伊達市には、もう12年も行っていない。
その前は9年間も夏の間だけだが、毎年3ヵ月以上も滞在していた。
「10年 ひと昔」という言葉があるが、もう「ひと昔」を越えてしまった。

それでも伊達市と縁を切ったわけではなく、今でも「心の伊達市民第一号」であるし、毎年、特産品を送ってもらっている。 


 ゴルフ場の途中の赤鳥居は懐かしい



伊達市で知り合った多くの友人がいるが、残念ながら亡くなった人も多い。
大変にお世話になり、私が伊達市に溶け込む手助けをしてくれたKさん、私より年長だったKさんはもういない。元気にしていても、月日の経過で段々と疎遠になるのは仕方ないかもしれない。

ところが相変わらず親しくしているのは、伊達市ではなく隣町壮瞥町の農業のIさんである。我が家の米「ゆめぴりか」をお願いしているし、時々、電話をくれる。 


コテージ「桜の家」全景



今回の電話で、私はお願い事をした。
それは『暇な時があったら急がないから、私達の滞在していたトーヤレイクヒルGCのコテージ「桜の家」の写真を撮って送ってもらえないだろうか?』という面倒なお願いである。

そもそも私達が伊達市に行かなくなったのは、滞在先だったトーヤレイクヒルGCが中国資本に売却されてしまったからである。購入者の中国人はここに中国人専用のリゾートホテルを建てるつもりだったようだ。


新山コースの方向から見た「桜の家」



それが中国の最初の土地バブルの崩壊で、資金的に行き詰ってしまったようだった。
そしてゴルフ場は放置されたままになり、荒れ果ててしまった。

以前に伊達市のHさんにも同じことをお願いしたことがあった。
その時はまだあまり時間が経っていなかったせいか、割合に良い状態のままだった。
そこで今回は壮瞥町のIさんに、調査を依頼したわけである。


 「桜の家」の入口



「まあ、1ヶ月くらいした送ってくれるだろう」と思っていたら、電話の2日後に写真が送られて来たので驚いた。今の時期は仕事が忙しいだろうに、全く申し訳なかった。

写真は15枚もあり、現在の様子が良く分かった。そしてメール受信のすぐ後に電話があり、詳しい状況の説明をしてくれた。少し訛った彼の話を聞くと、なんだかとても暖かく感じる。


 窓から見た「桜の家」の室内(キッチンと食堂テーブル)



『ゴルフ場には全く人の気配がなく、少し怖かった』と言っていた。
「桜の家」は窓ガラスも割れておらず、外から見た感じでは廃墟にはなっていなかった。窓から中を覗くと、多少の散らかりはあるが、今でも住めそうだった。

ゴルフコースの方は雑草が生茂り、原野に戻りつつあった。
「夏草や兵どもが夢の跡」という感じがしたのである。


「新山コース」の6番か7番?



そこから少し上に上がった場所からの写真もあったが、そこからIさんの農園と販売所、洞爺湖、その向こうに羊蹄山も写っていた。
あの頃の思い出が蘇ると同時に、「変わるもの、変らないもの」がジーンと胸に迫って来た。

電話を切る前にもう一度お礼を言うと、北海道弁の『なんも、なんも」が返って来た。
私は彼の話す「なんも、なんも」が大好きで、面倒を掛けているのに少し気が楽になるから不思議だ。


小高い場所から見た壮瞥町と洞爺湖



(おまけの話)
5月の後半に伊達市から封書が届いた。開けてみたら、「北海道伊達市フェア」の案内だった。時を同じくして同級生のYさんから、『北海道伊達市フェアに一緒に行かないか? そしてランチを食べよう』と誘われた。

伊達市フェアは八重洲口のヤンマービルの2階なので、具合の良いことにミッドタウン八重洲の隣だった。Yさんはミッドタウン八重洲には行ったことが無いので、そこでランチにしようと考えた。
サラリーマンがランチに来る前の、11時30分にYさんと待ち合せた。 


 ミッドタウン八重洲正面入口



ところがYさんから10時にメールが入り、『病院で9時の予約なのに、まだ呼ばれないので少し遅れる』とあった。その後、東京駅に着いたYさんから電話があったが、都心に慣れていないYさんは、東京駅の目の前の「ミッドタウン八重洲」になかなか来られなかった。

やっと会えた時は12時を少し過ぎていたので、ランチは後にして、先に隣のヤンマービル2階の伊達市フェアに行った。
「伊達市フェア」なので、私は伊達市の人達も来ていると思った。ところが会場は「TOCHI-DOCHI」という、どうやら1ヶ月単位の貸店舗の中の一角を借りたフェアだった


 伊達市フェアの会場



係の2人の女性と話をしたが、2人とも『伊達市には行ったことが無い』と言っていた。
私の知らなかった「赤いハチミツ」が前面に出ていて、他には大高酵素、キノコ王国、その他があったが、その中に私が贔屓にしていた「久保」の「かぶとまんじゅう」があったので、それを買い求めた。家に帰って食べたら、懐かしい味がした。

ランチは比較的、空いていた創作中華料理屋で食べてから、丸の内側に移動してスタバで休んだ。「抹茶クリーム・フラペチーノ」を飲みながら、お互いに個人的な話をした。Yさんが孫を可愛がっている話を聞いて、孫のいない私には羨ましい話だったが楽しいひと時だった。


懐かしい「久保」の「かぶとまんじゅう」


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    月日が経って、「変わるもの、変らないもの」がはっきりと目の前に迫ってくる感慨深さを察します。

  2. 多摩のY
    多摩のY
    返信

    妻の生前に伊達市の別荘に招かれ数日滞在し、奥様の手料理や近辺の街並みを案内してもらったことを何時も懐かしく思い出している。時折伊達市からの便りを興味深く読み返している。
    そんな折、東京駅八重洲口のビルで「伊達市フェアー」開催とのお知らせが届き、早速名誉市民1号のH君へ連絡した次第。
    普段はプールリハビリーでの歩行のみの毎日であるので、理由を付けての外歩きを実行に移すことにした。普段の3倍の歩数を記録した。痛みを我慢しながらの新東京駅見物に満足の一日であった。

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