心の伊達市民 第一号

死ぬということ


先日、風邪をひいて2日半、ベッドで寝ていた。
ベッドの中で借りた本「長生き地獄」を読んでいただけなので、起き出したら足腰が弱り気持ちまで弱気になった。

『これではいけない』と思い、家族が止めるのも聞かずに家を出た。
しかし足取りは重いし、食欲は無いし、本の内容が頭から離れない。
「長生きしたら、どうしよう?」と心配になった。

(今回の写真は私のお墓がある「築地本願寺」です)




「自分で死に方を決めたい」と思っているが、それが出来ない。
「いつまで生きるか?」が分かれば、「死に方も決められる」のだが。
私は2012年に「日本尊厳死協会」へ入会した。丁度、70歳になった時だった。

オヤジの最後を見ていた私は、「自分はああはなりたくない」と思っていたからである。その頃は「尊厳死」などという概念は無く、医者は無駄と分かっていても治療を行った。それが医者の務めだったからである。




いまは延命治療を拒否できる時代となりつつある。 
私は日本尊厳死協会に入会してカードも常に身に付けているから、延命治療は避けられるだろうと思っている。しかし問題は「救急車で運ばれた場合」である。

救急車で運ばれると家族も慌てているので、病院で延命措置を行われる可能性がある。だからこの年になるとなるべく救急車は呼ばず、ファスト・ドクターなどを電話で呼ぼうと思っている。




延命措置と延命処置には違いがある。
・措置 心肺蘇生、人工呼吸器・点滴・透析・輸血
・処置 器官切開・人工心肺・生命維持装置

私はどちらも希望しないが、問題は延命処置の方で、「生かす」ことを目的とした治療である。私は延命処置は「尊厳死」に反するので、して欲しくない。
生命維持のために「人工呼吸器」を付けたり、「腕や鼻から栄養剤」を注入したり、更に「胃ろう手術」などしたら最悪である。永遠に生かされてしまう。




ある医者が書いた本にあったが、『口から栄養を取れなくなったら、人は自然に死ぬ。体が食べ物を要求していないのに、無理に食べさせるのは患者を苦しませるだけ』とあった。餓死のようにして死ぬと、延命治療をした人と違い、その人の顔はとても穏やかだそうだ。

いまの一番の問題は「ボケ」である。私はボケるのが怖い。 
「ボケたら自分は分からないから、いいんじゃない」と言う人がいる。
でも自分では分からなくても、家族や周りに迷惑を掛けるのが嫌なのである。
専門家の話でも、どうやら「癌で死ぬ」のが一番幸せのようだ。




(おまけの話)
以前から書いているが、私のオヤジは56才で亡くなった。
オヤジは中小企業経営者だったので、家族・社員のことを考えてか、毎年「人間ドック」に入っていた。最近はあまり人間ドックという話は聞かないが、その頃はお金に余裕のある人の間では流行っていたようだ。

2泊3日くらいの計画で入院し、体中を調べてくれたのである。現在でもあるとは思うが、健康保険組合などが1年に1回の健康診断を無料で行っているので、あまり利用者がいなくなったのではないだろうか?




オヤジは毎年、人間ドックに入っていたのに、ある時、『胃の具合が悪い。次の人間ドックまで待てない』と言って、近くの知り合いのクリニックに行った。そして医者は本人には言わず、家族に「胃癌の末期症状」と告げたのである。

当時は癌告示はしない時代だったので、本人には『胃潰瘍の手術をする』と伝えた。そこから家族の苦悩が始まった。その時の経験から、私は「人間ドック」を信用しなくなった。




日赤で手術を行ったのだが、手術後に執刀医に呼ばれ、『開腹したが、癌が大き過ぎて取れないから、そのまま閉じた』と伝えられた。退院したオヤジは、一時的に元気になった。「病は気から」だったのだろうか? しかし癌は増殖を続け、オヤジは再入院した。

その頃からオヤジは「自分は癌だ」と自覚をし始めたようだが、誰もそれに付いては話せない。家族は「胃潰瘍と言い続け」、オヤジは「騙されいるのを知りながら、騙されたふり」をする。
そしてオヤジは、騙されたふりのまま亡くなった。病人が演技をしなけらばならない不幸の見本だ。




いま自分がこの年になり後悔しているが、オヤジに「癌だと伝えれば良かった」と思っている。オヤジは几帳面な男だったし、私はまだ22歳で世の中のことを何も分かっていなかった。
きっとオヤジは私や家族に、「言い残したいこと」があったはずだ。

そんな後悔から、私は子供が生まれた時に女房と話し合い「癌になったら、お互いに正直に伝えよう」と決めたのである。
ところが間もなく、彼女が癌になったのである。
入院先の病院は「癌告知をしない」方針だったので、仕方なく私から彼女に「胃癌だった」と伝えたのである。




その後、お互いに病気とは縁の切れた生活が続き、私は61歳で引退した。
そして夏の間は伊達市に行くようになり、ひょんなことから私は虻田町の石田医院で「前立腺癌」を発見されたのである。もうこの頃は癌告知が当り前の時代になっていた。

私のオヤジも癌、女房のオヤジも癌、私も女房も癌、私の兄弟・姉妹もみな癌である。これだけ周り中が癌だと、私はボケずに癌で逝けるのではないかと密かに期待している。


参拝記念カード

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コメント

  1. Shinji

    Shinji

    返信

    おっしゃる通り、癌は本人にも家族にも伝えるのが一番ですね。それで、残された時間をどう使うかが検討できます。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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娯楽・趣味

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