
心の伊達市民 第一号
金持ち中央区が、今年も高齢者を対象に敬老大会の「観劇会」を行った。
区内に3ヶ所ある「歌舞伎座」、「明治座」、「新橋演舞場」を、毎年順繰りに巡るのである。昨年は歌舞伎座だったので、今年は新橋演舞場になった。
招待される資格は9月15日現在で、「70歳以上の人」である。
ここへ越して来た時の私は、丁度、招待される年齢だったので、今回で11回目となる。
招待人数が増える一方なので、これがいつまで続くだろうか?
同じマンションの87歳のバアチャンが、初日に行ったのでLINEで様子を聞いてみた。
彼女の話では『区長の挨拶は良かったけれど、芝居は面白くなかったので一幕で外へ出た。その後に一緒に行ったと友達と映画「こんにちはお母さん」を見たが、その方が良かった』と書いてあった。
今回の出し物は「ふるあめりかに袖はぬらさじ」であり、主演は「大竹しのぶ」である。女房は「大竹しのぶ」はあまり好きじゃないようで、私もバアチャンの話もあったのであまり期待をしていなかった。
でもお弁当付きの無料招待なのだから、文句を言っては罰が当たる。
招待状に入っていたパンフレットで、芝居の粗筋を読んだ。
「幕末、開港前の横浜。遊郭「岩亀楼」の花魁・亀遊は店のお抱え通訳・藤吉と恋仲。アメリカから来た商人・イルウスに見初められ身請けが決った。藤吉との恋が成就しない亀游は自ら命を絶つ』
『亀游の幼馴染の芸者・お園は悲しむ。ある日、目にした瓦版に驚く。そこには「異人に体を許すなら、自らの命を絶つことを選んだ攘夷女郎」と真相が捻じ曲げられていた・・・・・・。芸者お園役が「大竹しのぶ」である。
指定された座席は前から15列目で、横から7番目だった。
この席は花道のすぐ横で、公演中に3回も役者が私のすぐ横を通った。
中央区は全館を貸し切りにしていて、多分、1階は80歳以上、2階席と3階席は70歳から79歳までの人達でほぼ満席だった。
私の席は通路に出る時には、横の人達6人に迷惑を掛けることになるので事前にトイレに行っておいた。期待して早めに行ったのに、今回は残念なことに山本区長は所用で来られず、代理が来て山本区長の代読をした
11時から始まった芝居は12時少し前に1幕目が終り、そこから40分の休憩で支給されたお弁当を自分の席で食べる。食中毒を心配してか、いつも酢飯の幕の内弁当である。
役者がボソボソとセリフを言ったら分からないと思い、念のために補聴器を持参した。
思ったよりセリフが良く聞こえた。そこで試しに補聴器を外してみたら、良く聞こえなかった。私より高齢の人が多いのだから、良く分からないままの人も多かったと思う。
女房でさえ、主役の「大竹しのぶ」のセリフは分かり難いと言っていた。
後半が始まって間もなく隣を見たら、女房は居眠りをしていた。
終ってから聞いたら、『全然面白くなかった』と言った。
それより私が感心したのは「大竹しのぶ」は2時間以上もの間、早口でセリフをしゃべり通しだった。
このセリフを覚えるのは大変だったろうと思う。テレビ演劇や映画なら、「カット!」で撮り直しが出来る。でも芝居はそれが出来ず、いつもぶっつけ本番である。
家に帰ってチケット料金を調べたら、1階席は1万6000円(弁当別)もしたのである。
招待客は全員が70歳以上だと分かっている。
だから杖をついている人が30%くらいはいる。中には歩行補助カートの人もいる。
足の悪い人は圧倒的に男で、連れの女性はシャンとしている。
私は「杖が必要にはなりたくない!」と、新橋演舞場で強く思った。
芝居がはねてみなが一斉に外に出るが、杖の人が多くてなかなか進まずイライラする。
そこで帰りのバスは1台目に乗れそうにないので、バスには乗らず家まで歩いて帰ったのであった。
おまけの話)
私が築地本願寺にお墓を買って門信徒になり、同時に「築地本願寺倶楽部」のメンバーになって10年近くなる。でも買ったお墓を利用するまでには至っていない。
「築地本願寺倶楽部」のメンバーになると、毎月1回、「TSUKIJI」という小冊子が送られて来る。
その中に「へいわフォーラム2023」という企画が出ていた。
講師は以前はテレビで引っ張りだこだった、戦場カメラマンの渡部陽一氏だった。
講演のタイトルは「戦場からのメッセージをあなたに」だった。
講演会は9月17日(日)の午後1時30分から3時30分までで、お寺なので最初は僧侶の読経から始まった。講師の渡部陽一さんは、テレビで見たままの「ベレー帽」、「チョッキ」のスタイルで登場した。とても丁寧な方で、話し方は普通の人の3倍くらいゆっくりで、常に動き回りボディランゲージを併せて話す。
講演は3部構成で、1部は戦場の子供達、2部はウクライナ情勢、3部は僧侶との対談だった。現地で撮影する時は軍隊と一緒に行動する場合と、自分で通訳、ガイド、セキュリティを雇い、4人1組で行動して身の安全を図る場合とがあるそうだ。
本堂の大きなスクリーンに撮影した写真を映し出したが、最前線の写真は無かった。
彼は『戦争は常に子供が犠牲になる。自分はその子供達の写真を撮り、世界に知らせるのが役目だと考えている』と話していた。
ウクライナ戦争にも、この1年半の間に9回も現地に行き写真を撮ったそうだ。
しかもロシア側にも行ったそうだ。彼は現在51歳だそうだが、もう30年間も戦場カメラマンを続けている。とても面白い講演会だった。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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「B5(シ)の声を絶対に出すんだ!!」 カッコつけないカッコ良さ 声楽家 加藤亮子の諦めない生き方
今回の主人公は加藤亮子さん。 声楽家としての軌跡を追いました。 お話を伺ったのはグランドピアノが置かれたご自宅でした。 窓辺にはウルトラマンがいました。 棚には亀さんたち。 大きな窓からは空と海と夕陽が見えました。 「ウルトラマンは子供の時から好きで、特にウルトラセブンが好きです。お話が今見ても深いんですよ。怪獣とかも何故地球を攻撃するのか?とか。人間同士の信頼を無くせば勝手に滅んでいく…とかね。」 ふむふむ…。 なるほど…。 「亀は何かゆっくり可愛い。水の中を気持ちよさそうに泳ぐ様子、卵を産むときの様子、陸亀の孤高感、なんとも言えないのですが好きなんです。」 物語のプロローグは音大受験失敗から 小さい頃から音楽好きだった亮子さんが大好きなテレビ番組は、『ミッチと歌おう』(放送1963~1965年)でした。 これは、アメリカNBCの人気ミュージカル・バラエティー番組をNHKで放送したものです。 指揮者のミッチ・ミラー率いる26名の男性コーラスグループで、「クワイ河マーチ」や映画「史上最大の作戦」のテーマソングは日本でも大ヒットをしたので、筆者も覚えています。 そしてもう一つの番組は、『アンディウィリアムスショー NHK』。 便利な時代です。 オンデマンドで視聴することができました。 今観ると、とってもオシャレで温かくて面白くてカッコいい。 https://www.youtube.com/watch?v=mFPID7igH1c なるほど〜。 ストンと来ました。 なんとなくオシャレでカッコいい亮子さんのルーツがわかった気がしました。 さて、小学生だった亮子さんの元にある日ピアノがやってきました。 なんと、酔った勢いでお父様がピアノを買ってきたと言うのですから驚きます。 そしてお母様の勧めでピアノを習い出したのでした。 音楽家への道の第一歩でした。 ピアノ科を目指していた頃 「ピアノは高校三年生まで習っていました。音大を目指していたのですが残念ながら落ちてしまいました。ピアノは決して嫌いではなかったのですが、人前で弾くのは本当に苦手でした。本番になるとアガってしまうんです。」 通っていたピアノの先生は、受験に失敗した亮子さんに遠藤道子先生を紹介しました。 「当時、遠藤先生は札幌ショパン協会会長をなさっていて、ピアノの先生としては3本の指に入る怖い方と有名でした。だから、受験のためとは言えもう怖くて怖くて…正直嫌々でした。」 通い出してみれば案の定怒られてばかり。 「私からしたら『あの人上手いな〜』と思う人でさえ、ものすごく怒られているのですから、本当に怖い…。」 そしてとうとう。 「あなたみたいな生徒は初めてです!!!」 と、言われてしまいます。 今までの生徒さんは、直線的にどんどん上手になっていくというのに、亮子さんの場合は波がありすぎる曲線だったらしく、とうとう先生は呆れてしまったのでした。 ところがその怖い先生は、何故かとても亮子さんを可愛がってくれました。 しかも亮子さん本人にはまったく自覚がない可愛がり方。 それというのも、他の生徒さんには見せないプライベートな一面を亮子さんには見せていたのだそうです。 それは、他の仲間が「信じられない!」と驚愕するエピソードでした。 きっと、怖い先生に対してもガードや壁を作らない、お茶目で素直でカッコつけない亮子さんが愉快で面白かったのだろうと、筆者は勝手に想像しています。 「けれどもレッスンはとにかく容赦無くて…。初めから『あなたはピアノが下手!基礎からやり直し!!』と言われ、ソルフェーズの指の基礎練習の猛特訓を受けていました。ところがある日、その勉強中にピアノではなく声を褒められたのです。なんと、『あなた、声は出るわね!声楽科に転科しなさい!』と勧められてしまったのです。」 ついに、亮子さんにとっての転機がやってきました。 声楽家としての門を叩くことになったのです。 声楽科への転向 短大ではカナダ人の先生に声楽を学び卒業をした亮子さん。 なぜか小学校教員の道を選びます。 「10年間、教員として勤めました。子どもたちから『先生っていつも歌ってるね♪』と言われていました。自覚はなかったんですけどね。そんなこんなで、あんなに頑張って学んだ声楽から20年くらいブランクがあり、気づいたら40歳を過ぎていました。」 声楽から遠ざかっていた亮子さんに再びスイッチを入れたのは、娘さんのピアノの先生でした。 それはちょっぴりお調子者(失礼…)の素質が見えるエピソードでして…。 ピアノではあんなに人前でアガってしまうのに、なぜが歌ではアガらないとい亮子さん。 「ちょっと歌ってみたら?」 とさり気なく誘われてイタリア歌曲をいきなり歌ってしまいました。 「超楽しい! まだイケるかも♪」 スイッチオン! そしてこんなことも。 誘われて、小さな教会でTUBEの曲をノリノリで歌いました。 「めっちゃ楽しい!!」 そう。 久しぶりに人前で歌ったことが着火剤となってしまったのです。 これらがきっかけで声楽家としての火が再燃。 やっぱり人の前で歌うことが本当に好きなのだと実感した瞬間でした。 そうこうするうちに自宅で歌を教える様になりました。 「声楽を学んだとは言え、20年以上もブランクがある中で、ただ歌うのが好きというだけで人様に教えるのは正直不安でいっぱいでした。自分はまだまだ下手だと思っていましたし指導法にも自信がありませんでした。もう一度学び直したい!と、教室を探したのですがなかなか見つからず…。諦めかけたころ、ようやく東園己先生と出会いました。55歳になっていました。」 歌は筋肉です!! ようやく素晴らしい先生と出会い、レッスンをしていただけることになり、いよいよ初レッスンという日、なんと亮子さんは雪まだ残る早春の道で事故を起こしました。 「中山峠へ向かう途中、車がドリフトして路外に飛び出してしまったんです。ところが、なんと細い木2本に支えられ、体は無傷でした。そして偶然通りかかった方にドアを開けていただき助かったのです。木に支えられたこと、偶然通りかかった方が助けてくれたこと、体も無傷だったことなど、運の良さを感じました。」 ハプニングからスタートしたレッスンでしたが、東先生との出会いも運が良かったとしか言えないエピソードがありました。 「最初のレッスンで言われたんです。『あなたは癖で歌っている』と。おまけに『その癖を直すには2〜3年は掛かる』とも言われました。そして、歌いやすくなるための “体の使い方” も徹底的に直されました。先生のレッスンはとてもわかりやすく、学生時代には理解できなかったことが30年経ってストンと腑に落ちました。もう必死で学びました。するとその効果あってか、直すのに2〜3年はかかると言われた歌い方の癖が1年で『直った』と言われました。嬉しかったです。」 体の使い方?とキョトンと驚く筆者に。 「歌は筋肉よ!!」と答えた亮子さんは、おもむろに筋トレ式発声法の仕方の一つを教えてくれました。 今年でレッスンに通い始めて14年になりますが、自分の発声に少しずつ自信が持てる様になった10年目の頃、亮子さんはある目標設定をしました。 それは〜。 「トスカの『歌に生き恋に生き』を歌いたい!!」 でした。 それにはB5(シ)の音が出せる様にならなければいけませんでした。 そしてそれは無謀とも言える挑戦でした。 ところが奇跡は起きました。 65歳になった亮子さんに奇跡の日がやってきました。 B5(シ)の音が出たのです。 それまで何度も口にしていた「私って怠け者だから。お尻に火がつかないとやらないの」という台詞の意味がわかりました。 亀さんのようにのんびりと構えながら。 本当の本気が出るまで力をためるタイプ。 まるでウルトラセブンがジュワッと変身する様に。 力むことなく。 カッコよく。 おしゃれ。 だから女性から見てもちろん、男性から見てもカッコよく映るのだと思います。 最後に次の目標を伺ってみました。 「二つあります。一つは死ぬまでにオペラのアリアをできるだけたくさん歌いたいということです。もう一つは完璧だとは思わないで常に高みを目指すということ。どちらも絶対に諦めたくないです。こんなもんだと思ったらだめだと思っているんです。」 いざという時にウルトラセブンになれるように。 亀の様に辛抱強く。 梅番茶で喉ケアをしながら。 今日も亮子さんは歌っています。 「声をかけていただければ、たとえ、たった一人のためでも、どこにでも行きますよ〜!」 声楽家 加藤亮子 情報 洞爺湖芸術館FB https://www.facebook.com/toyakomuseumofart 加藤亮子 FB https://www.facebook.com/ryoko.kato.9699 Instagram
Rietty
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自然と人との調和を追求したい 〜美のクリエイター 長友加也の世界
お二人のお子様のママ。 そして。 珈琲焙煎所のオーナー。 またある時は。 ヨガインストラクター&美容整体師。 と、思えば。 時に少女。 時に少年。 果たしてその実態は…。 以前から、いつか取材をさせていただきたいと思っていた長友加也氏。 ようやくお話を伺うことができました。 お邪魔したのは『TOYACAFE』。 6年前に壮瞥町の地域おこし協力隊として移住をして来られ、3年の任期を終えて開業されたのが壮瞥温泉町の湖畔にある珈琲焙煎所『TOYACAFE』でした。 長友加也氏は静岡県浜松市生まれの39歳。 日本女子体育大学をご卒業されているので、バリバリの体育会系体質かと思いきや、意外にもそういう方ではありません。 いえ、そういう面も持ちながら感性豊かでしなやかな方です。 『TOYACAFE』を拠点に20年ほどのキャリアを持つ美容整体と、13年のキャリアを持つヨガインストラクターの仕事もマイペースで行っていらっしゃいます。 「珈琲焙煎については独学でした。小さな子どもがいますので、親になってからは、あくまでも子どもを中心に置いた上で、自分がやりたいことは何かを考えながら無理のないペースでやってきました。」 珈琲焙煎所のオーナーとしての加也さんについても詳しく書きたいところですが、そこの部分については今回こらえて…。 主にフェアトレードの豆を丁寧に手煎りで焙煎されているとだけ伝えておきます。 この度取材をさせていただいたのは、最近宣言された新たな肩書き『フォト(動画)クリエーター』としてのお仕事についてでした。 一見、お一人で何役も同時にこなすのは超人的だ!と思ってしまうのですが、なぜか加也さんからは、必死感というか、がむしゃら感というか、がんばっている感が伝わってきません。 淡々と。 粛々と。 自然体で自分の想いの方向に向かっているという自由な雰囲気を醸し出している。 これってものすごくクール! かっこいいなあと思います。 そんな加也さんに自己分析をしていただきました。 出た……宇宙人。 実は前回の記事の主人公も宇宙人でした ^^; 筆者はどうも宇宙人に引き寄せられるらしい…。 かくいう自分も宇宙人? いやそれはさておき…。 さらに続けてこう話されました。 これを伺って安心しました。 決してセンスだけで物事を極めているわけではなく、とことん追求してめいっぱい努力し、きちんと結果を出す人だということがわかったからです。 でも決してそれを表に出さない。 やはりかっこいい。 さらに尊敬してしまいます。 さて。 話をフォト(動画)クリエーターに戻します。 このお話。 実は加也さんのキャリアに裏付けられていました。 なんて素敵な!! これは、加也さんならでは、加也さんだからこそ撮れるものです。 そして今も続々と撮影依頼が来ているそうです。 独立宣言をするや否や舞い込む依頼に加也さん自身が驚いているご様子でした。 それは、これまでの加也さんの活動や発信が、必要な方にしっかりと伝わっていた証だと思います。 今回の取材でわかったこと。 『TOYACAFE』を拠点に置き、珈琲焙煎所・フォト(動画)クリエイター・ビューディーサロン(美容整体・ヨガ)と多方面に活躍しつつも、それは全て1本の軸を外れない活動でした。 365日の時間割の中で、全てが子育を中心とした隙間時間に見事に整理されていました。 長友加也氏は、しなやかな自由人かつ被写体に寄り添う美のクリエーターでした。 *画像は全ていただいたものです。 ―長友加也 情報― 長友加也Instagram https://instagram.com/kaya.n_film?igshid=YmMyMTA2M2Y= 長友加也Facebook https://www.facebook.com/takeuchi.kaya TOYACAFE Instagram https://instagram.com/toyacafe?igshid=YmMyMTA2M2Y= TOYACAFE HP https://toya-cafe.localinfo.jp クリエーター依頼 https://toya-cafe.localinfo.jp/pages/2702246/page_201903191041?fbclid=PAAaaRlA7qepU9u58JEGPIduBSXwsST_TFMjY2g7B4tXbxadOYI92yOhEeYlM (2023年1月取材)
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