「新約聖書」の福音書では、洗礼者ヨハネが、イエスの先駆者的な役割を果たした人物として描かれていますが、多分事実ではないです…。

実際には、ヨハネは自分自身の教団を形成していたのであり、若きイエスがその教団に入団したんでしょうね…。後にイエスは、ヨハネとは意見を異にするようになり、教団を離脱して、独自の運動を始めたのではないか…?そして、ヨハネ教団に属していた何人かは離脱して、イエスの運動に参加したんでしょうね…。そのため、両者の間には間違いなく緊張関係があったのではないでしょうか…?

後にキリスト教会が、ヨハネ教団はイエスの先駆的役割を果たしたにすぎないという主張を展開して行ったのではないでしょうか?その事実を福音書は、キリスト教会の立場から美化して、正当化して、キリスト教の歴史の中に取り込んで行った…。

そういう”取り込み”の過程は、福音書の内容にも反映されています。「マルコの福音書」では、ヨハネの事は第1章で簡単に触れられているだけですが、「マタイの福音書」第3章では、イエスがヨハネから洗礼を受けた事の不自然さを意識してか、ヨハネに「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに…」と語らせて合理化しようとしている…。

ヨハネは、最初から自分がイエスの先駆者にすぎない事をよく知っていたとされているのに、「マタイの福音書」では、ヨハネがイエスの行動について聞き、弟子たちをイエスの元に送り、「来るべき方は、あなたでしょうか…。それとも、他の方を待たねばなりませんか…?」と尋ねさせている。とても奇妙な話ですよね…?

その後、イエスはヨハネを偉大な者と称賛しますが、それでも天国で最小の者でもヨハネより偉大であると宣言し、自分のほうが上である事を誇っています。両者の間には確実な確執があったとしか思えませんよね…。

「ルカの福音書」では、この取り込み作業は更に手の込んだものとなります。両者は親戚であったと描かれ、イエスの母マリアと、ヨハネの母エリザベトの胎内にいた胎児たちが、「感応」し合った等と描かれている。そしてヨハネは、長々と自分がイエスに仕える者である事を述べるのですわ…。

同じような取り込みは、「ヨハネの福音書」でも続けられている。この点を見ても、イエスの伝記を史実として書く事の不可能性はやっぱり明らかではないでしょうか…?


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