
心の伊達市民 第一号
少し前に住吉神社の「お旅処」の前を通ったら、「8月6日、午前8時30分から大祭式を行う」と告知が出ていた。「大祭式」とは何かを知らないので、ネットで調べてみた。すると「式次第」が出ていた。
それは順を追って「修祓」、「一拝」、「開扉」、「献餞」、「奉幣」、「祝詞奏上」、「玉串奉奠」、「神楽式」、「閉扉」、「一拝」となっていた。漢字だけ見ると、「分かったような、分からない式次第」であった。
「お旅処」は我が家の窓から見下ろすと、運河の向こう側に見える。
直線距離で100メートルくらいなので、8時30分に合わせて行ってみた。
既に地元の氏子たちの役員や関係者が勢ぞろいして、神社の前で談笑していた。
時間になり、奥の方に見える神主がなにかやっているように見えるが、私は関係者ではないので道路の反対側で眺めていた。そして10分もしないで式は終り、旦那衆はペットボトルのお茶をもらって帰って行った。
この日は午前11時からフランスの有名ブランドである「エルメス」の銀座店で毎月、行われている映画鑑賞に申し込んであった日である。8月は珍しく「短編2本立て」の映画で、1本目は「新学期 操行ゼロ」、2本目は「ラプソディ」であった。
「新学期 操行ゼロ」は全寮制の男子校で生徒達が暴れまくる話で、特に大したストーリーも無い。
2本目は隣の奥さんに乳飲み子を預けられた中年男の話である。これも大したストーリーはなく、『夕方になり奥さんが子供を引き取りに来る。主人公はバーに出掛けて、友人から夢で見た話を聞かされる、ある日のことである、隣の奥さんが子供を預けに来ないので、心配して聞きに行く。すると奥さんから「その日は母の家に預ける」と伝えたはずと言われる』。これで終る。
映画が終ったのが12時少し過ぎだったので、ランチにした。
少し前に折込広告で「はなまるうどん」が「冷やし担々麺」の100円引き券が入っていた。そのサービス券を持っていたので、「銀座ファイブ」のB1の店に行った。
そして「冷やし担々麺」を食べたが、あまり私の好みではなかった。
次は有楽町駅前のイトシアB1のドーナツ店「Crispy」でコーヒーとオリジナル・ドーナツで休憩した。「さて、これからどうしようか」と考えたが、名案が浮かばない。
エスカレーターで地上に出ると、有楽町駅前でイベントをやっていた。
そこには大きな文字で「タツくん大感謝祭 2022年」と書かれているのだが、「タツくん」とは聞いたことの無い名前だ。
イベントの舞台があるので、そこに行ってみた。
すると「タツくん」とはタクシーのキャラクターのようで、「タクシー生誕110年」と書いてあった。「タクシーはそんな前からあったのか!」と、1つ知識が増えたのである。
線路の反対側に行って、そこからバスで帰ろうと考えた。
東京国際フォーラムの横を通ったら、『ものづくり匠の技の祭典 2022年』というイベントをやっていた。まだ時間は十分にあるので、そちらを覗いてみることにした。
このイベントはご多分にもれず、コロナ騒動で3年ぶりの開催だそうだ。
東京都が主催して、8月5日から7日までの3日間で行われていた。
パンフレットによると、『東京都は、伝統的な匠の技やものづくりの技能・技術の魅力を発信する「ものづくり・匠の技の祭典」を毎年開催しています』とあった。そこで思い出した。「以前にもこのイベントを見たことがある」。
会場は広く50種以上の日本の伝統的な仕事が公開され、職人が技を披露していた。
また今回は子供も簡単な手作業に参加出来るようになっていたので、親子連れが大勢来ていた。東京というところは週末に出歩くと、『ジジイも歩けば、イベントに当る』で色々なことに出くわす。
だから私の徘徊も、ブログのネタを捜し歩く、「Haikai with Coronavirus」となるのである。
(おまけの話)
『そろそろ帰るか』と思ったが、東京フォーラムで東京駅側の出口から出たので、東京駅から始発のバスに乗ろうと考えた。
そしてまた考えた。『もしかしたら、丸の内仲通りにストリート・ピアノが出ているのではないか?』
そこで少しだけ遠回りをして丸の内仲通りに行ってみたら、今はこの通りは「Marunouchi Street Park」を開催中だった。
通りを通行止めにして、真ん中に人工芝を敷いたり、椅子とテーブルを出したり、卓球台まであった。
この「Marunouchi Street Park」は主催者の説明では『仲通りの公園空間としてのあり方や、活用方法を検証する社会実験です。天然芝を敷いたり、屋外ワークスペースを設置したり、仮設建築物を建設したりと、様々な取り組みにチャレンジして来ました。
4年目となる今年は快適な都市公園空間としての丸の内仲通りを見据え、よりサステナブルな空間を実践、広場としての運営方法、都市観光としての場づくりに付いて考えていきます』とあった。
肝心のストリート・ピアノは、私の予想通りに設置してあった。
近くの椅子に座り、演奏者の現れるのを待った。さすがに都心だけあって、次々とピアノの前に進む男女がいる。みんなジャズ風の曲を演奏して、一礼して去って行く。
私も『ピアノが弾けたらなー』と残念な気持ちになったのである。
仲通りは10年ほど前まではビジネス街で一般人が来る場所ではなかったのが、今では週末には普通の人達で溢れている。「Marunouchi Street Park」は大成功のようだ。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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03/01(金) 確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
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Shinji