
心の伊達市民 第一号
ベトナムの会社の「21周年記念パーティ」に出席した話は、既に書いた。
その時に出会った10年ぶりのN先生を、東京見物に誘った。
彼女は大宮の方の宿舎に1ヶ月間も滞在して、日本語教師の研修を行っていた。
だから日本に来たのに東京のことを知らないのは気の毒と思い、10月1日(日)に「一日東京見物」に誘ったのである。
彼女との連絡は、ベトナムの会社の日本人女性のSさんに頼んだ。
ベトナムの先生は日本で使えるスマホを持っていないので、私からは連絡できないのである。午前10時に東京駅丸の内南口改札口で、待ち合わせることになった。
でも心配である。以前にベトナム人実習生と同じ場所で待ち合わせたが、電車の無い国から来ている彼女達は、東京駅に沢山の出入口があるのを理解していなかった。
そのせいで、出会うのに30分以上も掛かったことがあった。
Sさんにしつこいくらいに説明し、「東京駅丸の内南口」を伝えておいた。
当日は15分前に東京駅に行ったら、彼女はもう来ていた。
ベトナム人にしては珍しい。ベトナム人の問題は『時間にルーズ』だからである。
東京駅で記念撮影をして、皇居に向かう。
日曜日ということもあるし、中国の国慶節であるからかもしれないが、大変な人出であった。定番となっている「二重橋を背景に」、記念写真を撮る。
彼女は皇居前広場の美しさと、手入れの行き届いた松林に感動していた。
この日の計画では「東京駅」→「銀座」→「歌舞伎座」→「浅草寺」→「上野」→「上野動物園」→「アメ横」→「勝どき」→「晴海埠頭公園」→「我が家」を考えておいた。
皇居前から「東京国際フォーラム」まで歩き、そこから都バスに乗り「銀座4丁目」で降りた。
デパートの地下食品売り場を見た後に、歌舞伎座まで歩く。
歌舞伎座のエスカレーターを使い、地下の「木挽町広場」でお土産を見る。
「地下」に付いては、面白い話を(おまけの話)で。
そして地下鉄「浅草線」で「浅草駅」で降り、雷門で記念撮影をした。
仲見世通りは大混雑で、歩くこともままならない。彼女には初めての日本なので、我慢して浅草寺本堂まで行く。私は「人疲れ」をしてしまい、サンジェルマンに入って一休みとした。仲見世通りのお店はどこでも大繁盛で、コロナでの損失を十分にカバーしていると思う。
東洋人も欧米人も、みんな何かを買い食いしている。
やはり観光というのは「見る」だけでは納得出来ず、「食べる」が付き物のようだ。
もし私が欧米人だったら、「日本はとても面白い国」と感じるだろう。
次は都バスで「上野」へ出た。
彼女は「上野公園」は聞いたことがあるらしく、『そこへ行きたい』と言った。
この日は「都民の日」なので、都立美術館と上野動物園は無料だった。
彼女の希望を入れて上野動物園に入ったが、ここも大混雑で「ゾウ」を見ただけで外へ出た。公園の桜並木には季節外れの桜の花が、2輪だけ咲いていた。
不忍池の蓮の葉を見てから公園を出て、アメ横へ行った。もうその頃の私は相当にへばっていた。彼女は私の半分くらいの年齢なので、全く疲れた様子はない。
上野御徒町駅から地下鉄「大江戸線」に乗り、「勝どき駅」まで戻った。
ベトナムには電車が無い。いまはホーチミン市で地下鉄の工事を行っているようだが、遅々として進まない。
彼女の滞在先の埼玉県は海が無いので、私はわざわざ都バスで「晴海埠頭公園」に案内して東京湾を見せた。丁度、帆船「日本丸」が停泊中で、彼女は生まれて初めて「帆船」を見たそうだ。
晴海埠頭公園から元東京オリンピックの選手村の横を歩いて、やっと家に戻った。
我が家にやって来たN先生は、タワーマンションにビックリである。
お茶を飲んでおしゃべりをしていたら、ESUHAIのS女史がNさんを迎えに来て、今日の一日は終ったのである。万歩計は1万6000歩を示していた。
(おまけの話)
久し振りにベトナム女性と一日を過ごしてみて、驚くことがあった。
彼女が驚いたことに、私が驚いたのである。初めて日本へ来ると、なんでも珍しいのである。
一番は「地下入口」だったそうだ。道路際の階段を人が降りて行く。
中で「なにをしているのか?」が、とても気になったそうだ。
エスカレーターに乗って地下に降り、地面の下を走る電車に驚く。自転車の駐輪場が地下にあって驚く。しかも地下なのに、エアコンが入っていて、更に驚く。地下に商店街があったのにはビックリだ。
食べ物が「美味しい」と言っていた。
三越デパートの地下食料品売り場を案内したら、売っているものから目が離せない。
我慢し切れず、「まい泉」で「コロッケ」と「メンチカツ」を1個づつ買っていた。
浅草の「サンマルク・カフェ」で「コーヒーゼリー・パフェ」をひとさじ口に入れて絶句していた。『日本にはこんなに美味しいものがあるんですねー!』
昼に「ラーメンと餃子」を食べた。彼女は焼き餃子を初めて食べたそうだ。ベトナムは「茹で餃子」だけだそうだ。
彼女は『日本は清潔で安全だ』と言った。
また『道路にゴミが落ちていないが、誰が掃除しているのですか?』と私に聞いた。
『これは役所が住民から集めた税金で、人を雇って清掃している』と言ったら、ビックリしていた。
意外なことを彼女が言った。『買い物をしたら、ビニール袋のお金を取られた。ベトナムは無料だ』。
私が『ビニール袋は環境を破壊するので、買い物客にバッグ持参をお願いし、ビニール袋は有料にしてゴミを少なくしている。ベトナムの道路には、ビニール袋が散乱している』と説明した。彼女は言った。『ベトナムが日本のようになるには、これから30年くらいは必要だ』。
彼女はベトナムで日本語の先生だが、初めて日本へ来て色々なことを体験して、『考え方が変わった』と言っていた。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
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アートで楽しむまち歩き!ムロランアートプロジェクト2021
旧市街地のレトロな街並みで知られる室蘭駅周辺で、アートとまち歩きを楽しむイベントが10月9日から始まりました。 ムロランアートプロジェクト(MAP)。 室蘭の歴史的建造物が期間限定のアートギャラリーに大変身!10月31日まで土日限定で観覧できます。 初日の10月9日(土)に遊びに行ってきました。 まずは本部のある旧室蘭駅舎へ。公式パンフレットが配布されています。 この黄色いパンフレットがまち歩き「MAP」として、道案内をしてくれます。 さっそくまち歩きスタート! 旧室蘭駅舎には室蘭出身のアーティスト・中村岳さんのインスタレーションが展示されています。 初日のこの日、公開製作が行われていました。完成まであと少しというところの製作風景です。 明治45年に建造された旧駅舎の構内に、巨大な立体作品が次第に姿を現してきました。 鮮やかな赤茶色が室蘭の工場風景や鉄を彷彿とさせます。ドームのような不思議な形。設計図はなく、インスピレーションで形を作っていくのだそうです。 国内各地で活躍する中村さんですが、出身地の室蘭では今回が初の本格的な製作・展示となります。完成したインスタレーション、ぜひ生でご覧になってみてください。 続いて、千穐萬歳堂(せんしゅうばんぜいどう)へ。 大正14年に建てられた歴史ある倉庫です。入り口から佇まいというか、存在感に圧倒されました。こういう建物が保存されていることもすごいことだなあ、と思います。 中は改修され、ギャラリーとなっています。 1階は室蘭工業大学山田研究室のプロジェクト、2階は川上りえさんの造形作品が展示されています。木骨石造ということで、石の壁と木の骨組みが独特の雰囲気を醸し出していました。建物とアートのコラボレーション!美術館での展示とは全く違う味わいがありますね。 坂をのぼって次の会場へ。 景色を眺めながら気持ちよいまち歩き!会場間が遠すぎず近すぎず、程よい距離でコースが組まれており、お子さんから高齢の方まで、歩きやすいのがポイントです。 旧丸越山口紙店。こちらも大正時代の建造物です。レンガの壁からロマンの香りが漂ってくるよう!ゆっくり眺められるのは徒歩ならではですね。 古い調度品に溶け込むようにして、岩崎麗奈さんの写真作品が展示されていました。作品と建物、どちらも見応えがあります。普段は入ることができない建物だけに内部を見られる貴重な機会でもあります。 途中にカフェや飲食店が多くあるので、ランチやお茶を楽しむのもおすすめです。昔ながらの甘味処として親しまれる「すずや」に立ち寄りました。若者からマダムまで、幅広い年齢層の女性客が甘いものを楽しんでいました。 MAPにもおすすめリストが載っています。 室蘭プリンスホテルでは、10月8日〜10日の3日間限定でMAP連動企画として「中央町懐古展」が開催されました。来場者はホテルのクラシックな雰囲気の中、昔の写真や映像を楽しんできました。 さて、最後は中央町たのしま横丁(大辻医院跡地)へ。 初日のこの日、オープニングイベントとして大黒淳一さんによる音楽ワークショップが開催されました。街の音を録音して、音楽をつくる一日限りのスペシャル企画。地域の子ども達で賑わっていました。 音楽作りの様子。公式Facebookをご覧ください↓↓ ムロランアートプロジェクトは「室蘭の未来地図をつくる」をコンセプトに3カ年開催を予定しています。 プロジェクト代表の荒井純一さんは 「繁華街だった室蘭駅周辺をコンパクトに歩けるルートを制作しました。室蘭は普段気づかないポテンシャルがたくさんある街だと思います。アートや街歩きを通してそれを発見してもらえたらと思います。」 と話していました。 建物、まち歩き、アートと、いろんな切り口からいろんな楽しみ方ができるところが面白いな、と思いました。古い建物と現代アートがお互いに美しさを引き立てあって、新しい街の魅力が生まれ出てくるような、そんなワクワクする気持ちになりました。 芸術の秋、ご家族やお友達と出かけてみませんか。 各会場では入り口で消毒、検温、記名を行い、感染対策に配慮されています。 Muroran Art Project2021 2021年10月9日〜10月31日 土日のみ開催 12:00〜18:00 入場無料 ※MAPは旧室蘭駅舎で配布されるほか、公式HP(https://muroranart.wixsite.com/website)からダウンロードできます。 主 催 / Muroran Art Project 協 力 / 大町商店会、室蘭工業大学山田研究室、蘭歴建見会 後 援 / 室蘭市、室蘭商工会議所、室蘭観光協会、北海道新聞室蘭支社室蘭民報社、FMびゅー 助 成 /北海道開発協会助成事業 会 場・展示アーティスト :旧室蘭駅舎(MAP本部)中村 岳 | 千穐萬歳堂(海岸町3-2-6) 川上りえ 室蘭工業大学 山田研究室 |旧丸越山口紙店(海岸町2-5-8) 岩崎 麗奈 | 中央町たのしま横丁(中央町1-2-7):大黒 淳一 (10.9日のみ) 詳細・最新情報はこちらからどうぞ ムロランアートプロジェクト muroranart.wixsite.com/website Facebook
むしゃなび編集部
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三多摩の田舎者(Y)