
心の伊達市民 第一号
なんだ、これ?
フラフラと歩いていると、思い掛けないものに出会うことがある。
「エー、なんだ、これ?」というものに出会った時は写真を撮り、後でネットで調べることになる。
出掛けた時は「捨て目」を忘れない。いつになっても好奇心から離れられない私である。それが「ボケ防止」に役立つと信じて疑わないのであるが、本当に役立つかは定かではない。

「シェアサイクル」(中央区図書館も拠点)
中央区の図書館にはよく行く。散歩がてら歩いて行くのに丁度良い距離なのである。途中には隅田川、築地市場、あかつき公園、築地本願寺、コーヒー豆屋などがあり、「今日はどんな様子かな?」と見て廻るのも楽しみの1つだ。
図書館が近付いた時に、私の横を真っ赤なスクーターのような車が追い越して行った。

「なんだ、これ?」
「なんだろう? あまり見掛けないスクーターだな」と思ったが、そのまま歩いて行った。図書館に着くと、道路の反対側に先ほどの真っ赤なスクーターが停まっていた。
運転手はそこにいないで、ハンドルの前にはウーバーイーツのバッグのようなものが掛けてあった。
珍しもの好きの私は写真を撮った。そして家に戻ってから、バイクに書かれたロゴ「Shearo」という単語を検索した。その結果は「Shearo(シェアロ)」とは「電動バイクの時間貸し」の会社のロゴだった。

有料でシェアが出来る電動バイク
まだサービスが始まって2ヵ月なのでShearoの拠点があまり無いが、面白そうなビジネスである。
電動バイクは山梨県甲府市のメーカーのもので、中国製が溢れる時代に国産とは嬉しい。
この電動バイクは折り畳み式で、シェアサイクルと同じように時間貸しである。ホームページによると、15分で200円、24時間で2000円、1ヶ月は2万円で借りられる。
町中でよく見掛ける「シェアサイクル」より、漕がないでいいのだから楽そうだ。

ハンドルの中央に「Shaero」書いてあった。
ネットには「中央区にも拠点がある」と書いてあったので、どうせ暇なんだからと見に行った。場所は中央区日本橋馬喰町2丁目であった。
地図で見ると都営「浅草線」で「浅草橋」が近いようだった。
駅から5分くらいの交差点の駐車場の一角に、2台のスペースに1台の電動バイクが置いてあった。
1台は貸し出されているようだ。看板に大きく書かれた料金の説明文に違和感を感じた。

「シェアロ」の拠点は有料駐車場の一角(馬喰町)
ホームページと違い、ここでは「オールタイム 10分300円」と書いてある。
『なんだよー!ホームページと料金が違うじゃないか!!』と思った。
私は借りないから構わないが、借りようとした人は15分借りると2倍の料金になる。納得しないままに写真を撮ってから、その場を後にした。

折りたたんだ「シェアロ」が2台用意されている。
家に帰ってから、もう一度、「シェアロ」を検索したが、やはり「15分200円」だった。
このブログを書くにあたり、写真を良く見直してみた。
すると私の勘違いで、この料金説明は駐車場の利用料金のことだった。
「シェアロ」の電動バイク車庫の上に大きく書いてあるのだから、私でなくても間違える。
しかも「シェアロ」の説明も、料金表もどこにも無かったのである。間違えた私が悪いのか?

看板の「オールタイム 10分300円」で勘違いした。
(おまけの話)
都営「浅草線」で浅草橋の2つ先の駅が「浅草」である。
久し振りに「シェアロ」の拠点を見た後に、浅草まで行ってみた。
日曜日ということもあり、駅を出たら歩くのも困難なほど人が出ている。
多くの人達がコロナでため込んだ、「出掛けたい!」という気持ちが爆発したのだろう。私の見た感じでは、もうコロナ前の状況となっていた。

雷門の下は大混雑
記念撮影ポイントの雷門前は大混雑で、近寄り難いので私はそこを避けて先に進む。新仲見世通りを歩いて行き、以前に50枚100円マスクを買った店の前を通った。
値段札を見たら、いまは195円に値上がりしていた。
更に進み、どこかでランチにしようと思ったが、どの店も入店待ちの列が出来ている。こんな光景は長いこと見たことが無い。

マスクが50枚 195円になっていた。
仕方ないので「入れる店ならどこでも」となり、観光客が来ない「ひさご通り」の「メンマル」に入った。
ここのラーメンは、驚きの330円である。もう数回は来ていると思う。
「ひさご通り」にはみ出して置かれたテーブルで食べるラーメンは、台湾を感じさせてくれる。
最初は外で食べるのは恥ずかしかったが、いまでは平気になってしまった。
帰りがけにカフェでアイスコーヒー(小)を飲んだら、335円でラーメンより高かった。

ラーメンは330円(ひさご通りのメンマル)
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
07/24(水) 新宿御苑のカブトムシ
-
07/12(土) ベトナムから届いたヤマトの宅急便
-
07/15(火) 東京モダン建築さんぽ(2)・・・新橋

イベント
「ブログ」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/03/21(金) 写真で見る東京(83)・・・東京に雪が降る
心の伊達市民 第一号
0
2
-
2025/07/11(金) ☆本日のメインはスパゲティミートソースです☆
観月旅館
0
-
2025/07/06(日) ロングラン勤務の後の昨日のコト
ホテルマンの幸せ
0
-
2025/07/07(月) 人生の師匠に会いに行く in 札幌
ホテルマンの幸せ
0
ブログに関する
特集記事
-
-
洞爺財田(たからだ)に、地域をつなぐ店「いろは屋」あり。
久しぶりに洞爺湖の向こう側へドライブ。 目指すは洞爺財田(たからだ)にあるセレクトショップ「いろは屋」さん。 開店後まもなく到着すると、店の前の草取りをせっせと行うオーナー宮本好さんが迎えてくれました。 「いろは屋」さんはこの4月でオープン4周年だそうです。 4年前の3月に洞爺湖町の地域おこし協力隊を卒業、同時にこちらのお店をオープンされました。 ここへの永住の決め手は「子育ては自然環境の良いところでしたい」という強い想いからでした。 お生まれは札幌。 洞爺湖町には住んだことはありませんでしたが、宮本さんの曾祖母様が50~60年前までここ旧洞爺村で駄菓子屋さんをなさっていたのだそうです。 地域の子供から大人まで愛される人気店でした。 その時の店名が「いろは屋」さん。 なので、宮本さんは、ご自分のお店も迷わず「いろは屋」とされたのだそうです。 名前を受け継ぐ…ってとっても素敵です。 店内には宮本さんのセンスが光る雑貨が並びます。 「いま、入れ替え中なので商品が少ないのですが…」と宮本さん。きっと、これからどんどん新しい商品が入って来るはずです。 「長く使える道具、気持ちよく使える暮らしの道具を仕入れるようにしています」 と話す宮本さん。 使い捨てではなく、ものを大切に使いたいという強い想いを込めながら選ぶ商品は、とても質の良いものばかりです。 一例では~ 今治タオル・野田琺瑯・久留米の絣・洞爺湖町の陶芸作家「kanako」etc. 一つ一つに作り手の心を感じます。 また宮本さんは、洞爺湖有珠火山マイスター・薬膳フードアドバイザーなどの資格も有し、先日こちらでもご紹介をされました「里山デリバリー」の一員でもあります。 近々、「薬膳ワークショップ」の開催も計画中とか。 こちらもとても楽しみです。 2児のママでもありますが、多岐に渡ってご活躍中で、洞爺湖町在住7年目にして地域からも頼りにされる存在となっています。 本当に頼もしい限り。 最後に、「いろは屋」が目指すことは? と質問してみました。 「徹底的に地域に根差して、地域情報の発信地となりたい。」 と、力強い言葉が返ってきました。 決意に満ちた宮本さんの目は、本気のエネルギーに満ちていました。 きっと、セレクトショップを拠点に、これからますます地域を楽しく豊かにコーディネートする役割を果たしていかれることと思います。 期待したい存在です。 洞爺いろは屋 〒049-5813 住所 洞爺湖町財田18-1 電話 090-6997-4871 営業日 月・火・土・日 営業時間 11:00~16:00 ※記事の内容は取材時の情報に基づいています(取材2021年)。営業時間等は変わることがありますのでご注意ください。 ※シェア、リンク大歓迎です!
Rietty
0
-
影の主役を選んだ人 『dj_hatass=畑吉晃』にプロ魂を見た
12月28日はディスクジョッキー(DJ)の日 皆様、12月28日は「ディスクジョッキー(DJ)の日」だということをご存知でしょうか? ラジオでのDJ活動の第一人者であり、ラジオ人気長寿番組「オールナイトニッポン」の最初のパーソナリティである糸居五郎さんの命日にちなみ、日本では12月28日は「ディスクジョッキーの日」として制定されています。 日本でDJという言葉がメジャーになったのは、ラジオでMC+曲をかけるというスタイルからだと言われています。 ということで、今回の主人公はDJ歴30年、MC無しの音だけでフロアを盛り上げてきた『dj_hatass』こと畑吉晃さんです。 畑さんは1969年生まれの53歳。 DJの世界との出会いは20歳くらいの頃だそうです。 年代的にはちょうどディスコブーム後半の頃になります。 黒服の人に誘われてこの世界に 畑さんの将来を決定づける出会いでした。 その中には、今でも一緒に活動をしている先輩DJの中居さんや、室蘭唯一のクラブ『Red Hill』の竹内さんもいました。 そしてもう一つ、衝撃的な出会いとなった音楽が “ハウスミュージック”と"テクノミュージック"。 それは、これまでに感じたことのないほどの興奮と感動を与えてくれたと言います。 ところで〜 そもそもDJって?と調べてみました。 DJの歴史 第二次世界大戦中から脈々と水面下で培われていた「曲をかけて踊る」という文化。 1960年、ニューヨークにLe ClubというナイトクラブがオープンしたところからDJ文化の原型が誕生していきました。 ただその頃は、曲を繋げるのではなく、1曲が終わったら次の曲をかけるというスタイルでした。 そして1969年、アメリカのニューヨークで、2台のレコードプレーヤーを使って途切れることなく曲を流すというスタイルが生み出されます。 そして1970年代、世間ではディスコが大流行しました。 また、1980年代後半から1990年台にかけてアメリカやヨーロッパなどでレコードプレイヤーを使って音楽を提供するディスコやダンスホール(以後クラブ)が人気となりました。 その空間で選曲し、切れ目のない音楽でフロアを盛り上げていたプレイヤーがいつしかDJと呼ばれる様になります。 そしてDJの演奏スキルやテクニックの向上とともに、DJが使用するレコードプレイヤー、ミキサーなどが進化していくのでした。 現在のDJスタイルとしては、アナログDJ・CDJ・PCDJなどが一般的だそうです。 ・ アナログ(レコード)DJとは、昔からの定番スタイルで、曲の繋ぎを考えながらレコード選びをし、音の厚みで勝負するスタイルです。 ・ CDJとは、多くを持ち運べないというレコードのデメリットをCDの普及により解消し、PCやCDレコーダー、メモリースティックなどの駆使によって音源の呼び出しも容易にプレイが出来るスタイルです。 ・ PCDJとは、より効率的であることを優先した先に生まれた技術です。持ち運びの出来る楽曲量の多さと、音源入手の手軽さにより、現在は主流のスタイルになっています。 「持ち運び」の利便性がKeyで進化していったスタイルの違いですが、結果、利便性だけではないメリットとデメリットが生じたようです。 音楽のジャンルによっては、アナログに勝るスタイルはなかったり、PCDJをやるにはPCや機材の知識が必要になったりとそれぞれに高度な知識とスキルを必要とされます。 怠らぬキャリア積み上げ このような歴史を持つDJですが、畑さんはこれらどのタイプでも対応できる実力をお持ちです。 素敵! フロアに出ていなくても勉強を続けるとは、まさにプロ魂です。 この時は室蘭のチーム対苫小牧のチーム。 お隣にいらっしゃるのが先輩DJの中居さんです。 チームの入場曲や得点が決まった時の『ゴールホーン』も畑さんたち、DJチームのオリジナルMIXだそうです。 その甲斐もあり、この日は見事に勝利! 「ところで、他にはどんなところでDJをされているのですか?」 楽しそうに話す畑さんでしたが、少し神妙な面持ちにも…。 ブログの最後に畑さんのSNSアカウントを掲載しています。 「DJに関するご相談はそちらからどうぞお気軽に!」とのことです♪ 意外な本業とは さてところで。 実は畑さんの本業は、ジオパーク推進協議会の職員さんです。 そして、筆者もとてもお世話になっている『洞爺湖有珠火山マイスター制度』の担当者でもあります。 とても優しく、みんなに頼られる兄貴的存在です。 そして事務所にいらっしゃる時の畑さんはDJとは全く別のお顔です。 なんと! それは意外! 畑さんが言うには、火山マイスターの皆さんが一生懸命に勉強したり、講師活動をしたりしている姿にとても感動して触発されたのだそう。 そうか…。 共通項はそこなんだ! 正直に書けば、取材をさせていただく前、事務所にいらっしゃる畑さんとDJをされている畑さんは全くの別人だと思っていました。 どちらかが裏で、どちららかが表。 でも、裏も表もどちらも素敵だなあと。 ところが違いました。 畑さんはどちらも表でした。 舞台に立つ人たちを裏方で盛り上げることに喜びを感じる人だったのです。 なるほど…。 確かに思い当たります。 畑さんは本当に話すのが苦手でいらっしゃいます。 何かを発表される時、「原稿なしでは話せません」と恥ずかしそうにします。 そして超棒読み…^^; ところが、一旦機材の前に立つと活き活きとした表情で、機材を自由自在に操り、音で意気揚々と皆様に語りかけ、フロアを盛り上げていきます。 ジオパーク推進協議会の職員さんのときとのギャップがスゴい! 人生の終わりまで『影の主役』を 「ところで、畑さんにとってのDJの魅力ってどんなところでしょうか?」 『影の主役』に喜びを感じるところ。 言い換えると、決して出しゃばらず表現して、場を支え盛り上げるところ。 とても畑さんらしいなあと思います。 「それでは最後に。” dj_hatass “として、将来どうありたいと考えていますか?」 ” dj_hatass =畑 吉晃 ”は、人生の終わりまで『影の主役』を望み、大好きな曲で送って欲しいと願う、DJのプロでした。 ディスコ全盛期を生きながら一度もディスコのドアを開いたことがない筆者ですが、人生初のディスコは” dj_hatass “に踊らせていただこうと思います。 [Instagram] https://instagram.com/dj_hatass?igshid=YmMyMTA2M2Y= [Facebook] https://www.facebook.com/profile.php?id=100005068364809
Rietty
0
阿部 正