「雨に似合う」と言えば「紫陽花」だが、「花菖蒲」も捨て難い。
そこで葛飾区の外れで埼玉県に接した、「水元公園」の花菖蒲を見に行くことにした。
水元公園は車ならわけないのだが、運転免許を返納した私は公共交通機関だけで行くので大変である。


先ずは都バスでマンション前から「亀戸駅前」行きのバスに乗り、「本所吾妻橋」で降りて、「金町駅前」行きのバスに乗り換える。「金町駅前」から京成バスに乗り換えて、「水元公園」で降りる。
約1時間40分のバスの旅である。




     公園の入口を入ると、大きな睡蓮の池があった。


バスを降りたら12時近かったので、先ずはランチにすることにした。
すると停留所の少し先に、私にとっては懐かしい「幸楽苑」という看板が見えた。
ここは私が好きなラーメンチェーンで、新橋、六本木、日本橋に店があったが、かなり前に全て閉店となってしまった。


それがこんな場所で「幸楽苑」に出会えるとは、急に嬉しくなってしまった。
早速、店に入ったが、注文はテーブルで液晶画面を自分で操作して行うように変っていた。
値段も少し高くなっていたが、私が最後に食べたのが5年くらい前だから仕方ないだろう。




       花菖蒲の植えられた大きな畑。


懐かしの「幸楽苑」でランチをしてから、道路を渡って水元公園に向かう。
この辺りは「水元」の名前にもあるように、とても水が豊富だ。
私がここに来るのは今回で3回目だが、広い公園なのでまだ全部は見ていない。


水元公園のホームページを開いてみたら、次のように書かれていた。
『水元公園は小合溜に沿って造られた、都内で唯一の水郷の景観を持った公園です。小合溜から引いた大小の水路が園内を走り、水郷景観を作り出しています』とあった。




                色々な色の花菖蒲が植えられていた。


「小合溜」という言葉を初めて見たので、それをネットで調べてみた。
これは「こあいだめ」と読むのだそうだ。そして『水元小合溜は、もともとは江戸時代に川を堰き止めて作られた溜池で、小合溜井と呼ばれていました。八代将軍の徳川吉宗が農業用の水を溜めておくために作り、工事は井沢弥葱惣兵衛という技術者が行ないました。小合溜井からは農業用の水路が引かれ、長い間、地域の田を潤しました』とあった。




      花菖蒲は紫色がいいと思う。


公園入口近くの水路には無料釣り堀があり、オヤジ達が釣り糸を垂らしていた。
道路を渡り公園に入ると睡蓮が浮かぶ池があり、そこでもオヤジが釣りをしていた。
その右手奥に「花菖蒲」が見えた。急いでそちらに向かうが、すれ違う人達はみなマスクをしている。
こんな広い公園で「なぜマスクをしているの?」と聞きたいが、彼らから見れば私の方が変なのだろう。




       花菖蒲の奥に見える池の向こうは埼玉県。


花菖蒲は5ヶ所に植えられていて、全部で1万4000株、本数では20万本もありその光景に圧倒される。
花のある場所は枠で囲まれているか、沼地に木道がありその上を歩けるので写真を撮るには全く問題が無い。でもせっかくだからと思い「花菖蒲と私」の記念写真を撮ろうと思ったが人が多くて難しかった。


5ヶ所の池を全て廻ろうと考えていたが、どこも同じだし、1ヵ所は離れていたので4ヶ所だけにした。
花の写真撮影は私は不得手なので難しく、枚数も少なく気に入った写真は無かった。




       品種改良で作られたニセモノのような花菖蒲。


この公園はメタセコイアの木も有名で、帰り道にその道を選んだ。
こちらまで来る人は少なく、滅多に人にも会わない。
出口に進み「カワセミの里」を覗いてみた。覗き穴からしばらく見ていたが、カワセミは来なかった。


代りにカワセミの止り木の近くに、アオサギが居て全く動かず作り物のようだった。
家に戻ってから知ったのだが、水元公園には東京都の天然記念物になっている「オニバス」という珍しい蓮があるようだ。花が咲いている時を狙って、また行こうと思う。




      「カワセミの里」にはアオサギしかいなかった。


(おまけの話)
「花つながり」の話である。
女房の高校時代からの友人であるI子さんから、個展の案内が来た。
彼女は芸術を目指し東京芸大に進み、その後、教師をしながら絵画を仕事にして来た。
今までも何回も彼女の展覧会には行っているが、長い年月で少しずつ作風が変って来ている。
当初から彼女の作品テーマは「花」である。




       I子さんから送られて来た個展の案内ハガキ。


I子さんの個展会場は京橋の画廊だった。以前にもここで開催したので、場所は知っている。
単独行動の多い私は久し振りに女房と一緒に出掛けて、展覧会の前にランチをした。
今回の個展はコロナの影響で、3年ぶりくらいになる。


作品は以前より明るくなったように思える。コロナで世間が暗くなっているのに、彼女の作風が明るくなっているのが不思議だった。3年も会わないと、お互いに「老けた」ように感じる。
今回の個展に出しているのは、10数点で、既に契約済みの赤丸印もあった。
それにしても18歳からこの年まで絵に情熱を持ち続けることは、飽きっぽい私には出来ないことだ。




     絵柄はあまり変化は無いが、絵が明るくなった。


以前に私達が伊達市に滞在中は私達のコテージに宿泊し、イコロ農園にも行ったことがある。
その時に彼女はどういう風の吹き回しか、自分の大きな作品をイコロ農園に寄託した。
だからいまでもその作品は、イコロ農園に行けば見ることが出来る。


またその時に以前に芸大芸術学部教授だった大藪画伯とも会い、酒飲み同士で旧交を温めていた。
既に大藪画伯はアチラに行ってしまったが、それもこれもみんな昔話になってしまった。



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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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