時々、友人達から「体調不良」の話を聞くような年齢になった。
私の場合は体のアチコチに小さな問題は抱えているが、重大な問題は無かった。ところがである。
最近になり、朝、ベッドから起きる時に猛烈に右腰が痛くて、簡単には起き上がれなくなった。


なんとか騙し騙し起き上がり、トイレに行ったりして10分くらい経過すると、嘘のように痛みが消える。
そして一日中、なにも問題無くいつものように行動できるのである。





佃島の公園の新緑


この状態が1週間も続いたので、腰痛で長く患っているYさんにメールで聞いてみた。
その返事は『最近にない難しい問題です。痛みの原因は沢山ありますが、私には「低気圧痛」が最も影響が強いです。季節の変わり目にも痛みの出ることが多いですが、個人差が多くて確信がありません。最近はスポーツジムの他に整体療院にも通ってますが、


先生の言われるには、年齢と共に筋肉が固くなっていてそれが痛みを誘発するとも言ってます。私は、他に人に比べて身体が固いので事案が掛かるが柔らかく揉みほぐしてくれるそうです。腎臓に影響がありますが、ロキソニンテープを張り、静かにしていましょう。解決にはなりませんが、経験からのお話です』とあった。





佃島の水路と「リバーシティ21」


Yさんからの回答にあるように「解決にはなりませんが・・・」の通りで、毎朝の痛みに我慢が出来なくなった。そこで以前に通ったことのある佃島にある「IHI記念病院」に行ってみた。


運良くその日の整形外科は空いていて、10分くらいで診察になった。
担当医は若い男性で、医者には珍しく優しく親切だった。
往診の後にベッドに寝かされ、足を持たれて上下・左右に動かされたが特に痛くはなかった。





石川島記念病院(佃島)


引き続き2階のレントゲン室に案内されて、そこで姿勢を2回変えてレントゲンを撮った。
そして1階の待合室で診断を待つ。10分ほどで私の名前が呼ばれて、診察室に入った。


先生はレントゲン写真を見せながら、『股関節の軟骨がすり減っています。特に右側の減りが大きい。それが痛みの原因です。これは治りませんが、股関節の筋肉を鍛えるのが良いでしょう。痛み止めの薬を出しますので、傷みが取れたら薬を止めても良いです』と言ったのである。





2階のレントゲン室


私は自分の股関節の軟骨が少なくなっているとは思わなかった。
しかしなんでもそうだが、私は股関節を80年も使って来ているのだから、痛むのも当然かもしれないと思った。レントゲン写真を見せられた時に気が付いた。


私は20年くらい前に前立腺癌の手術をした時に、切除手術ではなく「小線源療法」を選んだので、前立腺の中に小さな放射線を出す金属棒が埋め込まれている。なんとそれが目の前の画面に写っていた。
このお陰で「再発もせずにここまで来られた」のだが、最初に私の前立腺癌を発見してくれたのは、伊達市の石田医院であると感謝した。





診察室でレントゲン写真を見ながら説明してくれた。


この写真は私にとっては貴重なので、先生に聞いてみた。
私 『この画像を写真に撮ってもいいですか?』
先生『どうぞ。撮ってください』
・・・というわけで、物分かりの良い先生に出会えて、こんな写真が撮れたのであった。





写真の真ん中に20年前に手術時の「ヨウ素125」が見える。


病院の帰りに調剤薬局で処方された薬を購入し、食後に飲んだ。
翌日は薬が効いたのか、前日より朝起きる時に腰の痛みが和らいだ。
もう治ることは出来ないので、先生から渡された「変形性股間症」のチラシにあった「予防と治療」に出ていた「ゴムチューブを使った股関節外転筋トレーニング法」で、パソコンをやっている時にも筋肉を鍛えようと思っている。





〇で囲んだところに問題あり。


(おまけの話)
私の友人は高齢者ばかりだ。
このマンションに越して来てから知り合った人達もみな高齢者で、私より年長者が多かった。
同じ会に入っていたAさんは、いつの間に消えて行った。どうやら介護施設に入ったらしいと聞いた。


BさんとCさんは奥さんが『食事の支度はもう嫌だ』と言って、高級老人ホームに引っ越して行った。
Dさんはしばらく見掛けないと思っていたが、気が付いた時には奥さんが1人だけで生活していた。





ゴムバンドを両足に留めて、外側に開く筋肉増強運動。


Eさんは『女房がボケた』と言っていたが、実は本人がボケて夫婦で娘さんが住む仙台に引っ越して行った。株取引だけで人生をやって来たFさんは、ある時、エレベーターホールで後ろ姿を見たことがあったが、その少し後に奥さんの話で「亡くなった」と知った。
同じ階のGさんは奥さんの話では『夜中にウーンと唸って、そのまま亡くなった』と聞いた。





佃公園にある赤い色の「佃小橋」(左奥が住吉神社)


以前に両手首を折ったHさんは2年前に奥さんを亡くし、今は1人で自炊して生活している。
ある時Hさんは私に言った。『なにか美味しいものを食べに連れて行ってくれないか?』
そこでランチに誘い、新橋まで行った。その時の話である。


『中央区の外国人用観光ガイドをしていたI子さんが少しボケてしまった。そしてガイドの仕事も無くなったら、生き甲斐が無くなり、すぐに本当にボケてしまい息子に施設に入れられた』。
私がここで知り合った人達がドンドンと消えて行く。「変形性股間症くらいは大したことではない」と感じた最近の私である。





佃小橋の向こうに「リバーシティ21」が見える。


伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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