ブログ閉鎖中の話題(2014年4月28日)

マンションの友達のMさんから『桜前線を追って、妙義山に行かないか?』と誘われた。この年になると、誘われた時に行かないと、もう次は無いかもしれないと思う。
私は免許を返納し車を持っていないので、彼の愛車のボルボで行くことになった。


圏央道を走る



彼は膠原病で、左足の筋肉が削げ落ちるという難病に罹っている。
それに運転があまり上手とは言えないので、道中もハラハラ指導しである。
首都圏から中央道に入り、高尾山で圏央道に入る。


水路の土手に停めたボルボ。 その向こうに見えるのが妙義山。



そして鶴ヶ島から関越道に入り、松井田妙義ICで一般道に出た。
そこから桜前線で調べた妙義山方面に向かう。
途中で妙義神社という、なにやら由緒正しそうな神社を見付けたので、駐車して見物する。

「道の駅」で桜情報を仕入れようと思った。帰ってから知ったのだが、4月26日に政府が世界遺産に登録を勧告した「富岡製糸場」が近いと分り、そちらを優先することになった。


妙義神社の石段は長くて、急こう配。 来年は登れないかもしれない。



製糸工場の見学料は1人500円だったが、身障者は無料だと言う。
Mさんは身障者手帳を持っている「身障者」である。
また、付き添いも1人までは無料だと言うので、支払い済みの1000円を返してもらった。私の感じた素直な気持ちでは、「なぜ身障者は無料なのだろう?」である。

昔は製糸機械の前に女工さんが座り、お湯の中に浮いている繭を紡いだ。
だから当時の工場は繭の煮える匂いが充満して、非常に臭かった。


富岡製糸場。 ボランティアの案内人の説明を聞く。



次に「桜の里」というところが桜の名所らしいので、そこに向う。
舗装をされた良い道であるが関越道のバイパスが出来たせいで、旧道はガラ空きだった。谷の向こうに桜が見える。

山を覆うように植えられた桜の群生は、西の桜の名所「吉野山」を凌ぐくらいだ。
こんなにも素晴らしい桜の名所があるとは、知らなかった。


妙義山の麓の「桜の里」。 桜が谷を覆い尽くす。



目の前には妙義山がそそり立つ。 妙義山は奇景であると思う。
ゴツゴツとした山の頂上は、登るものを拒むように見えるが、登山は許されているらしい。
【妙義山マップ】・・・・・・http://www.city.tomioka.lg.jp/www/contents/1000000001949/files/tozannmappu-big.jpg


こんな美しい桜の景色はそうは無い。 私は感動した。



日が暮れて来たので、この日は道路沿いの空き地を見付けて車を止め、そこで野宿となった。アウトドア派のMさんはキャンプ用品を車に積んであり、持参したテーブルと椅子をセットした。更にテーブルクロスまで用意してあり、自宅から用意して来た「スジ肉の赤ワイン煮込み」を御馳走してくれた。


道路脇の空き地に車を停めてキャンプする。 



(おまけの話)
夕食を終えると周りは真っ暗で、アルコールを飲まない私は手持無沙汰となる。
さすがに標高700メートルは、夜の冷気が冷たい。
やることが無いので車に乗ったが、それでもやることが無い。


小さなガスボンベで料理も照明も出来る。 Mさんはワインまで持参。



仕方ないので、用意してくれた寝袋に潜り込む。
道中でズーと話をして来たので、もう話も無い。仕方ないので寝る。
しばらくして、隣のMさんが強烈なイビキを掻きだした。
狭い車内だから、逃げ場が無い。


菜の花、桜、新緑。 田舎の景色は心を癒される。



上を見上げたら、ガラス張りのルーフを通して満天の星が見えた。
道路を通る車も無い。  寒くなって来た。 イビキだけが響き渡る。
そのまま朝になった。

Mさんに聞いてみた。『よく眠れましたか?』。答えは『おかげさまで良く寝た。でも、まだ眠い』だった。私は静かに笑っているしかなかった。


製糸工場の機械。


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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