釈出来る文章が書かれていた事や、
仲哀天皇の妃の神功皇后が、
新羅に出兵して平定したという伝説が根拠としてあった…。
これが、軍国主義の下、誤った歴史観に発展したらしい…。

 最近では、朝鮮半島南東部の考古学的発掘調査もさかんに行われている。
その頃の任那が倭国と密接に繋がっていた事を示す、
倭国製の銅器や玉製品等も数多く発見されていて…。



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