
心の伊達市民 第一号
8月11日(金)から15日(火)までの5日間、富岡八幡宮の「深川八幡祭」が行なわれた。この祭りでは私の同級生のOさんが、コロナ前までは神輿を担いでいた。
私が彼に『今年も担ぐの?』と聞いたら、さすがに年には勝てず担がないようだ。
富岡八幡宮が日本中に知れ渡ったのは、2017年12月に起きた宮司と元宮司の姉弟の殺人事件だった。その後、富岡八幡宮に近寄る人も少なくなったが、いまは元へ戻りつつあるようだ。
深川八幡祭は「江戸三大祭」と言われていて、あとの2つに「山王祭」、「神田祭」がある。13日(日)には53町の町神輿が、約8キロの道のりを揃って渡御するのである。
町神輿の渡御は午前7時30分からと、かなり早い時間である。
「どうしようかなー?」と思ったが、今年を最後にしようと思って出掛けることにした。今年の1番神輿はお膝元の「富岡1」である。
12日(土)の朝は早く目が覚めたので、午前中だけ富岡八幡宮に行ってみることにした。来年はもう来られないかもしれないので、見納めにしようと考えた。
翌日は本番なので、疲れる前にすぐに戻るつもりでいた。
この日は神幸祭として「鳳輦渡御」が行なわれるので、それを見ることにした。
「鳳輦渡御」は初めて見るので、この話は(おまけの話)で。
地下鉄「門前仲町」で降りて地上に出たら、そこはもうお祭り一色だった。
永代通りの富岡八幡宮へ続くアーケード下の歩道は、お祭りの屋台が並んでいた。
富岡八幡宮の境内の両側も、屋台でいっぱいである。
境内を進むといつもは閉じている、「日本一の神輿」の保管所のドアが解放されていた。初めてガラス越しでなく、直接、日本一の神輿の撮影が出来た。
法被姿の子供達が道路の方に集まっているので、そちらに行ってみた。
関係者に『なにか始まるんですか?』と聞いたら、『9時30分から子供神輿が始まる』と教えてくれた。小さな子供の法被に鉢巻は、とても可愛い。
親達は神輿と自分の子供の写真を撮るのに夢中である。
この子たちが、いずれ大人神輿を担ぐようになるのだろう。
祭関係者のスタイルを見ると、長老と若者に違いがある。
長老は紺色の法被に、下は細身の股引きである。みんな「旦那」に見える。
若者は灰色の法被に、白い短いパンツである。中にはパンツも穿いていない男もいる。
普段は商店主や会社員なのだろうが、この時ばかりはみんな「粋な男」に見える。
「馬子にも衣装」という言葉があるが、「男には印半纏」である。
9時30分になり、子供神輿が始まった。神輿は2基用意されている。
大きな桶に水を用意してあるが、小さな子供達には危険なのか水を掛けない。
小学生くらいの子供達の神輿には、2回だけ水を掛けた。
神輿の前を行く太鼓の山車の音が、段々と遠ざかって行った。
子供達の親は、急いで後を追い掛けて行った。
(おまけの話)
事前に自宅でプリントしておいた地図を出して、「鳳輦(ほうれん)」の渡御を見るために場所の確認をした。しかしこの地図が分かり難いのである。10時10分に「牡丹2丁目」に来るようだった。
「鳳輦とはなにか?」を調べたら、『屋根に鳳輦の飾りのある天子の車で、古くから天皇の正式な乗り物を意味する。現代では神社の祭りなどに使われる、台の上に4本の柱と屋根がある人が乗って移動する車』だそうだ。
「鳳」は『聖王の世に現れる想像上の目出度い鳥で、雄を「鳳(ほう)」、雌を「凰(おう)」と読む』。そして「輦」は『2人の人夫が並んで車を引く』を意味している。
「牡丹2丁目」を探してウロウロしたら、アチコチの町内で町神輿を飾って長老達が話し込んでいる。私はそんな中で穏やかそうな長老を見付けて、『牡丹2丁目はどこですか?』と聞いた。長老は『もう少し先だ。まだ鳳輦は来ていない』と教えてくれた。
そして2丁目に行くと訳知りのオヤジが話しかけて来て、『鳳輦は間もなく来る。そしてここで舞を披露する』と教えてくれた。地元のオバサンが近付いて来て『XXXX?』と聞いたので、分からずに首を横に振った。私の隣の地元民らしき男が『うん』と言ったら、「おひねり」を渡されて『お賽銭受け車に投げ入れて!』と言われていた。
予定時間を少し過ぎた頃に、左の方から前面に「富岡八幡宮 神幸祭」と書かれたトラックが3台やって来た。1台目は先導車、2台目は舞台付き車、3台目は鳳輦車だった。富岡八幡宮は守備範囲が広くお台場まで巡幸するので、この日の鳳輦車の走行距離は70キロだそうだ。
牡丹2丁目のお休み処で止まった鳳輦車の2台目の舞台には3人の巫女が乗っていて、2人が雅楽に合わせて舞をした。鳳輦車は午前8時30分に渡御を始め12ヵ所で舞をして、終るのは午後4時だから、この暑さの中ではとんでもない苦行である。これは神輿ではないので、水は掛けない。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事
-
04/18(木) 写真で見る東京(32)・・・浜離宮の御衣黄
-
04/17(木) 写真で見る東京(91)・・・最後の桜
-
04/19(土) 最近、気に入らないこと
-
04/18(金) 写真で見る東京(92)・・・なごり桜
-
04/16(水) 写真で見る東京(90)・・・トリトンスクエア
-
04/21(月) 写真で見る東京(93)・・・浜離宮の八重桜

イベント
「観光・体験」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/02/10(月) 今日と明日は連休です!!
-
2024/11/20(水) 小澤征爾さんの思い出&1番お得意だった曲(1)
-
心の伊達市民 第一号
0
1
-
2025/02/04(火) 写真で見る東京(77)・・・地下鉄のアート
心の伊達市民 第一号
0
2
-
ホテルマンの幸せ
0
-
2024/11/05(火) カナダからのサイクリスト(1)
観光・体験に関する
特集記事
-
01/23(木) 伊達に「藍染めワンダーランド」を創る![ aizome-「I」/ 伊達 ]
伊達市で藍染めの魅力を伝えている”aizome-「I」"さん。むしゃなびでは一昨年に特集していました。 2023年6月の記事はこちら▼ 『染まらないために染める』パンチラインな大和魂 〜異端児染師Aizome『I』 ご縁があり「ここだ!」という場所を見つけ工房とし、その場所でのイベントも始めていた頃でした。そこからストーリーは進み、今年、熱い想いでクラウドファウンディングをスタートさせました。 クラファンページはこちら!3/31まで!▼ 『藍染め工房と宿泊施設で地元と人々が繋がる「藍染めワンダーランド」を創ります!』 『 藍染め 』という伝統文化を次世代に繋ぐ、更には地域の活性化、人と人が結びつく新たな場の創出を目指す、aizome-「I」の金子夫妻。地元のみんなで応援してみませんか? 藍染工房の立ち上げ、さらに宿泊施設をプラスし『藍染めワンダーランド』を創りたいとの想いで挑戦。リターン品には藍染体験(オススメ!)や藍染めで仕上げたアクセサリーやTシャツ、ストール、靴下やストラップなども。ふたりの想いが伝わってくるクラファンページをぜひ一度ご覧ください。 伊達で生まれ育ったふたりの、ふるさとへの想い 「地元の人たちと繋がりを深められる場所にしたい」 「伊達市の特産品である藍を広め、観光客やインバウンドの人たちに『目的地』として訪れてもらうことで、伊達全体の活性化にも繋げたい」 お二人の言葉の節々に伊達市への愛を感じます。お二人は伊達市で生まれ育ち、今その地元で子育てをしています。地元を愛し、盛り上げたいという気持ちは既に周囲にもしっかりと伝わっていて、イベント時には多くの地元の人々が運営に携わっています。 「イベントなどを通じて人と人がつながり、交わることで、ここが藍染めの液のようにいい形で発酵し、美しい「華」を咲かせられたらとも願っています」 奥が深い”藍染め”という技術 ・そもそも、なぜ藍染め? ・藍が伊達市の特産品なのは知っているけど、 藍染めのことはよく知らない……。 ・草木染めのことでしょ? と思われる方も多いと思います。ここで藍染めについて少しだけご紹介します。 まずご紹介したいのは、藍の国内生産量について。第1位は徳島県、第2位が北海道です。そしてなんとその藍は全て伊達産!そして伊達では一件の農家のみが藍を栽培しています。つまり伊達市の農家・篠原一寿さんが、全国2位の生産量を栽培しているのです。 次に”藍”という植物について。藍は大昔から様々な用途に使われてきました。生葉を絞ったものはやけどや口内炎などに効果があり、葉を煎じたものは解熱や解毒に効果があると言われています。高い抗酸化作用や抗菌作用があることも分かっています。藍染めで染めた布は防臭効果、防虫効果、UVカット、保温保湿、燃えにくい(難燃性)といった特徴があり、昔から山や畑仕事の作業着に重宝されていたそうです。 特に奥が深いと感じさせるのは、染め方です。藍は水溶性では無いため、他の草木染めとは全く異なる染め方を要します。まず、藍の原料を作るためには藍の葉を摘み取り、乾燥させ、1週間に一度水打ちと切り返しを行います。これを100日間ほどかけると、藍の葉は発酵し、藍の原料「すくも」が出来上がります。 このすくもは水には溶けないので(不溶性)、広葉樹(カシ、ナラ等)の木を燃やし、灰にします。その灰を熱湯に入れ良く攪拌し、一晩寝かせて出来た灰汁に入れる事で、すくもにふくまれた有機物や微生物が徐々に溶け出し、発酵して液が出来上がります。染め液にするまでには、およそ1週間から2週間ほどかかります。 さらに染め液はとても繊細で、そのときの温度や環境、そこにいる人のエネルギーによっても染まり方が変わると言います。 「だからこそ奥が深く、おもしろいと思います。また、藍染めは、綿やシルク、麻などの天然素材との相性がいいのも特徴です」 クラファンには藍染め体験のリターンもあります。ぜひご自身の手で染めて、藍を体感してみては。日本の伝統工芸でもある藍染めを、自身で体験できるところは全国でも限られています。多くの体験者が、藍染めの奥深さと色の美しさに魅了されています。 藍染め液の中のような『温かい場所』を目指して 総面積が2500坪もある工房敷地。前の持ち主の方が手入れしていた庭が1200坪。景色を遮る高い建物が周りになく、空が広くて近くて、緑と季節の花に囲まれていて、気持ちがリフレッシュするような場所です。 「この場所を生かしてマルシェや子どもまつり、音楽フェスなどを開催。藍染めに興味がない人、藍染めを知らない人にも、イベントに参加してもらうことで藍染めについて知ってもらえたらと思って開催してきました」 今まで開催されてきたイベントには多くの人が訪れ、この場所の素晴らしさを知り、そして人と人が出会い・繋がっていきました。このクラファンを通してより多くの人々の想いが加わることで、さらに”温かい場所”となるでしょう。伊達市を盛り上げるスポットになること間違いなし。応援したい!と思われた方は、こちらから▼3/31まで!▼ 『藍染め工房と宿泊施設で地元と人々が繋がる「藍染めワンダーランド」を創ります!』 とにかく明るく、前向きでエネルギッシュで、藍と愛に溢れる金子夫妻。二人を応援したらご利益がありそうな雰囲気です。正式にオープンしたら、二人(+いっつもニコニコ愛娘みねちゃんの三人)に会いに、ぜひ工房を訪れてみてくださいね。 ※こちらの記事は一部クラファンページより引用・参照して作成しています。 (クラファンページ ライター:徳積ナマコ 様 / 一部写真借用) ____________________________________________________________ aizome-「I」 北海道伊達市で夫婦で活動する藍染め作家 地元で育つ天然藍で染めています。 1/15よりクラウドファンディングに挑戦。
misaki
0
-
03/01(金) 確固たる想いを洞爺湖で実現させたい! 〜『湖の膳舎 なかむら』 和食職人 中村 悠佑氏〜
2023.4.25 OPEN以来、ずっと気になっていた方をようやく取材することができました。 今回の主人公は『湖の膳舎 なかむら』代表 中村 悠佑さん 千葉県出身、東京都育ち、1児のパパです。 “ My洞爺湖! “ そんな勘違いをしてしまいそうになる景色。 広い窓いっぱいに洞爺湖が見渡せる贅沢空間にその店舗は存在しています。 和食職人と言うと、中学校を出て直ぐ料理の修行をするようなイメージがありましたが、中村さんは和食職人としては珍しい大卒者です。 「本当は、高校を出たら直ぐに飲食業につきたいと思っていました。早くこの世界に入りたかったのです。けれども、親の説得を受けて大学へ行くことになりました」。 とにかく飲食業が好きだった中村さんは、高校一年生の時からファミリーレストランやイタリアンレストランで、大学に入学してからは居酒屋でアルバイトをする日々でした。 「大学では文学部に所属していました。 実はあるリース会社に就職も内定していました。 でも、居酒屋でアルバイトしていた時に感じた、お客様が料理とお酒を楽しんでいる雰囲気がとても好きだったという気持ちを捨てきれず、どうしても飲食業への道が諦められず、その会社を断ってしまいました」。 そんな中村さんが大学卒業後に選んだのは調理師専門学校への入学でした。 「最初はフレンチ志望でした。 かっこ良く見えたんでしょうね。 授業では、和・洋・中をそれぞれ学ぶのですが、授業の中で試食をした時に体にも舌にも自分は和食に向いていると実感しました」。 専門学校卒業後、中村さんは赤坂や新宿の料亭で働き始めました。 修行時代の始まりです。 「就職して初めて飲食業の本当の厳しさを知りました。 労働環境は劣悪でしたよ笑 勤務時間は07:00~25:00 休みの日も糠床をかき混ぜるために出勤していました。 それでもそれほど辛いとは感じなかった。 修行時代を6年ほど過ごし、独立を決めました」。 29歳の時に独立を決めた中村さんは、東京中野の駅前に店舗を構えました。 30席もある店だったそうです。 “ この人みたいになりたい! と憧れる人はいない “ ときっぱり言い切った中村さん。 どこかで聞いたことがある…と思ったら、大谷選手が言った言葉でした。 「え?彼もそんなことを言っていましたか」。と、ご存知なかったご様子。 「修行時代、味付けはさせてもらえませんでした。味付けは最高の位置にいる人の仕事ですからね。 だから、味覚のトレーニングと料理の独自の研究は常に怠りませんでした。 自分の味付けは自分の店を始めてから学びました」。 なるほど。 以前、ある方から、洗い物をする時に鍋についたものやお客様の皿を舐めて味を覚えたという話を聞いたことがありましたが、やはり料理人の世界は厳しいのですね。 「妻は自身で店を持つことを夢に持ち割烹料理店で修行しており、2人で店をスタートしました。東京のお店は住宅街のひっそりとした場所で始めましたが、そこの住宅街にお住まいのお客様はもちろん、近隣の会社様の接待の需要も有り様々なお客様にお越し頂いておりました。その店は、12年間営んでいましたが、北海道行きを決め2023年1月31日に閉じました」。 きっと惜しまれつつ閉じられたのだと思います。 それが証拠に、その時のお客様が東京から洞爺湖までお食事にいらっしゃると言います。 「中村が洞爺湖に店を出したらしいと聞きつけた中野の割烹料理屋時代のお客様がわざわざ来てくださいました。 本当にありがたいです」。 「ところで、何故、洞爺湖を選ばれたのですか?」 「妻の美佳が北斗市出身なのです。いま娘は3歳なのですが、子育ては自然豊かな北海道で育てたいと予々考えていました。そういう視点で北海道を旅した時に、洞爺湖がとても気に入りました。移住するならここが良いなと。でも、果たしてここで商売が成り立つのか? とても不安でした」。 そんな心配を余所に、オープン直後から多くの客様が足を運ぶ店となりました。 「雑誌の「Poroco」や「Ho」に掲載されたことは大きな宣伝になり、とても感謝しています。 札幌圏の方も来てくださるようになりました。ですのでお陰様で夏は順調でした。でも、冬が心配だった。ところが、今度はインバウンドのお客様もたくさん来てくださるようになりました。 シンガポール・タイ・台湾の方が多いです。 海外のお客様は積極的にGoogleにコメントを入れてくださいますので、それをご覧になったお客様がまた来てくださいます」。 予約専門のお店のため、来店者数に合わせて仕込みができるのも強みのようです(席が空いていれば飛び込みも受け付けてくださるそう)。 「どのお料理も素材の味が最大限に生かされていますが、取引先の生産者さんはどのように選ばれているのですか?」 「洞爺湖に引っ越してきたのは2023年の2月で、店のオープンは4月でしたので、野菜は根菜くらいしか手に入らない時期でした。お米は移住前から財田米を食べ比べ、宮内農園さんのお米を食べて「この美味しいお米なら洞爺でお店が出来る」と確信を持てました。宮内農園の佐々木ご夫妻には他の農家さんをご紹介頂いたり、自分達で道の駅で買って美味しかった農家さんにアポを取ってみたりとオープン前は奔走の毎日でした。出来るだけ地元の食材を利用し、地元の方にこんな美味しい食材が地元に有ったんだ!と再発見していただけるようなお店を作っていきたいです」。 特別なものを使うのではなく、地元の方がよく食べているものを使いたいという考え方は素敵だと思いました。 「地元食材を使いながらも、今まで無かった店、今まであまり食べる機会が無かった料理を、職人技で提供する店になりたいと考えています。 とは言え、いまは未だ試行錯誤の段階です。 地元の方に足を運んでいただくためには地域性も大切にしなければいけませんから」。 「ところで、お二人にお尋ねします。移住して良かったなあ〜と思う瞬間てどんな時ですか?」 「最高の食材がすぐ身近にあることが幸せです。 娘がのびのびと成長していると感じる時もまた移住して良かったと感じます」。と悠佑さん。 「洞爺湖を眺めながら大好きな温泉に入っている時です!笑」と美佳さん。 明るい美佳さんは早くも常連さんの人気者です。 「最後に目指しているスタイルがあればお聞かせいただけますか?」 「洞爺湖ならではの和食の店を確立したいです。この素晴らしい借景の中で、洞爺湖でしか食べられないものを提供したい。そのためにも、もっともっと洞爺湖のことを知りたいですし、洞爺湖の食材のことを研究したいです」。 そう力強く語った中村さんの元に、保育園から帰ってきた娘さんが「ありがとうございます!」と言いながらニコニコと現れました♡ ―湖の膳舎 なかむら 情報― 電話 080-9269-2578 住所 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉186-85 Instagram https://www.instagram.com/nakamura0321?igsh=MWR1bm9ieTBya28yNw==
Rietty
0
-