夕方のテレビニュースを見ていたら、柴又の料理屋「川甚」が1月いっぱいで閉店になると伝えていた。この店は231年の歴史があるそうだ。

川甚には私は60年前の思い出がある。大学に入学して文京区に住むM君と友人になった。彼は私から見ると眩しいような都会人で、田舎者の私は彼に東京の色々な場所に連れて行ってもらった。


「川甚」には珍しく人と車が来ていた。     (左奥に見える土手の向こうに矢切の渡しがある)


六本木のピザ店の「ニコラス」、ロシア料理店の「ヴォルガ」、更に神田三崎町の喫茶店「窓」で初めてコカ・コーラを飲まされた。 薬のような味がした。

ある時、M君の家に泊った翌日に、彼の家族と柴又にお墓参りに行った。
その時に柴又の料亭「川甚」で、川魚料理の「鯉のあらい」をご馳走になった。
しばらく後になってから、私はそこが柴又という場所だと知ったのである。


「柴又 川甚」の入口に「今日は終了」の貼り紙が。


それきり柴又とは縁が無かったが、「フーテンの寅さん」が映画化されてから、帝釈天にお参りしながら、1度だけ「川甚」に行った覚えがある。


私が友人達を観光案内して柴又帝釈天に行くと、演歌で有名になった「矢切の渡し」にも行く。その道筋に「川甚」はある。
私の青春の思い出の「川甚」が231年の歴史を閉じると聞けば、「最後に、もう1度行かねば」と思ったのである。


231回目で、しかも最後の正月飾り。


TVでは店の主人が出て来て話していた。「新型コロナウィルスのせいで閉店するのではありません。私が3~4年くらいはお客が来なくても続けられるくらいのお金を貯めておかなかったのが問題です」。

愚痴など言わず、潔い主人の言葉に感銘を受けた。
そして最後の思い出に、もう1度、川甚に行って「うな重」を食べることにしたのである。


「こもかぶり」の酒樽も寂し気に見える。


東京の東端にある柴又は我が家からバスを2回、乗換えて、2時間弱かかる。店に着いたら、大勢の人が入り口付近で待っている。
私は入口に近付いたら、そこには席待ちのノートが置いてあり、40番まで名前が書いてある。

そしてその下に貼り紙があり、非情にも「今日は40番までのお客様で終了しました」と書いてあった。「2時間もかけて来たんだぞー!」と言いたかった。


「閉店のお知らせ」が貼り出されていた。


(おまけの話)
閉店と知らせたらこれだけお客が来るなら、普段も来ていれば閉店にならなかったのにと残念であった。店の主人も同じことを思っているだろう。

また出直すには閉店までに日にちが無いので、諦めて帝釈天にお参りに行く。
帝釈天は新型コロナウィルスのせいか、あまり参拝者はいない。
お参りを済ませてから、参道を戻り柴又駅方面に進む。


柴又駅では寅さんが出迎え(近くに妹のさくらの像もある)。


川甚で「うな重」を食べ損なったので、以前にも来たことのある「川千屋」に入り「うな重」を食べることにした。店に入って驚いた。参道を歩いている人もまばらなのに、かなり広い店内が満席だった。

少し待って席に案内されて、「うな重」を注文した。
私の想像だが『私と同じだ。川甚で食べられなかった人達が、川千屋に来たのだろう。思い掛けず、川千屋はタナぼたになった』ではないだろうか?


川千屋(かわちや)のうな重(3500円・税込み)


私が24歳の時に、テレビで「泣いてたまるか」という連続ドラマが放映された。
このドラマは渥美清が主人公でとても面白く、私は毎週、楽しみにしていた。
後にこのドラマが、映画化されて大ヒットとなった「男はつらいよ」になる。

「川甚」は記念すべき第1作に登場しているが、帝釈天の参道にある店はなんだかんだと言いながらも、「フーテンの寅さん」で商売している。


参道のだんご屋「とらや」


特に団子屋は「寅さん」なくしては、商売にならない。
なぜなら寅さんの実家は、柴又帝釈天の参道にある「団子屋」という設定になっているからだ。

団子屋は「とらや」、「高木屋」、「亀屋」の3軒があるが、みんな「草だんご」を売りものにしている。
私はなんとなく、いつも高木屋で草だんごを買っている。
今回も女房に頼まれて、高木屋で20個入りの「草だんご」を買って帰った。


私の贔屓のだんご屋「高木屋」


「うな重」に関しては、私の大好物なので一家言がある。
値段は高いが「野田岩」麻布本店が美味しい。場所柄からして、一見さんはあまり来ないと思う。

最近の贔屓は築地場内市場の「はいばら」である。
値段は安い。2500円で、肝焼きが付いても3000円(税込み)である。
「はいばら」は市場関係者も来るので、いい加減な仕事はしない。
柴又の「川千屋」も悪くはないが一見客が多い場所柄から、私の合格点には達していなかった。


高木屋のだんご(20個入りで1200円)


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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