
心の伊達市民 第一号
11月11日にわざわざ三ノ輪橋までコロッケパンを買いに行って、買えなかった話は少し前に書いた。もう買いに行かなければいいのだが、気分的には「胸の閊え」が残っていた。そしていつの間にか、どうしてもそのコロッケパンを食べなければならないような気になっていた。
ネットで営業時間を調べたら、この店は朝の7時から開店していることが分かった。
そこでリベンジするべく午前8時に家を出て、コロッケパンを買いに行ったのである。
今回は地下鉄で浅草へ出て、そこから都バスに乗り南千住六丁目で降りた。
青木屋は行列も無く、「コロッケパン」と「メンチカツパン」を2個づつ買った。
近くに「円通寺」という名のお寺があったので境内に入り、冷めない内にコロッケパンを少し齧ってみたら熱々で美味しかった。
お寺の案内板があったのでそれを読んでみたら、なんと「彰義隊」のお墓がある由緒正しいお寺だった。目立つ場所の囲いの中にに「黒門」という大きな門があった。
説明板によると、「黒門は慶応4年(1888年)に彰義隊が新政府と戦った上野戦争の際の激しさを今も伝える弾痕が数多く残っています。この黒門は円通寺の住職が彰義隊の遺体266体を埋葬し供養したのが縁で、明治40年に上野から移設されました」とあった。
近くに寄って見たら、確かに門のアチコチに多数の弾痕跡が見えた。
コロッケパンを買いに行ったことで、思い掛けない歴史に出会ったのである。
だから「徘徊は止められない」ということにもなる。
往きの都バスの窓から外を眺めていたら、鷲神社が「酉の市」をやっているのが見えた。そこで帰り道に都バスを途中下車して、「酉の市」を見に行くことにした。
「鷲神社」は台東区千束にあり、吉原に近い。だから落語のネタにもよく登場する。
「おおとり」を辞書で引いても出て来ない。
漢字で「鷲」を辞書で引くと「わし」が出て来て、「おおとり」は出ないので「当て字」かもしれない。
コロナ前に「一の酉」の日に鷲神社に来たことがあるが、その時は神社の入口に到達するまでに30分くらい行列に並んだ覚えがある。今回も大勢の人が来ていたが、境内には並ばずに入れた。でも参拝するには、15分以上は並ばなければならなかった。
参拝を済ませ、熊手屋を冷やかしに見て歩いた。
それほど広くない境内に、70軒くらいの熊手店が出ている。
どこの店も大した違いはないのだと思うが、それぞれに贔屓の店があるようだ。
熊手には大小あるが値段が書いてないので、初めて熊手を買う人は値段で心配になるだろう。
時々、アチコチでシャンシャンシャンと手を打つ音が聞こえて来る。
きっと「商い成立」なんだろうが、いくらなんだろう?
家に戻ってから女房に「二の酉」の話をしたら、ビックリするような可笑しな話をしてくれた。かなり前に彼女の友人の駐日イスラエル大使の娘のDさんと話していたら、『熊手が欲しいので買いに行ったが、あまりに高くてビックリした。そこで神社の入口のところに捨ててあった熊手を拾って、家に持って帰って飾った。ところがその熊手は魚屋さんに飾ってあったらしくて、1年中、魚臭かった』と言っていたそうだ。
誰かが前年の捨てた熊手なんかで、「福をかき集め」られるだろうか?
外国人は我々には想像も出来ないことをするのだなー。
昼前に家に戻り、家族でコロッケパンの昼食となった。
パンは昔のコッペパンで大きさは1.5倍ほどあり、中にコロッケが2個入っていてソースがかけてある。コロッケは単純で、肉などは入っていないでジャガイモだけである。
私も家族も1個は多過ぎて食べられない。行列が出来るのは、ビックリするほど安いから売れるのだろう。
今回の私の買い物(コロッケパン2個、メンチカツパン2個)は1220円であったが、シルバーパスを使わず正規に交通費を支払えば「1300円」で、交通費の方が高かった。
(おまけの話)
夕方になり、「今日は夕焼けが綺麗に出そうだ」と思い、晴海埠頭公園に行ってみることにした。家から歩いて10分ほどで、晴海埠頭の先端に着く。
ここからはレインボーブリッジが目の前に見えるし、汐留のビル街や東京タワーも見える。
最近になり知ったのであるが、「東京湾港埠頭㈱」というところが、東京湾に面した5つの公園のフォトコンテストを募集していることを知った。
そこでそれに応募する写真を撮ろうと思ったのである。
この公園は最近になりオープンしたばかりなので、まだあまり知られていない。
だから「フォトコンテストに入選する可能性が高いのでは?」と、勝手に自分だけで思っている。現地に着くと、やはり夕日が綺麗だった。
西の方角から飛んで来て羽田空港に向かう飛行機が、レインボーブリッジの上を通過して行く。航路か航空機の大きさかは不明だが、ここから見ていると飛行機が橋の中を飛ぶように見える時もある。
しかし入国制限が解除された影響で、航空機の数は以前よりかなり増えたと感じた。
段々と暗くなって来たが、レインボーブリッジの照明が点かない。
近くにいた警備員に聞いてみた。
私 『何時になると照明が点きますか?』
警備員『分かんねーなー。俺が仕事を終えて帰る時は、まだ点かないよ』
私 『何時に帰るのですか?』
警備員『5時半だ』
最近は陽が落ちるのが早くなっせいか、5時少し過ぎにレインボーブリッジの照明が点灯した。でもその時間になると、もう飛行機は来なくなった。
どうやら都心上空の飛行制限があるようだ。寒くなって来たので、私は家に急いだのである。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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景色がごちそう☆ “ モントーヤ “ ですごす ゆったり時間
温泉街から国道230号線を車で走ると、洞爺湖の上、畑の真ん中に突如現れる黒いコンテナ。 直線道路なので、気になりながらも通り過ぎ、農機具の倉庫かな?一体なんだろう?と気に留めていた昨年。 そんな、筆者のような読者の方もきっといらっしゃったことと思います。 そして今年、どうやらOPENしたらしい!との情報を得て、謎を解くべく取材をさせていただきました。 ↑この束石がポツネンとあるだけの国道からの入り口 ちょっぴり勇気がいる入り口からコンテナを目指して奥へ向かうと、そこには遮るものがほとんどない空間。 畑だと思っていたこの土地は、実は畑ではありませんでした。 周りを見渡して感動しました。 ぐるっと300度くらい見渡せます。 しかも、羊蹄山・尻別岳・ニセコ連邦・昆布岳・有珠山などなどが一望でした。 尻別岳 羊蹄山 取材に訪れたことをうっかりと忘れ、うっとりとゆったりモードにスイッチが入りそうになってしまったほどの眺望です。 「危ない 危ない」と、気を取り直して玄関に向かうと、思わず開けたくなる可愛らしい赤いドアがありました。 ↑入り口にメニューがあるのは安心します ↑ドアを開けると可愛いくて不思議でユニークなディスプレイ ↑厨房で忙しそうないずみさん こちらは、2022年5月にオープンしたカフェ&キャンプサイト “ モントーヤ “です。 札幌から6年前に移住して来られた オーナー 井上啓二さんと奥様 いずみさんが営むお店です。 実はお会いして驚いたことがありました。 ご縁というのは不思議なものだとも思いました。 ↑大きな窓からは遠くの山がよく見えます 奥様のいずみさんは2年前、筆者が企画したワークショップに参加してくださった4名様のうちのお一人だということ。 オーナーの啓二さんは、筆者がどうにも気になって気になって、何度も探しに行った洞爺湖畔の幻の珈琲ソフトクリーム屋さんのオーナーさんだったということ(数ヶ月で満足して閉店)。 そうだったんだ! そうだったんだ! このような形でお会いできるとは! と、敷地に入った最初から少々興奮気味の筆者…^^; 店内は、外からは想像できないくらい落ち着いていて、どこか懐かしい雰囲気の調度品が並んでいます。 ジャズが心地よく流れ、レコードジャケットやコレクションの古いカメラが並びます。 ↑筆者好みのアーティストとレコードジャケット ↑昭和感漂うレトロなコーナー。 「東京に居た頃は服飾デザインの仕事をしていました。いわゆるDCブランドの服です。札幌に戻ってからは、もともと好きだった馬の仕事に携わりました。馬の競りのためのプロモーションビデオを制作したり、牧場のWebを制作したりする仕事です。札幌競馬があるときは、競馬場で売店も営みます。だからまあ、そちらの仕事が本業かな。」 ↑こちらはオーナーの本業。代表取締役としての会社「inox」のwebページ なるほど…。 馬に関わる映像のお仕事と“ モントーヤ “の関連がいまひとつ見えませんでしたが、飲食業にはすでに携わっていらっしゃったわけです。 そして、奥様とのご縁も馬が取り持ったとか♡ ↑コンテナは雨よけにもなり、イベントなどのショップにもご利用いただけます。 1本だけ残したドロノキ(ヤマナラシかも)は、シンボルツリーになっています 「この5000平米の土地は、僕が買う前は何十年も手付かずだったそうです。太くなった木も草も伸び放題のジャングル状態。崩れ落ちた家もそのままで荒れ放題。呆然としてしまうような荒地となっていました。水道も通っていませんでしたので、大掛かりな工事になりました。途方に暮れるほどの手間を掛け、足掛け4年がかりで開墾していきました。」 「そこまで苦労して…。この場所の何にそんなに惹かれたのですか?」 「景色です。どこを見ても山があるこの景色を見ながら珈琲が飲みたかった。ただそれだけです。」 それまで、クールな面持ちで話をされていたオーナーの目が、ふっと力が抜けて優しくなった瞬間でした。 この景色を見ながら一杯の珈琲(お店の珈琲は札幌の有名焙煎ショップ「斉藤珈琲」の豆使用)が飲みたいというそれだけで、4年間も開墾をしてしまう井上夫妻がなんとも素敵です。 「でも、そもそも何故札幌から移住して来られたのですか?」 「きっかけはスイスを訪れたことでした。もう本当にスイスが素晴らし過ぎて、人生観が変わりました。ほんと、絶対に行ったほうがいい!」 この時のオーナーの目はキラキラに輝いていました。 そのご様子だけで、どれほどスイスが素晴らしかったのかが分かりました。 「帰国後、札幌に住まなくても今の仕事はできるよね?と夫婦で話すようになりました。その時の場所の候補は、北海道の都会ではない景色の良いところ、もしくは南阿蘇でした。 そうして洞爺湖畔に居場所を見つけ、その2年後、周りの山々が見渡せるこの場所が気に入り購入しました。」 それから、足掛け4年の開墾の日々が始まったのでした。 店舗は、コンテナ7つを繋げて造られています。 大きな窓の店内はオーナー自らがデザインされたもので、お気に入りの調度品は、山を楽しむためのレイアウトになっています。 「ところでメニューを見せていただけますか?」 とお願いし、見せていただいたのがこちら。なんと、絵本でした。可愛い〜♡ ↑画像はありませんが、珈琲おいしくチーズケーキが絶品です! ↑次回はこちらを食べてみたい! ↑生パスタも美味しそう〜♡ そういえば、入り口にも店内にも絵本が飾られていました。 てっきり、いずみさんのご趣味かと思いきや…。 なんと、「僕のアイディアです」と。 この時のオーナーはちょっとハニかんだ笑顔でした。 ↑思い切り照れたお顔で振り返ってくださったショット ところで、“ モントーヤ “ の “モン“ とは、フランス語で “私の”という意味だそうです。 つまり” 私の洞爺”。 それでも湖畔ではなく、300度にわたり遠くに山を望めるここを選んだのは、「ここで珈琲が飲みたかったから」。 ここがオーナーにとっての「私の洞爺」なのですね。 「洞爺湖も有珠山もいい。でも、ここから眺める羊蹄山も洞爺湖町のランドマークであって欲しいのです。阻害するものが何もない畑のど真ん中で、この景色を楽しみに来ていただきたいです。」 ↑キャンプサイトご利用の場合は店舗の玄関フード内のトイレが共用利用できます 今後は、プライベートキャンプサイトも整備して行くそうです。 ただし、利用できるのはオーナーの友達か、友達の紹介限定だそうです。 優しく尖った カフェ&キャンプサイト“ モントーヤ “。 広大な土地にポツンとコンテナは目立ちますが、素敵な隠れ家を見つけました。 ―モントーヤ情報―虻田郡洞爺湖町成香19営業日時はInstagramまたはHPをご確認ください。Instagramhttps://instagram.com/montoya_108?igshid=YmMyMTA2M2Y=HPhttp://montoya.jp/*イベントのご利用も可能です。HPのお問合せフォームよりご相談ください。
Rietty
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Rietty
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