【住吉神社例祭】
佃にある住吉神社は私の住む勝どきも守備範囲で、祭礼の際にはマンションの管理組合からかなりの額の寄付金が出されている。その為に8月5日の神輿の巡幸の際は、マンションの敷地内に神輿がやって来る。

今年は新型コロナウィルス感染で中止となっていた「住吉神社の夏祭り」(通称・佃祭)が5年ぶりに開催され、今年は3年ごとの「本祭」であるから盛り上がった。


神社への道は集合する神輿で大混雑



佃という地名は現在の大阪市西淀川区に縁があり、そこには住吉神社の総本宮の「住吉大社」がある。徳川家康が関東に入る時に大阪・佃の33人の漁師と、住吉大社の神霊を奉戴して江戸に入った。

そして漁師たちには隅田川の中州が与えられ、自分達で埋め立てたと言われる。
その後、1648年に神社を「住吉神社」として建立した。だから佃は現在でも、周りの町とは少し違う雰囲気がある。


4ヵ所に大幟旗が立てられた



佃祭の予定を見ると、8月4日(土)大祭式、町内神輿巡行。5日(日)獅子頭・町内神輿勢揃い巡幸。6日(月)宮神輿(八角神輿)宮出し、船渡御。7日(火)宮神輿宮入となっている。祭が最高潮に達するのは、5日の「獅子頭」の宮出しから始まる。

住吉神社の宮神輿は「八角神輿」と呼ばれていて、八角形の形をしている神輿である。八角形の神輿は関東では非常に珍しく、これも大阪の住吉神社の影響を受けているのだろう。この形は天皇陛下の御座を模したと言われている。資料によると「今では月島、新佃、勝どきと舞台は広がったが、基本的には江戸時代と変らず、観光客は相手にせず佃だけで完結する潔い祭りである」とあった。


 雌雄3組の獅子頭が巡行する。



佃祭に必要な大幟旗柱とそれを支える支柱は、普段は神社裏の掘りに埋められていて、祭になると掘り出されて組み立てる。これは20メートルを越える高さの幟で、祭が終るとまた堀に埋められる。

普段は隅田川の水が張っている場所なので、1年中、水に浸かっている。
この方法が木材を腐らせないらしい。私は祭の前に写真を撮りに行ったが、あまりの高さで遠くからでないとカメラの画面に入らなかった。


一番神輿が巡行すると、盛大に水を掛ける。



我が家の運河を挟んだ向こう側に、住吉神社の「御旅所」がある。
私はズーと「おたびどころ」と読むのだと思っていたら、「おたびしょ」だった。
久し振りに小学校で習った「重箱読み」が、こんなところに出て来た。

「御旅所」とは「神社の祭礼において、神様が巡幸の途中で休憩、または宿泊する場所」である。お祭りの時は神様は神輿に乗って御旅所にやって来るので、そうなると本殿には神様は留守になっていることになる。


水道のホースでも水を掛ける。



どうせ家に居てもやることは無いので、都バスに乗って住吉神社に行ってみた。
すると既に町内の神輿が続々と、神社目がけて担がれて威勢よく進んで行くところだった。神社近くの道路には、既に多くの神輿が待機していた。もう佃の町は祭一色だった。

11時になり雌雄3組の獅子頭が神社から出て来て、町内渡御を始めた。
引き続き各町内の神輿も続く。沿道からはバケツで水を掛ける人、水道ホースで水を掛ける人で水浸し状態となった。私は暑さにやられて、ここでリタイアして家に帰った。


マンションでは噴霧水を掛けた。



その日の15時30分に、町内の神輿がマンション敷地内にやって来た。
バケツに水が用意されているが、慣れない人が多いので、水を掛けたら怒られると思って控えている。
神輿の担ぎ手は元気よい掛け声で、「オリャ、オリャ」と叫んで神輿を練る。
入口通路に近付いたら、今までとは違う噴霧状の水が掛けられた。

遠くからで良く見えなかったが、新兵器だ。マンションの敷地に入り休憩となり、管理組合が飲み物などを振る舞っていた。午後5時になり、巡幸して来た神輿が向かいのマンションの広場に入るのが見えた。


向かいのマンションにやって来た神輿



(おまけの話)
8月6日の朝には船渡御が行なわれた。
「船渡御」とは祭礼の神事のひとつで、神体や神霊を船に乗せて川や海を渡す行事である。住吉神社の「船渡御」は大阪では盛大に行われているので、その流れを受け継いでいるものと思われる。

佃の住吉神社では昔は佃の渡しから神輿を担いだまま隅田川に渡御したようだが、川の水の汚染などで中止になっていた。それが1990年に復活し、東京湾の晴海沖で海上祭が行われるようになったという歴史があるそうだ。


船渡御の一団がやって来た。



午前7時に住吉神社近くの隅田川テラスより船渡御が行なわれると分かっていたが、私は不精をして船がやって来ると思われる近くの築地大橋の上で待ち構えた。ここなら10分で行けるので、7時少し前に家を出れば良い。7時過ぎに隅田川の上流から勝鬨橋の下を通過して、船渡御の一団がやって来るのが見えた。


隅田川を東京湾に向って進む「船渡御」



船が近付いて来ると、先頭の船には「お囃子」の一団が乗っているのが見えた。
上から見ると船の中ほどに宮神輿の「八角」が据えられていて、その前には2人の神主が見える。

そして築地大橋で待つ私の下を、船渡御は通過して行った。
僅か10分ほどの「SHOWTIME」だったが、見に来て良かったと感じた。


 船には神主、神輿、役員が乗船していた。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

  1. Shinji
    Shinji
    返信

    刻々と、祭りの興奮が伝わってきます。

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