オジサンは実は国際派だ。北海道の片隅に住んでいるが、バブル時代は海外旅行といっても東南アジアだが、結構出かけている。横浜の四畳半から卒業できないまま社会人として働いていたが、そんなのは新潟出身のA島君も同じだった。

 A島君は、どうも怪しい男である日、フィリピン旅行を手配して、一緒にセブ島に向かうことになる。人気のセブはリゾートでバブルの時代は、沖縄よりも安価であったので、沖縄には行けないが旅行はしたいという若者を引き付けた。

 この時代、フィリピンはマルコス政権が倒れアキノ氏が大統領という時代。空港のタラップを降りると、目つきの厳しい背の低い兵士が、M16を上空に向け立っているから微妙だった。7、8万円の低予算で来てしまった自分たちの怪しさも相当だった。

 成田からセブへの直行便があるにもかかわらず、ニノイアキノ空港に降り立った理由は帰りに判明する。我々は現地ガイドの案内を受け、短い距離を車で移動し、国内便に乗り換える。このとき、ガイドが言っている言葉がよく理解できなかったのが第一関門だった。東京で予約した券を手に飛行機を一時間ほど待っていたが、ガイドが持たせてくれた座席券をよく読んでみると、どうも先に飛んで行った便の席であった。気を利かせたガイドが一便早く席をアレンジしたということだった。

 こうなると、次の便の席をなんとか確保しなければならない。英語がからっきしダメな私はいつも、再々試験でなんとか教授に許してもらった口だが、この時ばかりは、待合室の後ろからカウンターまでの10数メートルで、チェック・マイ・リザベーション・プリーズと10回くらい口の中で唱えて、即本番というやっつけ勝負だった。カウンターのお姉さんにチケットを見せ、ガイドブックのレストラン編に出ていた覚えたての台詞をぶつけた。
 
 暗記するのが苦手だと思い込んでいたが、たった数秒で覚え、実際に使った台詞は一生忘れないものだ。早く外国に出るのが語学上達の秘訣だ、これで帰国できなくなったらどうしようという恐怖に打ち勝つ体験こそ必要だったようだ。なんとか2人とも次の飛行機に載せてもらった。思い返しても冷や汗の出る体験だった。
  
 そういえば、国内線カウンターのお姉さんの前には、直径30㌢ほどのお盆に、拳銃が山積みになっていたので、それは本物かとか、英語で聞いてみりした。それぞれに、荷札が付けられていて、乗客から取り上げたもののようだった。


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