
心の伊達市民 第一号
【再度 Hibiya blossom 2025】
少し前にミッドタウン日比谷で、「Hibiya blossom 2025」の花のドームの準備中に出会った。3月5日にイベント開始だったので、しばらく後に映画を見に行った帰りに寄ってみた。すると大勢の人が来ていて、ドームをバックに記念撮影する女性たちが多かった。とても動画を撮れる状況に無いので、残念だが写真で我慢した。
ドームの中から外を撮影すると、逆光で暗くなる。それをソフトで明るくしたのが、今回の写真である。たまたま出口にロングスカートの女性が2人、ドームをバックに記念撮影していた。
【桜餅】
銀座4丁目から数寄屋橋方面に晴海通りの左側を進むと、すぐのところに和菓子屋の「あけぼの」がある。いまは春の装いで、「桜餅」を売っている。この店ではひらがなで「さくらもち」と書いている。少し前までは「イチゴ大福」を売っていたが、季節に合わせて売り物も変る。
店頭には「さくらもち」が山積みになっているが、埃やスギ花粉は大丈夫か?
これだけ山積みになっているのに、私は今までに買ったことがない。
通り掛かる外国人観光客も珍しそうに見てはいるが、買う人は少ない。
【花の写真展】
京橋に行った時に、東京スクエア・ガーデンの前を通った。
その時に1階の目立つ場所にアートギャラリーがあり、写真展を開催しているのが見えたので入ってみた。写真展は小春ハルカという女性の、花だけの写真展だった。
彼女のコメントを読んだ。『花は私にたくさんの感情を教えてくれました。カメラを通じて花と向き合う中で、ひとつひとつの花に個性や表情があり、まるで感情が宿っているかのように感じます。その中でも、繊細で美しい色彩、空に向かって凛と咲く姿に、何度も心を動かされました・・・』
『花はただ彩り豊かに咲くだけでなく、私の日々や心を豊かにしてくれる存在です。その美しい姿に癒され、幸せな気持ちになり、「今日も頑張ろう」と思わせてくれる』。
アーティストにしては珍しく、平凡な解説だった。
【貧乏ゆすりの外国人】
写真展を見た後に、同じビルの1階にあるファミリーマートに入って、コーヒーを飲んで休んだ。いつの前にかコンビニのコーヒーが100円から140円に値上がりしていた。
しばらくすると私の前に、外国人観光客らしきカップルが座った。
男の背中には赤で「YOUKNOW CLOTHING」と書かれていて、女性の方には「LOVE CLUB」と書かれていた。その内に男の方が「貧乏ゆすり」を始めた。いつまでもやっている。私は外国人の「貧乏ゆすり」を初めてみたが、これを英語でなんというのか気になった。
男の「貧乏ゆすり」を見ながらスマホで調べてみたら、「Fidgeting」と言うそうだ。
【クラシック・コンサート】
毎月1回程度、京橋の「宝くじドリーム館」で、ランチタイムに無料の音楽のイベントがある。3月は「クラシック・スペシャルコンサート」で、いつもは1人か2人の出演者なのに、この日は20人も出ると知った。
会場に行くと既に大勢の人達が、入場を待っていた。普通は30~40人の観客だが、この日は140人も来ていた。演奏メンバーは20人で、管楽器・木管楽器・打楽器は1人で2~3種類の楽器を受け持ち、40人編成の楽団と同じと言っていた。
狭い室内で間近での演奏は音が大きく迫り、コンサート会場とは全く違う迫力である。
指揮者が話し上手で、それぞれの楽器を面白おかしく説明してくれた。久し振りのクラシック音楽を堪能した1時間20分だった。
【目が合った】
築地から銀座方面に向かうと、左側に京橋郵便局がある。
前を通ったら、外壁に真っ赤なプレートが貼ってあるのに気が付いた。
これだけ派手なら誰でも気が付く。
そこには「あ、目が合いましたね」と書いてあった。
そして小さめの文字で「そんなこの場所で、広告が出せます」とあった。
郵便事業が2007年に民営化されてたので、「儲けなければ・・・」という考えになり、こんな広告も出すようになった。
(おまけの話)【築地本願寺】
築地本願寺にお墓を買って以来、毎月、小冊子が送られて来るようになった。
その中のあるカレンダーに、「3月12日「おみがき」と書かれていた。
年末になると東大寺などで大きな箒で煤祓いをしているニュースを見るが、似たようなことをするんだろうと思い見に行った。
正門右手の小さな入口から入ると、正面に大きな親鸞聖人の銅像が立っている。
その右に植えられた桜が満開だった。遠くから見た時は「河津桜かな?」と思った。
近付いてみたら河津桜より「花びら」が小さい。ネットで調べたが、分からなかった。
お参りの前に「手水舎」に立ち寄った。外国人観光客が盛んに写真を撮っていた。
遠くからでは分からなかったが、この日は手水舎に花が浮かべられていて「花手水」になっていた。季節によって、アチコチの神社やお寺で「花手水」を行うところが多いが、これはとても人を和ませる。
築地本願寺は地下鉄「築地」駅から築地市場に向かう途中にあるので、かなり多くの外国人観光客が訪れる場所になっている。
石段を上り本堂に入った。
いまはパイプオルガンが撤去されていて、新しいものに替えるために足場が組まれたままになっている。
大きな賽銭箱がなぜか入口に近い場所に移動していて、本堂の金色の扉は閉じられたままでいつもと様子が違う。きっと扉の中で「おみがき」が行われているのだろうと思った。
帰ってから「本願寺おみがき」を検索してみたら、『普段は本堂・境内・納骨堂などの床拭きや窓ふきだけですが、「おみがき」の時は内陣の仏具等を全て降ろし、専用の洗剤等を使い溜まった煤や埃などの汚れを落とします』とあった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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03/01(金) 確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
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