
心の伊達市民 第一号
かなり前に港区の一部を散策した「小さな旅」の話である。
東京BRTで終点の「虎ノ門ヒルズ」から歩いて数分のところに、「港区立みなと科学館」がある。ここは入場無料で、どちらかというと子供向けの施設である。
1階の入口近くに「ナウマンゾウ」の復元模型が置いてある。
説明書によると「ナウマンゾウは日本を代表する氷河時代のゾウで、およそ36万年前から生息していて、 およそ28万年前に衰滅した。化石を研究していたドイツ人の科学者の名前から、ナウマンと名付けられた」とある。
この時に入口でもらったパンフレットに、「プラネタリウム100周年×すばる望遠鏡25周年」記念全国一斉オンライン講演会の参加申込みがあったので、すぐに申し込んで別の日にまたここへ来たのである。
開催場所は2階のプラネタリウム内で、ハワイ島にある日本の国立天文台の大型光学赤外線望遠鏡からライブ中継だった。丸い天井に天体が映し出され、200億光年という想像を絶する遠い星の誕生の秘密を解説してくれたが、難し過ぎてなんだか分からなかった。通常は入場料が600円であるが、この日は無料だった。
「みなと科学館」を出て神谷町方面に進むと、右手に「麻布台ヒルズ」が見えて来る。
オープンしたばかりの時に来たことがあるので、今回は2度目である。
土曜日なのでかなり大勢の人が来ているが、観光目的の人ばかりのように見える。
外国人観光客も多いが、館内はあまり混んでいなかった。
ここは坂の途中に作られているので、エスカレーターが多く、どこへ行くのも分かり難い。人気食品のブランド店だけに、人が集まっていた。
「麻布台ヒルズ」の隣には、新興宗教の霊友会の立派な建物がある。
今までにも何回もこの前を通ったが、なぜか怖いような気がして中へ入ったことは無かった。私の前を歩いていた外国人カップルが、石段を上って行くのが見えた。
そこで私も彼らに続いて、石段を上った。上り切ると大きな重厚な扉があった。
しかしそこにはカップルは見当たらなかった。私は思い切って、扉を開けた。
そこにはものすごく広い霊場があり、静寂が支配していた。
写真撮影は禁止だし、誰もいないので外へ出た。
霊友会を出てさらに進むと少し上り坂になり、飯倉交差点に出る。
右に曲がればロシア大使館がある。私は左手前の道を入る。右側にはいまは工事中だが、秘密だらけの「フリーメイスン」の日本本部がある。左側には「日本聖公会聖オルバン教会」があるので中に入った。
ここはロシアのウクライナ侵攻により、それ以前はお茶の水にある「ニコライ堂」で一緒に礼拝していた信者たちが拒否したが、礼拝場所が無くなってしまった。
それを見かねた宗派は違うがオルバン教会が手を差し伸べて、ウクライナ正教会「聖ユダミッション」に決まった日だけ祈祷会のために教会を貸してあげているのである。
(おまけの話)【東京タワー】
聖オルバイン教会を出ると、すぐ近くの右手に東京タワーが見える。
最近は東京スカイツリーに人気が移っているようだが、私は東京タワーの方が好きだ。
少し行くと右側に「東京タワーと自分」を撮れる場所があり、お立ち台も用意されている。ここを通ると、どうしても自撮り写真を撮りたくなってしまう。
ところが最近は外国人観光客が増えたせいか、お立ち台のところに係員がいて撮影を手助けしているのには驚いた。
東京タワーは近過ぎて、なかなか全景を撮影できない。
でもどんな場所からでも、絵になるのである。
今回はコンパクトカメラだったので、頂上付近はあまりハッキリした写真にはならなかった。
ベトナムで見た「日本語の教科書」には東京タワーが登場している。
だから日本に来たベトナム人実習生たちは、必ず東京タワーへ行きたがる。
そこで私は今までに何度も、彼女たちを案内して東京タワーに上ったことがある。
ある時はイベントで歩いて外階段を上ったことがあるが、歩いても料金は支払わせられた。
東京タワーの裏手には、大型バスの駐車場がある。
ここに駐車したバスのフロントガラスには、東京タワーの全景が入る。
だから天気の良い日はここで写真を撮るのだが、運転手がいると撮影できない。
運転手のいないバスはあまり無いので、今回はチャンスだった。
駐車場を出て右に行くと、帰りの東急バスの停留所がある。
その途中の右側には料理屋「うかい」があるが、そこの入口近くに外国人観光客が大勢並んでいる場所がある。
なにごとかと思っていたが、以前にネットで調べたら、地下駐車場の出入口の階段に立ち、下から撮影すると人と東京タワーの「インスタ映え」する写真になるそうだ。
最近は世界中どこで「インスタ映え」が盛んで、一極集中が起きている。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
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