
心の伊達市民 第一号
【江戸バス・EV車】
中央区報に「江戸バスにEV車を導入」と書いてあった。
15日にテスト乗車を行うと知って、区役所に出発時間を問い合わせた。
その結果は『15日の午前7時20分~午後7時まで、区役所発で8便が走る。定期運航はまだハッキリしない』と知らせて来た。そこで私は早速、15日(月)午前10時40分・区役所発のEV車の乗車に行ってみようと考えた。
ところが当日の朝になり、区役所から次のようなメールが届いた。
『先日ご連絡させて頂きましたEVバスの運行日について、運行事業者より車両の調整のため急遽、本日の運行ができないと報告がありました』
『EVバス車両の運行開始日については分かり次第、再度ご連絡させて頂きます』。
予定していたので残念だが、連絡待ちとなってしまった。
16日に改めて、区役所の担当者から運行時間を知らせて来た。
『業者からの連絡で、17日から運行する。時間については以前と同じ』とあった。
そこで早速、江戸EVバスに乗りに行った。
江戸バスは「北循環」と「南循環」があり、区役所から出発して区役所に戻る。
この日は導入された1台だけのテスト走行なので、100分に1回の割合で来る。
私の住む場所は「南循環」なので、この日はマンション前でEVバスを待つことにした。10時40分に区役所を出発したEVバスは、マンション向かい側のバス停には10時59分着のはずである。定刻になり、見慣れた赤いバスがやって来た。
バスの横の窓の上には「Elrcytic Vehicle Bus」と書かれている。
早速、バスに乗り込むと、特に以前と変わった感じはしない。
EVバスに乗った感想だが、エンジンが無いのだからもっと静かだと思った。
そもそも私は今までにEVという車に乗った経験が無いので、比較が出来ない。
それより気になったのは、エアコンの音がうるさいので、EV車が静かかどうか分からなかった。また停車時のドアの開閉がスムーズでなく、音が大きい。これはジーゼル車でも感じていたが、メーカーは日野自動車だった。
運転手にメーカーを聞いてみたら、このEVバスは中国製でBYD社のバスだつた。
このEVバスは資料によると、満充電にかかる時間は3時間、走行距離は200kmで、日本国内の小型EVバスとしては最長で、小売価格は1950万円(税別)だそうだ。
日野自動車も「ポンチョ」という名で、同等の小型バスを販売している。
それなら『なぜ中央区は国産車を買わないんだー!』と心の中で怒ってみたが、良く調べたらこのEVバスはポンチョで、日野自動車がBYD社にOEMで発注している車だった。(ガッカリ!)
私がよく利用する「東京BRT]のバスのメーカーはトヨタである。
この車は燃料電池車で、「水素をエネルギーとして発電し、モーターで車輪を駆動して走行する」仕組みになっている。
江戸バスより大型であるにもかかわらず、全く静かだ。エアコンも気にならないし、ドアの開閉も静かだ。中国とは色々ともめ事が多いので、出来るなら江戸バスも国産を使って欲しいと思った。
(おまけの話)【東銀座のアート】
中央区役所に行く時に、江戸バスに乗らずに都バスで行った。
「築地」というバス停で降りると、目の前は東劇ビルである。
その1階にお休み処があり、そこに歌舞伎に関係する展示物がある。
その日は「隈取り」だった。説明文によると、『紅は若さ、正義、勇気』を現す。藍色は『悪役、悪霊』、茶色は『妖怪など人間でないもの』を現すそうだ、この解説で、私には隈取の意味を知ったのである。
道路を渡り、築地川公園に沿って区役所に向かう。
1つ目の交差点の斜め向こうは、現在は工事中である。
工事用のフェンスに江戸情緒豊かな「町火消」の絵があった。
そこにある説明文によると、『町火消は江戸を48組に分け、「い」、「ろ」、「は」48文字を組の名前と組の目印とし、それぞれ纏いと半纏を作りました』とあった。なかなか粋な姿で、アート的な姿だった。
その道を右に入ると、フェンスの続きでなにやら作業をしている一団がいた。近寄ってみたら、「Welcome to 東銀座 2024」というイベントで、「東銀座エリア仮囲いイラスト・コンテスト」の入選作を貼り出す作業中だった。どの作品も素晴らしい。
みんなプロの作品のようで、ベスト8を張り出していた。そして作品にはQRコードがつけてあり、詳細が分かるようになっていた。
東銀座はアートの町だったことを、私は初めて知った。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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「SeicomartのCMソングを歌いたい!!」 伊達のArtist 藤河 ちあき の未来予想図
むしゃなび読者の皆様へ 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は、多くの皆様にご訪問いただきまして誠にありがとうございました。 Riettyとして、記事を書かせていただくことになって2年目。 2022年も、Riettyが出会った「好き」「楽しい」「いいね!」を皆様と共有できるような記事を書いていきたいと思っています。 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 さて。 閑話休題。 新年第一弾は、伊達の歌姫 Artist 藤河 ちあきさんのご紹介です。 昨年末、待ち合わせしたのは伊達の牧家さんでした。 待ち合わせ時間より少し前に到着し、ちあきさんを待つ筆者。 そして、ちあきさんが入店した時とても驚きました! 彼女の周り全体を優しい光が包んでいる。 うまく表現できませんが、これがオーラなのか!と感じました。 ↑注文したアイスカフェオレを嬉しそうに写真を撮るちあきさん♡ 藤河ちあきさんは、伊達市のご出身。 歌手への道を決定づけたのは5歳の時のことでした。 5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めた出来事があったそうです。 それは、「なりたいな…」ではなかった。 「なる!」でした。 ちあきさん自身、「あれは決意でした。」と語っています。 大好きな歌を高校までは独学で学び、高校卒業後は東京へ出て修行の道を歩き出しました。 実はちあきさん、イラストレーターとしてもジャズシンガーとしても有名な水森亜土さんの大ファンでした。 亜土ちゃんグッズをたくさん持っていたそうです。 そして偶然にも親友のお父様が亜土さんの知り合いだったこともあり、水森亜土劇団の門を叩くことになりました。 劇団員としても亜土さんの運転手としても働き、約一年間、住み込みで修行をしました。 その後も学び、働き、各所で歌い続けながら6年の歳月が流れました。 けれども…。 なかなか芽が出ず、生活することにも疲弊してしまったちあきさんは、悩んだ末に帰郷することを決意しました。 13年前のことです。 「自分はダメなのかな…。」 それは、まさに打ちひしがれての帰郷でした。 つまりは挫折…。 ↑大好きな海。ここが藤河ちあきの心の拠所なのだそうです。辛い時もここに来ていたそう。 それでも。 「私には歌で生きていく以外は考えられませんでした。でも、そのためにはどうしたら良いのかも、その頃はわからなかった。 辛くて、辛くて、アルバイトをしたりしながら気を紛らわせて暮らす日々がしばらく続きました。」 その間、結婚も経験しました。 子供も二人授かりました。 しかし、結婚生活には2年でピリオドを打ちました。 親御さんからは経済援助を受けない決意でがむしゃらに働いていた日々。 二人の子供を抱え、困窮した生活に地獄も感じていたと言います。 それでも。 どうしても忘れられない歌への道…。 「私が生きる道で大切なものって何だろう? やっぱり歌を唄いたい…。 でも…。」 子供という宝ものを大切にすることが第一だとは分かりながらも、悶々と自問自答する毎日が続きました。 なんとか立ち直らなければと本も読み漁りました。 特に心理学や哲学の本を好んで読んだと言います。 そんなある日、ある人物と食事をしながら話したことがきっかけで、ちあきさんの歌道の第二の扉が開かれることになりました。 その後は様々なご縁が繋がる中で、レストランを初め各種イベントで唄うチャンスを得られる様になっていき現在に至ります。 思えば。 筆者が藤河ちあきさんの歌を初めて聴いたのは、伊達ウクレレ協会さんの小さなコンサート会場でした。 確か7年前のこと。 初めて聴いたちあきさんの歌にもちろん感動しましたが、どことなく寂しげに見えた訳が、これらのお話を伺い、なんとなく分かったような気がしました。 ちょうど、自分の道を暗中模索していた頃だったのですね。 「つい5年くらい前までは、人前で唄うと物凄く緊張して声が震え、なかなか克服できないでいました。自分でイメージトレーニングをするうちに、気がついたら声が震えていないことに気がつきました。場数を踏んだことで克服できたのかもしれませんが…。」 きっと、これはどんな仕事でも通る道。 でも、歌手として唄う場の数を増やすことは容易ではなかっただろうと察します。 「多くの方に支えていただいたから今があると思っています。 実は、今年の3月に開業届を出しました。 歌を生業にすることを決意したのです。 素晴らしいマネージャーさんにも恵まれました。 」 ちあきさんは、なんの迷いもないキラキラな笑顔で語ってくれました。 ↑藤河ちあき オフィシャルページのプロフィール写真です。 ところで、ちょっと思い切った質問をぶつけてみました。 ちあきさんなら真摯に受け止めて答えてくださると思ったからです。 「現在38歳でいらっしゃいますが、10代で売れている歌手が多い芸能界ですよね。ようやく順調に歌手活動が動き出したとは言え、ご自分の年齢を障害に感じることはありませんか?」 すると、キラキラの笑顔は一つも曇ることなく、ちあきさんはこう答えてくれました。 「それは全く感じていません。何故なら人にはそれぞれの夢の叶え方があると思っているからです。スピーディーに成し遂げる方もいれば、大器晩成型の人もいます。 あの…、私、100歳まで歌を唄い続ける予定なのです。 私の中には未来予想図がはっきりとあって、そこから逆算方式に、その予想図に到達するためには今は何をするべきか?と常に考えています。 私は私のペースでそこに到達すれば良いのだと思っています。だから、年齢は私にとって障害ではないです。」 ↑笑顔が本当に素敵♡ 続けてこんなお話もしてくださいました。 「誤解を受けると困るので、ほとんど人に話したことないのですが…。」 「え? そんな大切なお話を良いのですか?」 戸惑う筆者。 でも、真っ直ぐに見つめながらゆっくりと話してくださいました。 「私、二十歳を過ぎた頃から確信を持って感じていたことがあって…。」 これまでになく言葉を選び始めたちあきさん。 「ある日、車の中で歌っていた自分の声を聴いた時、自分自身がとても癒されたのです。 それはとても不思議な感覚でした。そこには、自分の声を客観的に聴いている自分がいました。その時に、『これは自分だけで聴いていたらもったいない!』って思ったのです。奢りでもなんでもなく。素直にそう思いました。この声は、この体に預けられたもの…、そんな感覚です。私の声という感覚というよりも、この体に預かった声という感覚です。どうしても、それ以外表現できないので、誤解されたら辛いのですが…。 だから、この預かった声を使って、世界にどうやって貢献したら良いだろう?と考える様になったのです。この声で唄った歌を聴いてくださった人と、癒しの時間を分け合っていきたいと考えるようになりました。」 「どうもこの体は良い声が出るらしい?」 そんな風にご自分の声を客観視していることを知り正直驚きました。 どう表現すれば、勇気を出して話してくださったちあきさんの想いを、読者の皆様に誤解されずに伝えられるだろうか?と、筆者自身がとても迷いました。 でも、ちあきさん自身の言葉をそのままお伝えすることにしました。 そして。 「歌を聴いてくださった方が、その場限りで癒されるのではなく、自分の存在・自分の命を大切にする気持ち、そして同じ様に周りの人の存在・命を大切にする気持ちを抱いていただくきっかけになれたとしたら嬉しいです。それが叶えば世界が幸せで溢れますよね。」 こんな愛いっぱいの言葉とともに、最後、さらに素敵な未来予想図を語ってくださいました。 ↑とってもママには見えない可愛らしさ♡ 多くの皆様にこのお預かりものの声をお届けするために〜 ☆SeicomartのCMソングを唄いたい! ☆久石譲のコンサートに出たい! ☆武道館で唄いたい! ☆紅白に出たい! ☆60代でスーパー弾き語りをしたい! というのが、ちあきさんの未来予想図でした。 でも、筆者は気づいていました。 ちあきさんは、「〜したい」と話しながら、実は「〜する」と決めていることを。 そう、5歳のちあきちゃんが「将来は歌手になる!」と決めていた様に。 ↑こちらは昨年12月に開催された「天才小学生ドラマーyoyoka」さんのコンサートにゲストで唄った時の写真です。 Yoyokaさんに自分の子供の頃を重ねていたのかもしれません。 伊達市に足場を置きながら。 人々とともに「愛と癒し」を分け合う歌を100歳まで唄い続けると決心した藤河ちあきさん。 「僕たちが一番のファンだよ!!」 と励ましてくれるお子様が、ちあきさんのエネルギーの源であることも間違いありません。 ジャンルを問わず歌いこなすちあきさん。 2022年も彼女の活動から目が離せません。 伊達市民としても、藤河ちあきさんを応援していきたいと思います。 ↑初のCDが2年前に発売されました。 ↑「藤河ちあきの My favorite things」にてラジオパーソナリティーも行っています。 藤河ちあき事務所 住所 室蘭市中島1-9-21 「!」音喜多 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)
Rietty
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