
心の伊達市民 第一号
KITTEで芸術
東京駅丸の内口側にあるKITTEで、立石従寛というアーチストの個展が開催されていると知った。
最近の私は芸術づいているので、ただ作品を見るだけでなく作者の経歴にも興味があるようになった。
そして一番の期待は作者のステートメントである。
殆どの場合、私には理解不能であるが、それを読むのもまた楽しい。

東京駅丸の内南口から見たKITTE。
KITTEで開催される個展のタイトルは「To The Fog」である。
作者の紹介によると、『立石従寛(1986年シカゴ生まれ)はロンドン、東京、長野拠点の芸術家、エキシビジョンメイカー、音楽家である。仮想と現実、自然と人工、制作と運営など、相対する境界をテーマに、人工知能、立体音響、パフォーマンスを用いたインスタレーションや「木を食べる」フード・プロダクトの開発など、領域横断的な活動を展開する』とある。

KITTEは吹き抜けで、真ん中にイベント用のアトリウムがある。
アーティスト・ステイトメントを読むと、『「To the Fog」は2020年春に作者身辺で起きた悲劇へのメモリアル作品である。見舞いにも行けず、看取ることもできず、燃え上がる肉体を見送ることもできず、ある日とつぜん行方不明になったような感覚で日々を過ごすように、われわれは空間と時間の方向を五里霧中のように見失っているのではないか。霧の向こうにある、戻れなくなった地に向って、公/私、静/動、実/虚が織り交ざる想いを投げかける』。

4階には旧中央郵便局の局長室が残されている。
立石従寛氏のステートメントは、私にも大凡は理解できる。
最近、見た展覧会での作者のステートメントには分からなかったものが多かったので、今回は少しホッとした。・・・という次第で、個展の初日にKITTEに行ってみた。
東京駅丸の内側には我が家の前から都バスに乗れば、約20分くらいで着く。

局長の事務机は意外と粗末だった。(窓越しに東京駅が見える)
KITTEの4階に行くと、閉店した店が会場だった。
外から見ると間口が二間ほどで、中には天井から半透明の大きなスクリーンが吊り下げられていた。
係の女性に「入ってもいいですか?」と聞いたら、彼女は「どうぞ」と言って、スクリーンの前の小さな低い椅子に座るように言った。私が座ると映像が流れて来た。
私以外に鑑賞者はいない。少人数を通り越して、たった1人である。

4階の「To the fog」の会場。
作者と思しき男が、「fog(霧)」の中の海岸で踊っている。
クラシック調の音楽に乗せて、作者のナレーションが入る。
その言葉はネットで見たステイトメントとほぼ同じだ。
数分の映像は、最後に男が紙飛行機を海に向って投げて終る。
これが今回の作品「To the fog」なのであった。
ネットで見たら、この「To the fog」のビデオは85000円だった。いくらでも複製が出来る作品にしては高過ぎると思った。私の考える芸術は、絵画、彫刻のように「一品のみ」でなければならない。

入口の案内看板だけで、中には何も飾り付けは無い。
以前に伊達市に滞在中に高名な画家の野田弘志さんと知り合って、その時に芸術論を聞かされた。
彼は私に「存在の美学」を語ったことがあるが、芸術論は私のような凡人には難し過ぎた。
でも私に言えることは、芸術とは「多くの見る人に感動を与えるもの」だと思う。
そういう意味では、今回の作品は芸術と言っていいのか評価が分かれる。

実際の映像はワンカットで、こんな感じ。(文字を無くせば、正規の映像)
(おまけの話)
「To the fog」を見てから、エスカレーターで1階に降りた。
すると1階のアトリウㇺ広場を使って、「縁日」というイベントをやっていた。
看板には「昭和レトロを感じる展示を開催中」と書かれていた。
昭和生まれの私は「昭和レトロ」と聞くと、反射的に反応してしまう。

KITTEの1階の昭和レトロの「縁日」
先ず目に付くのが「鉄人28号」である。
私の現役の時に、会社に「鉄人28号」というあだ名の社員がいた。
彼は体つきは漫画の鉄人28号によく似ていて、無口で良く働いてくれた。
他にはミゼット、紙芝居、昭和の居間などが飾られていた。

懐かしい「鉄人28号」
大村崑のテレビコマーシャルで、一世を風靡したミゼットは私の会社にもあった。
子供の頃に紙芝居を見たかったが、母が紙芝居屋が売るお菓子を嫌い、見せてくれなかった。
昭和の居間は我が家とは違った。もう少しハイカラだった。
最先端のアートを見て、その5分後くらいに昭和レトロに接すると、頭がこんがらかってしまった。
「昭和~平成~令和」と3つの時代を生きてしまった私は、もうレトロな人間になっているのだろう。

昭和時代の一般家庭の居間風景。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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Rietty
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ミツバチの声を聴きたい!「anmi」が選んだ道
なんて素敵な笑顔の人なんだろう!! それは、今年の夏、初めて彼女に出会った時の印象でした。 ここまで顔いっぱいに心からの嬉しい!を表現する人はなかなかいないと思いました。 一体この人は何者なんだろう? どんな生き方をしている人なんだろう? 俄然興味が沸いたのを覚えています。 さて、今回のご紹介は豊浦町の地域おこし協力隊で養蜂家の久保亜由美さんです。 亜由美さんは、高校生までを札幌で過ごし、カナダの大学に留学しました。 専攻は開発学とスペイン語のダブルメジャー。 その後、カナダの大学の交換留学でメキシコへ1年、スペイン語の習得のため渡りました。 「サスティナブルデベロップメント」という言葉が今の様に頻繁に使われる前から、それを学び、大学卒業後もそれに携わっていた亜由美さんです。 でもある日、自分の生き方に疑問を持ち始めました。 「サスティナブルな社会を目指し、多様性を真に尊重する社会になるために、私はどう生きればよいのか?」 亜由美さんは、そんな深く困難な壁にぶつかり、自分の道を知るために手当たり次第アルバイトを始めました。 そして、東京の農業ベンチャー企業で働いていた2014年、ついに養蜂と出会います。 その後に働いたのが「銀座みつばち」さんでした。 初めてミツバチという生き物の生態を知り、亜由美さんは大きく心を揺さぶられました。 そして、社会性昆虫と言われるミツバチにのめり込んでいく自分を感じました。 悩み抜いた挙句に亜由美さんが出した答え。 それは。 「多様なものは多様なままの未来である続けるために、私は農業と教育に力を注いでいきたい!」 というものでした。 真面目で正直で信じたらとことん突き進むタイプの亜由美さんは、1年間、埼玉の養蜂家に師事し、さらに知見を深めようと1カ月間、ニュージーランドでのワークアウェイへと旅立ったのでした。 ↑ニュージーランドにて。養蜂の師匠と。 亜由美さんにとって、ミツバチの魅力って何ですか? と質問をしてみました。 「ミツバチは、集団生活をする上でそれぞれにはっきりとした役割を持っているのです。 女王蜂の存在は絶対ではあるのですが、実は集団の統制を執っているのは働きバチです。 何よりも感動したのが、“それぞれのハチたちが個のために生きているのではない”ということでした。種が持続可能であるために、各々の役目を全うしている(このあたりは捉え方が様々だと補足してくれました)。」 筆者は、このお話を伺って大いに腑に落ちました。 ミツバチたちは、まさにサスティナブルな社会を実現している! 亜由美さんは、学生時代から学んできた学問の答えをミツバチ社会に見出していたのでした。 ↑スズメバチが来たぞ! の合図のもと、警備隊がスクラムを組んでいる様子。 ↑なんて美しいハニカム! それぞれの場所が決まっています。 そしてこうも話してくれました。 「ミツバチは私のパートナーです。私の役割は、彼らが棲み良い環境を作り、病害虫から守ることです。棲み良い環境作りのためには、豊富な蜜源も必要ですし、冬の寒さからも守らなければいけません。働いてくれているのはミツバチたちなので、私は私の役割を全うしたいと思うのです。」 ↑亜由美さん手作りの巣箱。 ↑冬はこの洞窟に巣箱を入れてあげます。北海道は越冬が難しいと言われますが、亜由美さんは昨年の冬に試したことで手応えを感じていると言います。 ↑後ろには昆布岳。水色の巣箱は昨年初めて作ったもの。 お話を伺ううちに、筆者には亜由美さんがミツバチに見えてきました ^^; まさにミツバチ社会の一員になろうとしている亜由美さん。 ほんとうに一途です。 ↑夏の洞窟はこんな感じになります。 「私、ミツバチの声を聴きたいんです!!」 なんと!唐突な! 「ミツバチたちが私に何をして欲しいのかが知りたいのです。 ベテラン養蜂家さんの話によると、会話ができる方もいるらしいのです。」 ここまで熱いミツバチ論を聴くと、筆者自身もあながち思い込みでしょ?とは思えなくなりました。 というよりも、亜由美さんならきっとそうなれると思ってしまいます。 いま存在している養蜂家は、約9割が移動養蜂の形をとっています。 亜由美さんのように定地養蜂をされている方はごくわずかです。 「定地で行うには、蜜源確保が重要になります。ですから、里山作りにも取り組み始めました。ハーブ園も作りたいと思っています。 偵察部隊のミツバチが見つけて情報共有された蜜源を自由に採ってきてほしいので、蜜源環境を整えるのは私の役目です。現在、製品として販売している蜂蜜は、季節ごとに蜜源が変わり多種類の密で作られる“百花”なのです。」 ↑自然との共生を共に考えるための様々なワークショップも行ってきました。倒れた白樺の皮を使った作品にもチャレンジしました。 なるほど。 ミツバチのための環境作りとして里山作りにも力を入れているというのは、結果として人間の社会生活にも良い環境を与えていますね。 ミツバチへの関わりからあらゆることが良い方向へ循環していく。 亜由美さんが描く未来に次第に近づいていっているのがわかりました。 ↑こうやっていただいたことがあります。気絶ものの美味しさでした。 ↑初代の友人手作りの遠心分離機。現在、2代目を手配中だそうです。 養蜂家亜由美さんの屋号は ” anmi ” 製品名は “ 888 はちみっつ “ という名前で販売されています。 ↑蜜蝋です。 今後の構想についても伺ってみました。 「蜜蝋を有効活用したいと思っています。ビーラップや蝋燭も作りたいです。現在、ほとんどの養蜂家たちが処分してしまっている蜜蝋を回収したいとも考えています。ミツバチたちは、1gの蜜蝋を作るためにその8~10倍の蜂蜜を使うのです。捨てるなんてもったいないです。ミツバチたちが力一杯働いて作ったものですから、大事にして有効に使わせていただきたいのです。」 亜由美さんの愛溢れるビーワールドに筆者もすっかりはまり込んでしまいました。 ここまで愛されたパートナーのミツバチたちは幸せです。 だからこんなにも “ anmi の888はちみっつ ” は、体にも心にも沁み渡る美味しさなのだ!と納得してしまいました。 ↑商品は豊浦のセブンイレブンさん、しおさい温泉前 たけしま商店さん、洞爺のトイタさんで購入できます。 亜由美さんが選んだミツバチとの道。 そう遠くはない未来に、素敵な笑顔の亜由美さんとミツバチが語る姿が見えた気がしました。 『anmiの888 はちみっつ』 皆様にもぜひ出会ってほしいです。 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2021年)
Rietty
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