
心の伊達市民 第一号
今年も私の住む中央区では9月になり、「敬老大会」が開催された。
8月中に70歳以上の人を対象に、観劇券の申込案内の封書が届く。
中央区には歌舞伎座、新橋演舞場、明治座の3つの劇場があり、毎年、順番に巡る。
今年は「歌舞伎座」の番で、9月の演目は「秀山祭9月大歌舞伎」となっている。
我々の招待された午前の部の演目は「白鷺城異聞」と「菅原伝授手習鑑 寺子屋」であった。
私は今年から80歳となったので、昨年までの2階席から1階の「一等席」になった。
夫婦単位で申し込んだので、女房も1階席で私の隣だった。この席の料金は通常価格で「1万6000円」である。
歌舞伎座の収容人員は1964人で、一番安い席は少ないがそれでも3階A席で「5500円」である。中央区は歌舞伎座を5日間貸し切りにするのだから、大変な金額で少く見積もっても1億円以上だろう。
今回の演目の前に書かれている「秀山祭」とは何かと思い調べてみた。
その結果は『初代中村吉右衛門の生誕百二十年を記念して、その功績を称えるため、俳名である「秀山」を冠し、平成18年9月歌舞伎から始まった祭』のようだ。
「白鷺城異聞」の粗筋は『白鷺城の最上階には異界の主こと天守夫人の富姫が暮らしていた。宴の開かれたある夜、藩主播磨守鷹を逃がしてしまった鷹匠の姫川図書乃助は、切腹か天守閣の最上階へと鷹を追うかの選択を迫られる。天守閣へ行くと決めた図書乃助は、富姫に二度と来ないで欲しいと言われ・・・』というような話だそうだ。
もう一話の「菅原伝授手習鑑 寺子屋」の粗筋は『菅原道真が藤原氏の陰謀で左遷された事件を元にして作られています。後に学問の神様となる菅原道真と、道真の政敵である藤原時平に、それぞれ分かれて仕える三つ子「梅王丸・松王丸・桜丸」が運命に翻弄される様子が描かれた物語」だそうだ。
「お涙頂戴」の物語のようなので、年で涙もろくなった私は泣いてしまう恐れがある。
前回の歌舞伎座の時から、私は「イヤホン・ガイド」(800円)の貸し出しを受けるようにしている。これを借りると、公演中にイヤホンを通して色々な情報が提供されるのでとても楽しめる。
8月末に歌舞伎座のチケットを受け取った少し後に、また中央区からプレゼントがあった。それは「買物券と食事券」が兼用のチケットで、3000円分が封筒に入っていた。
区長の挨拶文が入っていて、『拝啓 初秋の候、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。「敬老の日」を迎えるにあたり、心ばかりのお祝いをお贈りいたします。今後なお一層ご健康に気を付けて幾久しく長寿を重ねられ地域社会の良き指導者としてご活躍をくださるようにお願い申し上げます』と書いてあった。
その中にあった「地域社会の良き指導者」は、私は困る。まあ区長も期待はしていないと思うが・・・。
歌舞伎公演が始まる前に、今回から新らしく選出された中央区長の山本氏の挨拶である。区長は日本橋の「山本海苔店」の副社長だった人である。その次に中央区議会議長の挨拶が続き、更にいつものように警察署からの「詐欺」と「交通事故」の話があった。
11時に始まった「白鷺城異聞」は1999年の二世中村吉右衛門の創作歌舞伎で、巌流島後の宮本武蔵の話でとても面白かった。でもイヤホンガイドが無いと、見ているだけでは「なにがなんだか分からない」と思う。
歌舞伎を見るなら余程の「通」でない限り、イヤホンガイドを借りた方が良い。
私達の前の席の夫婦は初めて歌舞伎を見るようで、公演中も夫婦で、「セリフが、なんだか分からない」、「ストーリーも分からない」、「寝てればいいんじゃない」など小声で話しているが、それが私達には邪魔で注意したかった。
「タダだから来た」という典型的な夫婦で、2部の途中で帰って行ってくれたので助かった。
この会場に来ている人は、全て70歳以上である。歩くのも覚束ない男、途中でトイレに立つ男女と、年寄りならではの歌舞伎公演だった。次回の歌舞伎座公演の順番は3年後なので、今日の観客で何人がそれまで生きているか?
(おまけの話)
今回のような話題をブログに書くと、同級生で多摩地方のH市に住むYさんからクレームが付きそうだ。彼はいつも「多摩格差がある」と、電車の中の美人のことで文句を言っているからである。
私は今年で80歳になった。自分でも驚くと同時に、恥じ入っている。
「こんなに長く生きているのに、知らないことが多い」、「世の中の迷惑になっているのではないか?」などと考えて暮らしている毎日である。
今回は初めてだが、「本当に多摩格差はあるのか?」を数字で調べてみた。
1、人口 中央区(17万3044人) H市(18万7322人)
2、平均年齢 42.3歳 44.3歳
3、平均所得 712万4559円 371万3187円
初めてデータを調べて驚いた。人口と平均年齢では大して違いは無い。
しかし平均所得で2倍近い差があるとは知らなかった。これで多摩格差があるのは間違いない。
中央区では75歳以上に,毎年、敬老祝い金として3000円の「買物券」が支給される。
77歳と88歳はこの他に5000円の「寿司券」が、100歳だと1万円の「買物券」が支給される。
他には65歳以上の人には区内の浴場を100円で利用出来る「入浴券」、そして目玉は70歳以上の人を対象に区内3ヶ所の劇場を順繰りに折弁当付きで招待である。
試しにH市の敬老を調べてみたら、「おむつ支給」と「100歳で祝い品」となっていた。
Yさんの思っている以上に「多摩格差」はあった。でも私では、どうにも出来ない。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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人生は後半戦が面白い。楽輝己書道場・兼子孝子さん
大町ミニギャラリー(伊達市大町3番地7)で11月26日まで楽輝己書(ラッキーおのれしょ)道場の作品展が開催されています。 独特の丸いフォルムが特徴の己書。筆ペンを使って誰でも手軽にできて、「描いて楽しい、見て楽しい、もらって嬉しい」のが魅力です。 会場には笑顔を誘う優しくておおらかで、ユーモラスな作品たちが賑やかに並んでいました。 兼子さんと生徒及び推薦した師範の皆さんの作品 楽輝己書道場の代表・兼子孝子さんは登別在住。「人生は後半戦が面白い。楽しんで輝いて生きましょう!」をモットーに登別、室蘭、伊達、白老、苫小牧、と西胆振中心に、札幌、旭川他、道外でも教室を主催しています。 都道府県ご当地地蔵シリーズ 5年前、知人のFacebookに投稿された己書を見て衝撃的な出会いをしたという兼子さん。それまでは一人で飛行機に乗れなかったそうですが、一念発起して本州に通い師範、さらに上席師範の資格を取得。北海道で己書を広めるため道場を開き、現在は指導者の育成にも力を注いでいます。 今年の作品展は室蘭市民活動センター、旧室蘭駅舎、カフェアンジュリエ登別、のぼりんと続いて大町ギャラリーで年内最後となります。 一番の見どころは壁一面に広がるカラフルな小型のパネル!ひとつひとつに素敵な文字が書かれています。通称「なっとう額」、なんと納豆のフタに土佐和紙を貼った手作りの額縁です。その数なんと544枚! ギャラリーの壁を一眼見てひらめき、お弟子さんたちと力を合わせて展示したそうです。 ほかにも個性的な作品がたくさん! だるまと招き猫シリーズ。かわいい! 「己書は己の書だから他人と比べなくていいんです」と兼子さん。 筆ペンなので二度書き、三度書きOK。筆圧がなくてもかけるので、年齢問わず体が不自由な方や病気の方にも喜ばれるそう。 私も体験させてもらったのですが、一文字一文字、ゆっくり書いていると心が安らぎ、まるでセラピーのような癒しの時間だな、と思いました。 兼子さん「自分の時間が形になって楽しめること。みんなに喜んでもらえることが一番の魅力だと思います。己書に出会ってからご縁がどんどん繋がって活動が広がり今があります。涙が出るほど嬉しいです!」 コロナ禍で生徒さんが教室に来られない状況が続く中、オンラインレッスンを活用して活動の幅を広げ、さらに今年は自宅で己書を楽しんでもらおうと仲間とアマゾンから電子書籍(無料)を出版しました↓↓ 筆ペンで描いた 淳ちゃんとカネちゃんから贈りもの 一期一会を大切に、面白がって新しいことにチャレンジし続ける兼子さん。おおらかな笑顔が己書のお地蔵さんの表情と重なりました。 作品展は2021年11月17日〜26日まで(最終日の展示は13時まで)。 各教室のほか、年賀状講座も募集中です。 手書きでちょっとしたものをサラッとかけるようになり、実用性もかなり高い己書。あなたもはじめてみませんか。 兼子孝子さん 日本己書道場公認 上席師範 楽輝己書道場 代表 090-1388-4716 オンライン幸座も受付中!! Facebook Instagram むしゃなび掲載ページはこちら ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
むしゃなび編集部
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洞爺湖の紅葉
10月も残りあとわずかですね。 紅葉も終盤という時期ですが、 ここにきて、洞爺湖の紅葉の色づきが一段と鮮やかに。 ぐるっと回って見てまいりました! 仲洞爺キャンプ場近く 仲洞爺から洞爺水の駅方面の道路。 紅葉トンネルが続きます。 えぼし岩公園 山全体が色とりどりに染まって錦絵のよう・・・素晴らしい眺めでした! 葉陰から洞爺湖。 葉陰から洞爺湖その2 財田周辺 画像では見えづらいですが、中島も色づいています。 夕日の見える渚公園 駐車場の周りも見事に色づいていました。今年の紅葉、本当にきれいでした!! このあと今月いっぱいは楽しめそうな感じです。 みなさまもドライブやサイクリングに出かけてみては。
むしゃなび編集部
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原体験に導かれて〜好きを極めた永遠の鉄道少年 横山靖樹氏
原体験 「父親に連れられて、今はなき室蘭機関区に蒸気機関車を良く見に行っていました。たしか2歳頃からだったと思います。当時は90%が貨物か客車を引っ張る機関車で、間近で聴く警笛の音に驚き、父の膝の上でビクッと飛び上がった記憶があります。」 そう語り始めたのは室蘭市舟見町ご出身の横山靖樹氏。 今回の主人公です。 数年前に伊達市役所を退職し、今は室蘭で週数日の仕事を請け負っていらっしゃるそう。 全く知らずに取材を申し込んだのですが、実はその世界の専門誌に登場する有名なモデラーとライターさんでもあることが発覚! なんとも恐れ多いことをしてしまいました。 ですが、とても気さくに丁寧に取材に応じてくださった横山靖樹氏でした。 「12歳になると鉄道模型に夢中になりました。二年間で貯めたお年玉1万1千円で初めて買ったのは金属モデル16番セット(日本規格のJゲージともいう)のBタンクと呼ばれるものです。だいたい6時間くらいで作ったかな…。当時はプラモデルがとても流行っていましたが、僕が作る鉄道模型は真鍮でできています。ですから、父からハンダ付けの道具を借りて作りました。今でもその時の模型は電源・レールともに保管してあります。」 わ! いきなり専門用語が出てきました。 Bタンクって何? 鉄道模型ってプラモデルとは違うんだ! 電源ということは動くの? これはお話に付いていけない予感…。 けれども靖樹氏は優しい口調で丁寧に説明してくださいました。 「Bタンクというのは動輪が二軸あることです。16番(Jゲージ)というのは実際の大きさの1:80の大きさと機能を表すものです。特徴としては加工がしやすくキットが豊富で精密にできます。つまり、より本物に近いものができる。精密に作ることができるので、1:80の大きさとパワーで本物っぽく動かすことができるのです。動かない鉄道模型は僕の中では認めていません。」 鉄道模型には強いこだわりがあるようです。 優しさの中に頑固さを見た瞬間でした。 鉄道模型への想いが熱い!! こちらも模型です。 雪煙を上げながら走るこの列車のカラーは国鉄色と呼ばれるオレンジ色です。 市役所現役時代から所属していた鉄道模型クラブの仲間同士の合同運転会などで、 情報交換やアドバイスをもらい技術を上げていったと言います。 なるほど! 文頭の画像は特別なものではなく、大きさは色々でも全て精巧に動くように作られているというわけです。 模型作りにどんどんハマる靖樹氏でしたが、子どもにはとても高価なのでそう簡単に買えるものではありませんでした。 ある日、中学生になった靖樹氏は鷲別機関区へ行きました。 「その頃は緩かったというか、車庫入りしている機関車に乗せてくれたり、警笛を鳴らさせてくれたりして、今でいう『体験』を通したさり気ない教育をしてくれたんです。」 結果、この時の体験は靖樹氏を『撮り鉄』の道へと駆り立てました。 北海道の蒸気機関車を撮りたい! 靖樹少年、ついに『撮り鉄』の旅を始めます。 「中学生の頃は学校の長期休みを使用しながら、日帰りで出掛けていました。カメラはお年玉で買いました。でも、ジュラルミン製のカメラバックと三脚は父が買ってくれました。」 「高校生になり、宿泊しながら撮りに行くようになりました。とは言っても、夜行列車を利用した車中泊です。いままで一度だけ遠軽の旅館に泊まったな。カメラは当時日給が高かった母方の親戚の酒屋のバイトをして一眼レフを手に入れました。室蘭は急な坂が多いでしょう。坂の下で車から荷物を下ろし、上り坂を担いで行くんです。キツかった…。」 「ところで、撮り鉄時代の面白エピソードや、車中泊や駅泊で困った思い出などありましたら教えていだけますか?」 「高校生時代からひとり旅を許されたのですが、予備フィルムやカメラ、列車時刻の確認、移動切符手配など、周到な準備で出かけるようにしていました。厳冬期 -25℃の道東の朝の出来事なんですが、メガネの金属製ヒンジがポロリと折れてしまいました。ツルの一つはかろうじて耳にかかっていましたが、直ぐずれて間抜けな顔に…。カメラファインダーも覗けず難義しました。メガネの予備を持たなかった失敗談です。また、あるお盆近くの日の出来事です。北見方面の長さ600m程の有名な怪談トンネルを訪れたのですが、トンネルの先は絶好の撮影スポットなので是非とも撮りたいと思っていました。信号所の職員さんに蛍光灯を点けてもらい、帰りもお願いしたのですが、帰りの約束の時間になっても蛍光灯は点かず辺りは真っ暗。職員さんは約束を忘れてしまっていたんです。山間はもう真っ暗でしたが、ダイヤを確認し勇気を振り絞りいざトンネルへ。そこで体験したのは超怪奇現象でした…。真っ暗なトンネル内で何度も転び、真っ黒になって信号所に助けを求めたところ、『あっ 忘れていた! また出たの!? 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化粧品ですか?」 「はい。たとえばネイルパーツなどをよく使います。」 つまりオリジナルの世界なのでキットでは作れないというわけです。 それではここで鉄道模型とジオラマの世界をとくとお楽しみください。 いかがでしょう? 細かい作業が苦手な筆者には、神業すぎて、素晴らしすぎて写真だけでもコーフンします。 もちろんこれらは靖樹氏のコレクションの極々一部です。 現在、車両のみで300両はあると言います。 それらは全て自宅納戸に保管されているそう。 「どれも皆素晴らしいですね!ところで、いま一番作りたいものは何でしょうか?」 「ジオラマでは鉄橋です。河川に架かる橋は鉄道車両と一体になる風景です。橋梁製作、法面の(植物)作成、河川表現等ジオラマの世界では高度な技術を駆使します。今、橋でも難しいリベット組立の魚腹ガーダー橋梁を使用したジオラマ製作を行なっています。」 最後に鉄道模型車両とジオラマ風景を融合させることの魅力を語っていただきました。 「まず、作ることそのものが魅力です。そして、ジオラマと融合させることで自分が育ってきた北の街の昭和の風景を再現することができる。あの頃の時代は戻らないけれど、自分で作ることでいつでも手の届く存在として側に置くことができる。まあノスタルジーですね。北軌道倶楽部のアジトにはレイアウトを考えた線路が常時敷かれた状態になっています。そこに人や樹木や草地や川や土手など風景を加えていくことで、想像の世界が広がっていきます。そうそう、今、会で『樹木ひとり一本運動』というのに取り組んでいます。一人一人が樹木を作り森を育てています。ジオラマの環境整備ですね。皆んなで作ることで、会員同士が交流し合い、切磋琢磨し合って、技術レベルも上げていきたいし、より素敵な模型とジオラマの融合の世界を作っていきたいと思っています。その過程が魅力です。若い人も増やしていきたいな。」 そして、実は「撮り鉄」も復活していました。 「撮り鉄はデジカメ時代になって復活しました。銀塩カメラ時代は現像して見ないと画像の確認ができませんが、今は出来をその場で確認できるのでとても便利で良いと思います。今でも車中泊の撮影旅(放浪の旅とも言う)を許してくれる嫁さんには本当に感謝しています。もちろん、キチンと1日一度安否報告はします。列車撮影、車中泊等全ての面でちゃんとコンプライアンスは厳守していますので、昔のようなエピソードはありません。でも、列車の遅れ、運休は昭和より多いですね。安全を考慮するとそうなるのかもしれませんが、『鉄道魂』と言うものが現場から消えかかっているのでしょうか…。時代は変化しているという事をつくづく感じます。」 永遠の鉄道少年靖樹氏は、終始にこやかに物語を話してくれました。 「どこかで常設展示していただきたい気持ちはありますが、車両1両が何十万円もする物ですし、輸送中壊れやすいジオラマもありますのでそう簡単なことではありませんね。」 是非「だて歴史文化ミュージアム」に横山靖樹コーナーを作って欲しい! 切に願います!
Rietty
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山本英次