心の伊達市民 第一号

友人と人生を語る 


ある時、マンションの友人2人とカフェでお茶を飲んだ時に、オヤジの話になった。
私   『Xさん、あなたは自分のオヤジのことを、どのくらい知っていますか?』
Xさん  『会社員だったが、詳しくは知らない。酒も博打もしなかったが、女好きで母親を泣かせていた』
私   『真面目に話し合ったことはありますか?』
Xさん  『1回だけ、大学進学の時に、進路に付いて話をした』


力士像(両国)



私   『Yさん、あなたは自分のオヤジのことを、どのくらい知っていますか?』
Yさん  『会社員だった。詳しくは知らない。女好きで、ある時、家を出て行った。その時以来、「俺のことをオヤジと呼ぶな」と言われたが、しばらくして家に戻ったが、また出て行った』。
私   『真面目に話し合ったことはありますか?』
Yさん  『一度もない』


力士像(両国)



私   『ではお二人の息子さんは、あなたのことを良く知っていると思いますか?』
Xさん  『私は営業で朝早く出て行き夜遅く帰って来たので、良くは知らないと思う』
Yさん  『あまり話したことが無いので、知らないと思う』
私   『自分から、今までの人生を息子さんに話したことがありますか?』
2人   『話したことは無い。話しておくべきかもしれない』


 力士像(両国)



私   『最近の私は目標も無いので、毎日がつまらないが、お二人はどうですか?』
Xさん  『あまりそんなことは考えたことは無い』
Yさん  『囲碁が趣味で、時々中央区の囲碁大会あり、賞を取るのが楽しみです』

私   『私はいつまで生きればいいのか?と、悩んでいるが、あなた達は?』
Xさん  『そんなことは考えたこともない。死ぬまで生きるしかないだろう』
Yさん  『自分もそんなことは考えていない』


マンションのスカイラウンジから見た帆船「海王丸」



今回の話に登場したXさんが言っていた。
『最近は少しづつ、自叙伝というほどのものではないが、子供の為に自分の人生を振り返ってノートに書き始めている。自分が亡くなった後に息子が困らないように、財産目録だけでなく、死亡通知を出して欲しい友人の連絡先、そしていままでの人生を書いている』。

亡くなった私の母は晩年には『つまらない』とよく言っていたが、その気持ちが分かるようになった。私の自叙伝らしきものはこの「むしゃなび」の中にあるので、改めて書くつもりは無い。


築地で見付けた「ハナモモ」(赤)



2人とも「独居」老人である。
Xさんは体の弱い奥さんがいるのだが、彼が要介護2なので面倒を見られず介護施設に預けている。
1ヶ月に1度は会いに行っているようだが、いつも『帰りたい』と言われて困るそうだ。

Yさんは元気の良い奥さんがいたが、3年ほど前に風呂の事故で亡くなった。
でも彼は『以前の生活より、いまの1人の生活の方が良い』と言っている。
「独居」といっても、色々な生活があるのである。


築地で見付けた「ハナモモ」(白)



(おまけの話)
この頃、昔の友人のことが思い出されることが増えた。
色々な仕事で、色々な性格の友人達との交流をごく簡単に書き出してみた。
1人目は以前の地元のTちゃんで、小学校の時の同級生である。
仕事は「植木職人の親方」で、お祝いの時にやってくれる「木遣り」が上手だった。

体が資本の仕事なのに心臓病を抱えていて、残念ながら私より先に逝ってしまった。
夫婦で地元の仲間と我が家に来て、サイコロ賭博の「コイコイ」をやったことがあるが、Tちゃん以上に奥さんの気風が良かった。


夕陽を見るペッパーとポアン(合成写真)



高校時代のHさんも忘れられない男である。
前にもブログに登場しているが、経験が全く無かったのにヨットで世界一周の旅に出た男だ。楽器のバンジョーの演奏が上手で、私の結婚式にも同級生とグループで来て演奏をしてくれた。「歩く会」にも熱心に参加してくれて、歩きながら色々と話をした。

父親が地位の高い自衛官で、弟はよど号事件で日航機に伴走してソウルまで行ったパイロットだった。Hさんとは長く付き合えると思っていたのだが、東日本大震災の時にボランティアで福島県へ行き、酔っ払い運転の車に巻き込まれてしまい亡くなった。
残念でならない。


モヤで頂上付近が見えない「東京タワー」



ニューヨーク時代のコックのNさんも忘れられない男である。
勤務のシフトが私と一緒だったので、休みも同じ日だった。
当時はピンカートンという警備保障会社に、我々の働いていた劇場付きレストランの夜の警備を頼んでいた。しかしその警備員が盗みを働く恐れがあり、定期的に宿直で警備員を見張ることになっていた。

その時にNさんは私の為に、内緒で「ロブスターの鬼殻焼き」を食べさせてくれた。
かなり高かったと思う。
そして休日にはNさんを誘って、グレイハウンドバスで色々なところに観光に行った。
いまはもう亡くなっているだろうなー。


週末になると、朝潮運河の桟橋に集まって来る屋形船


絶対に忘れられないのが、伊達市のKさんである。
伊達市にはなぜかKの頭文字の人が多かった。私が知り合った人に多かっただけかもしれないが。私達が伊達市に行き始めてまだ友人もあまりいない時に、町の色々な名士を紹介してくれた。

Kさんから「鮭児」の切り身を頂いたことがある。その時、初めて「鮭児」というものを知ったのである。私達が伊達市で楽しく暮らせたのも、みんなKさんのお陰である。
東京に戻ってからも連絡は絶えず、「冬越しキャベツ」を送ってもらったこともある。
面倒見が良く、誰にも好かれる男だったが、いまはもういない。


向かいのタワーマンション前の広場

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コメント

    dy

    dy

    歳をとると回顧することが多くなる現象は自分も身を持ってよく感じるようになりました。肉体的にはともかく、自分自身(の中心?)は昔と何も変わっていないように感じる中で、(自分の)記憶にだけある過去の世界の存在が実に不思議に感じる今日この頃です。ただ、やはりモノではなく、人との関わりこそがこれまで人生をいろいろな意味で豊かにしてくれたことは、どうやら確実だと思います。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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