
心の伊達市民 第一号
13日(日)は午前6時45分に家を出た。
地下鉄「門前仲町駅」で降りる人も多いが、駅から地上に出たらこんな時間に大観衆だった。富岡八幡宮の前の道路である「永代通り」は、既に神輿が勢揃いしていた。
この日の神輿渡御は前回がコロナで中止だったので、6年ぶりである。
しかも本祭なので、その盛り上がりは大変なものだ。
両側のアーケード下の歩道は、大混雑で歩けない。
仕方ないので遠慮しながら、しかも神輿の関係者のような感じを出して、道路の中央区を歩かせてもらった。両側には53基の神輿が勢揃いしており、その光景は「壮観」である。
それぞれの神輿は多分、午前6時頃から来ていたと思う。一番手の神輿は午前7時30分にスタートするが、最後の53基目のスタートは午前9時の予定である。関係者は時間を持て余して、めいめいに道路に腰を下ろしている。
同級生でプロカメラマンのOさんは深川に縁のある男で、今回も素晴らしい写真を撮るだろう。もう1人の同級生のNさんは神奈川県から来るので、都合が合えば3人で合流することになった。
祭の3日前にOさんからメールが入った。『53基の御神輿の連合渡御は壮観な真夏の水掛け祭りです。タオルなどでの防水対策をお願いします。深川で生まれ育った両親から言われたのは御輿を2階などから見下ろすのはご法度で、その様な事が担ぎ手の目に入るとその家に向かって神輿が突っ込んだそうです。現在の高層集合住宅の時代では無理でナンセンスな事かも知れないが、意味は理解してくれる事を願っています』。
深川八幡祭での神輿の話である。これは深川文化に詳しいOさんから聞いた話だ。
神輿の掛け声は「わっしょい、わっしょい」で、一説には「和を背負う」から来ているそうだ。水を掛けるのは「清め」の意味で、暑いから掛けているのではない。
でも掛ける水の量が凄い。「清め過ぎ!」と感じている。
この暑さでは、水掛けは「クールダウン」にはとても役立っている。
そのせいか観客はどうか知らないが、担ぎ手が「熱中症で倒れた」という話は聞かない。
私は早めに約束の場所である「汐見橋」に行ったが、2人とも来ていなかった。
午前7時30分になり、花火の音で神輿の渡御が始まった。
今年の町内神輿の先頭のクジを引き当てたのは、八幡様のお膝元の「宮元(富岡1)」だった。
6年ぶりの祭りで「宮元」が一番札を引き当てた偶然は、幸先の良い祭りのような気がした。私の待つ汐見橋の袂には、トラックが止まっていて、何人もの男がトラックの上から水を掛ける準備をしていた。
いよいよ一番神輿がやって来ると、トラックの上の男達が一斉にバケツで水を掛ける。
一瞬、神輿が見えなくなるほどの水の量だ。「盛大」というのは「このこと」と思う。
次々と神輿がやって来ると、また盛大に水を掛ける。
以前の私は神輿に付いて行き、東陽町~木場公園奥~清澄庭園などにも行ったが、もうさすがに年には勝てず八幡宮の近くだけで写真を撮った。小雨が降って来たので1時間ほどで切り上げたが、それでも非常に満足な「深川八幡祭」だった。
私の育った町は大した歴史も無かったので、お祭りも記憶に無いほどのものだった。
今回の「深川八幡祭」では、祭関係者と見物人の数だけでも相当な人数だと思う。
その経済効果は分からないが、関係者はお盆休みなのに「海外旅行もせず」、「家族旅行もせず」であるから、もしかしたら経済効果はマイナスかな?
でも祭の嫌いな人は少ないと思う。
外国でも有名な祭はあるが、祭と歴史はリンクしているので、歴史の浅い国のアメリカには有名な祭は無い。その代りに「毎日が祭」の、「ディズニーランド」や「ユニバーサル・スタジオ」がある。
(おまけの話)
資料によると富岡八幡宮には色々と禍があったようだ。「1807年に富岡八幡宮で12年ぶりに行われた祭礼に、江戸じゅうから群衆が永代橋を渡って押し寄せた。ところが詰めかけた群衆の重みで永代橋は崩落してしまった。橋は中央部よりやや東側の部分で、数間ほどが崩れ落ちた。
しかし後ろから群衆は崩落に気が付かず、次々と雪崩を打って転落した。
この事故で死傷者・行方不明者は1400人を越えた」とある。
町に貼り出された落書きに「きょうは祭礼 あすは葬礼」とあったそうだ。
元禄時代に豪商として名を馳せた紀伊国屋文左衛門が奉納したとされる純金張りの宮神輿は3基あったが、関東大震災で惜しくも消失してしまった。それから68年の時を経て平成3年に日本一の黄金大神輿が佐川急便により奉納され、宮神輿が復活した」。重さは4.5トンもある。
日本一の大神輿は紀文の因縁のある永代橋から陸揚げされ、総勢4000人の行列を従えて富岡八幡宮へ運ばれた。八幡宮大鳥居前で行われた初担ぎには3000人が参加して、巨大神輿を見事に担ぎ上げた。しかしあまりに大きく重過ぎるので、渡御どころではなくなり、それ以降は境内の展示場に展示されるだけになっている。
深川白河の「facebook」を見たら、8月11日から始まる「深川八幡祭」の面白い動画が出ていた。それは「お神輿の担ぎ方の練習」の参加者募集と、練習風景だった。
「第2回神輿担ぎ方練習」、「7月30日午前11時」、「白河三丁目会館」、そして注意書きとして、「祭装束でお願いします。サンダルは不可」とあった。
マンションも増えて新しく越して来た人も多いようで、神輿の担ぎ方も練習する時代となったようだ。祭の後の出勤では、慣れない神輿で体中が痛くて仕事にならないのでは?
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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きのこから森を観て、森から地球を観る 〜愛ある きのこアドバイザー 中嶋潔ワールドへようこそ!
きのこ観察会にて この日は、倶知安にある「GURUGULU」というオフグリットのゲストハウスで「きのこ観察会」が行われました。 参加者は小さなお子様から大人までの15~6人。 この日筆者は、「きのこ観察会」への参加と、今回の主人公 中嶋潔氏 の取材目的で出かけて行きました。 お天気最高の野外活動日和♪ 実は筆者、潔さんの観察会には“きのこ”以外でも参加しています。 今回で4回目。 中嶋潔ワールドは、毎回飽きることなく楽しい時間を過ごせます。 何故かって? それはきっと、森愛溢れる潔さんと森にいると、とても楽しくて、平和で、幸福感が何倍にもなるから。 森がいっぱいの日本に住んでいて良かった! 地球に生まれて良かった! そんな幸せの時間を与えてくれる人だからです。 子どもも大人も惹きつける潔さんの技はひとえにお人柄が成すものです。 子どもって、そういうところを察する力に長けていますので、すぐに人気者になってしまいます。 中には、きのこ博士くん候補生のように詳しい子もいました。 毎回観察会を楽しみにしているご家族もいらっしゃるようです。 そして観察会の締めは約11種類もの“きのこ”が入ったうどんを毎回振る舞ってくれます。 実は皆、これも大の楽しみ🎶 林床への興味 実は潔さんは、あの難関資格「森林インストラクター」でもあり、「きのこアドバイザー」でもある森の人。 2001年から6年間林業に携わり、現在はニセコのリゾート会社にお勤めです。 「北大のポプラ並木が倒れたり、支笏湖周辺の森の木が軒並みなぎ倒された大きな台風が来た2004年、悲しいことにリストラに遭ってしまいました。管理する木がほとんど倒れて無くなってしまったからです。でも林業の仕事が大好きだったのでその後は民間会社の林業部門で働きました。林業に携わっていた6年間で行っていたのは、育苗・植林・伐採・管理。おもにトドマツ・アカエゾマツ・カラマツ・ミズナラ・ケヤマハンノキなどを植えていました。働き始めた頃は何も知らなかった樹木の名前も、毎日触れて観察をしているうちに、2年で倶知安周辺の樹木は全て覚えてしまいました。この地域の樹木について、ある程度把握できてきた時に、次に興味が湧いたのが、いつも樹木のそばの地面にいる、きのこたちでした。」 「興味を持ち始めた頃から直ぐに“きのこ観察会”を催すようになりました。自分自身はまだまだよくわからなかったので、黙々と独学もしつつ、『誰か詳しい人!?』と呼びかけて興味がある人や詳しい人と一緒に観察をすることで少しずつ覚えていきました。最初の頃は図鑑を森に持って行き、調べながら歩いていました。でもそれをやるとなかなか進まず多くを観察できません。実は、“きのこ”ってまだ良く分かっていないことが多いです。日本には5千〜1万種類くらいはあると言われていますが、その内、名前が付いているのは2500種類くらいです。そしてそれらのうち、一般的な図鑑に掲載されているものが800種類ほどです。名前のない不明菌と呼ばれるものの方が非常に多いことになります。実際に森を歩いていてもわからないものがたくさんあるわけです。だから、図鑑を持ち歩くのはとても非効率になります。ある日、北海道大学名誉教授の五十嵐教授の観察会の仕方を見て衝撃を受けました。森の中では一切図鑑を開かなかったのです。だから、僕も現場で図鑑を開かずに、種を言い当てることができるようになる努力をしました。きのこ用のカメラを買い、色々な角度から写真に収めてあとで調べるという方法をとりました。10年くらい続けてやっと種の見分けに信憑性が出てきたかな〜。」 にわか仕込みで覚えようとしている筆者には耳が痛い話です^^; 「また、FaceBookでは『北海道のきのこ好き』というグループを作って、常に新鮮な情報交換をしています。オンライン上の趣味のグループって、とかくイザコザが起きやすいのですが、このグループは居心地の良いグループにしたかったので、しっかりルールを守り、ネット上のマナーをわかってくれる人のみを承認するようにしています。自分がなかなか見られない“きのこ”も皆さんがシェアしてくれるのでとても勉強になります。」 常に学ぶ姿勢を止めない潔さんです、 そしてじきに、潔さんに転機がやってきます。 「ニセコのある会社から、スキー場ゴンドラの夏季営業を始めるに際し、山頂で自然体験部門を立ち上げるのでその担当者にならないかという話しが舞い込みました。好きな分野でしたので直ぐにお引き受けし、2007年から2020年に廃止されるまで担当しました。コロナ禍がきっかけでその部門はなくなってしまい、今は別のセクションにいるのですがあれは楽しい仕事でした。」 今ももちろん“きのこ”への愛は変わらず持ち続け、観察会活動はライフワークとして続けているというわけです。 「ところで、“きのこ”は確かに可愛くて面白いですが、それほどまでにのめり込んだのは何故ですか?どこにそんな魅力を感じたのでしょうか?」 「石炭期を終わらせたのは“きのこ”だという話を知っていますか?」 「え? あ…はい。一応ネイチャーガイドの端くれですので…」 「“きのこ”への興味は食べられるor食べられないだけではありません。まず、一期一会で神出鬼没なところが面白いのです。“きのこ”への興味を覚えてから20年超えてもまだまだ情報は更新し続けています。実に奥が深い。地球上の“きのこ”の登場は、酸素と二酸化炭素濃度のバランスに関係しています。地球上にきのこが登場する前、植物たちは枯れても分解されることがないので、その遺骸は地面に溜まり続け、それが石炭となって地面の中に二酸化炭素の多くを封じ込めてしまいました。そのため地球の酸素濃度はどんどん上がり続けましたが、“きのこ”を含む菌類の登場により、死んだ樹木を菌類が分解するようになり、石炭はできなくなってしまいました。その後、大気は現状の酸素濃度で安定し、土壌も変化し生き物は進化し、現生の植物が誕生しました。“きのこ”の登場は、地球上の生物や植物にとってとても大きな出来事だったのです。“きのこ”をはじめとした菌類が地球上の生命活動の重要な鍵を握っているわけです。」 なるほど〜。 もうかなり前のめりな筆者。 目がキラキラしているのを自覚しました。 もっともっとその続きを聴きたい衝動を堪えて、取材モードに戻しました。 同時にここで、潔さんが一体どんな子ども時代、青年時代を過ごしたのかということに俄然興味が湧いてきました。 潔氏 小学生〜大学生の頃 「小学生の頃は物知り博士的キャラでした笑」 「それって今と変わらないですね笑」 「そうだね。たぶん僕は父親の影響をかなり受けていると思います。父は兵庫県赤穂市生まれで海育ちだったので、海が大好きな人でした。よく釣りやキャンプへ行ったなあ。今でいうグランピングのようなキャンプも体験させてくれました。父自作の2段ベッドがテントの中にあったんです。自然の中での過ごし方の基本を習ったのは父からでした。そして、ものすごい読書家で聡明でした。物事を科学的に考えることがとても好きな人で、それを試してみるのも好きでした。手先もとても器用だったので、周りが驚くようなものを色々作っていたなあ〜笑」 お父様のことを楽しそうに話す潔さん。 “ 困った人” “ 変な人 ” という言葉が何回も出てきましたが、その言葉の裏にある尊敬と愛が込められていることも筆者には伝わっていました。 「例えばね、自宅の一角にコンクリートの建物を作って、屋上に畑を作ったこともありました。ところが階段がない。梯子で上るわけです。そして父親だけはトイレを使わず糞尿を肥料として屋上の畑に撒くわけです。周りは住宅街。当然臭う。当時、父はEM菌関連の本を読み漁って研究をしました。決して環境問題に傾倒していたというわけではなく、素朴な感情で超循環の暮らしをしたいと考え、自給自足を目指していたのだと思います。大変だったのはお袋だろうなあ〜笑」 「あ。こんなこともありました。当時大阪府に住んでいたのですが、自宅の近くに天の川という名の川が流れていて、その河川付近に遊んでいる土地があると放っておけない。開墾しちゃうんですね。特に迷惑を被る人はいないとは思いますが、まあ、今なら問題になりそうですよね…^^; とにかく、学校では学べない自由な世界があることを父が教えてくれました。」 お父様のお話を伺っていたのですが、途中から潔さん自身のお話を聴いている錯覚を起こすほど、お父様の影響を強く受けていらっしゃるなあと感じて、心の中でクスッとしてしまいました。 「中学生の頃は自転車少年でした。自転車の旅が好きで、高校の卒業記念に友達と13泊14日四国の野営旅をしたこともありました。高校時代はワンゲル部・新聞部・クイズ同好会を掛け持ちしていました。自然の中にいることも、ものを読んだり書いたりすることも当時から好きでした。北海道新聞のコラムを12年間連載したこともあります。」 しまった…。 またやってしまった…。 最近どうもうっかりとモノを書く人を取材相手に選んでしまいます。 潔さんは常に笑いながら話してくれるのですが、緊張が走った瞬間でした ^^; 「大学時代はワンゲル部一筋でした。山は本当に好きで、仏教系の大学で哲学を学んでいたのですが、卒業後は北アルプスの山小屋で夏から秋まで五年間、小屋番をしていました。」 小学生から大学生時代のお話を聴き終わり、目の前にいる潔さんを作り上げてきた道筋が見えた気がしてものすごく腑に落ちました。 キノコから森を観つづけた潔さんが成し遂げたい想いとは 「最後に、成し遂げたい想いがあったら教えていただけますか?」 筆者が投げかけた質問に、それまで、ニコニコと顔いっぱいの笑顔で話していた潔さんの顔つきが急に変わりました。 「キノコは森を観る窓だと思っています。」 そう切り出した話の続きはこうでした。 「北海道の70%は森林と言われています。ずっと森を観てきた人間として、キノコを通して北海道だからこその森の守り方・育て方・稼ぎ方などを仕組み化していきたいと考えています。ご存じですか?北海道の人工林の約50%はトドマツ林です。 そしてなんと、トドマツ林にはおそらく世界で一番キノコの種類が多く生えているのです。 しかも、トドマツ林は保護林の中には存在しない。つまり、林床の利用は自由です。 北海道にしかできない「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたいと考えています。その資格制度を作ることで、北海道の人工林に最も多いトドマツ林に生えるキノコを熟知している人を増やせば、世界で最もキノコを理解している人を増やすことになります。キノコの理解者を増やすことで、森は森のまま木々を適正に管理して守り・育てることができます。木を切って売る林業ではなく、林床のキノコを売って稼ぐ林業を成り立たせる仕組み作りをしたい。トドマツの林床に生えるキノコの中には、マツタケよりも高値で取引されるものもあるんです。そして、その仕組みを推進する立場として『トドマツ林限定のきのこマイスター』が存在する。人工林ってね、人里に近いところにあるわけです。しかも人工林には必ず林道があるし、トドマツ林には笹がない。それらもその新しい仕組み作りにはメリットになります。つまり、人が入りやすくキノコが生えやすい環境である宝の森と言えるわけです。つまり、何をやりたいのかをもう一度と言うと、”森は森のまま維持する林業”の仕組み作りのために「トドマツ林限定のきのこの資格制度」を作りたい!と考えているんです。」 土の中や倒れた木の中で、人間の目には触れない世界の中に無数に張り巡らされている菌糸たちのネットワーク。 そして、空気中に飛び出した見えない胞子たち。 地表の循環の立て役者キノコたちを通して語る潔ワールドの森愛・地球愛・人間愛にすっかり魅了され、潔さんの成し遂げたい想いを応援したくなった筆者でした。 ―中嶋 潔氏 情報― FB : https://www.facebook.com/kiyoshi.nakashima.18 FB : 「北海道のきのこ好き」 ・倶知安「風土館」にて時々講演をしています。 ・「北海道のきのこ好き」に参加すると、各種ワークショップ情報を得られます。 10/29にも倶知安「GURUGURU」にてキノコ観察会があります。
Rietty
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Shinji