
心の伊達市民 第一号
マンションの友人が少し前に『晴海ふ頭公園の河津桜が咲いていた』と、写真付きでメールを送ってくれた。
そこで東京に降雪と予報が出ていたが、近いので我慢して出掛けて行った。
マンションの裏から朝潮小橋を渡り、東京湾方向へ歩いて行く。
突き当りに東京消防庁臨海消防署があり、そこの運河に沿って2~3本の河津桜が咲いているのが見えた。消防艇を背景に、河津桜の写真を撮った。
花が咲いていなければ、ここに河津桜があるのは気が付かなかった。
消防署の前を通り過ぎると、そこから「晴海ふ頭公園」になる。
駐車場に入る小道を右に曲がると、右手が友人の教えてくれた河津桜の咲いている場所になる。突き当りは海技教育機構の専用桟橋で、この日は帆船「日本丸」が停泊していた。
「桜と帆船」という構図はあまり無いと思うので、ここは動画を撮影することにした。
なかなか上手く撮れず、3回も行ったり来たりして撮影した。
少し前に木塲公園の横の大横川の河津桜を見に行ったが、その時はほとんど蕾で駄目だった。今回の晴海ふ頭公園の河津桜は、いまが丁度見頃のようだが、木が若いので華やかさには欠ける。メジロが2匹いたが、花の陰で撮影は出来なかった。
河津桜はソメイヨシノより色が濃く華やかだが、なんとなく情緒に欠けるように感じる。
私の動きに気が付いて、メジロが飛び去ってしまった。
その先の木の頂上にメジロとは違う鳥が止まっていた。静かに近づき、カメラのズームで撮影した。カメラのモニターを見たが、逆光で真っ黒でよく分からなかった。
家に帰ってからソフトで明るくし、Google Lensで調べたら「イソヒヨドリ」と出ていた。私は鳥に詳しくないので、それが正しいかどうかは分からない。
突き当りまで行き、帆船「日本丸」を撮影した。
この船はこの日の午後2時に出航予定となっている。
ネットで海技教育機構のサイトを調べると、所有船の出入港が分かるようになっている。
公園の中心の芝生広場を突っ切って行くと、子供の遊び場がある。
斜面に色を塗り、丸い大きなコンクリートのボールが止めてある。
それを河津桜を入れて、手前からパシャリ。
その先は以前に「晴海ふ頭客船ターミナル」があった場所である。
レインボーブリッジの下を大型クルーズ船が通過できないので、別の場所に「東京クルーズターミナル」を建設した為に、ここはお役御免となった。跡地には小規模の記念館のようなものを作っているようだ。
向かい側は元東京オリンピックの選手村だった建物が林立していて、現在は「HARUMI
FLAG」と名付けられて分譲している。ここでも河津桜を入れて、パシャリ。
HARUMI FLAGの中央では、タワーマンションが2棟、建設中である。
河津桜の写真を何枚も載せているが、実は晴海ふ頭公園に植えられている河津桜の木は全て若木で、その数も12~3本である。この数では10年経っても「河津桜の名所」になるのは難しいだろう。しかもソメイヨシノは1本も無い。
公園の端で豊洲市場が見える少し小高い場所に、名前は「桜」ではあるが「芝桜」が植えてあった。その先は海で、遠くにレインボーブリッジが見える。
中央区は豊かなので、アチコチに公園があり、それをみんな整備している。
(おまけの話)【東京ビッグサイト】
河津桜の見物を終えて、東京ビッグサイトへ行くことにした。
東京ビッグサイトで開催される見本市は、かなり前から事前登録制になっている。
その代わり一度登録すると、その後は色々な見本市の案内がメールで届く。
今回は一度に8つの見本市が開催されているので、どれかは面白いだろうと思い出掛けて行ったのである。晴海埠頭から東京ビッグサイトは、そう遠くはないが交通が不便である。
家まで戻れば東京BRTで行けるが、困ったことに雨用に買ったワークマンの靴が慣れていなくて靴づれが出来てしまった。仕方ないので「HARUMI FLAG」から逆方向の新橋に出て、そこからまた東京BRTで「国際展示場」に行った。
まずは近い会場に入ってみたら「SECURITY SHOW」で、数々の防犯カメラや防犯機器が展示してあった。そんな中に「みてるちゃん猫23」が面白かった。猫の見守りと温度計」が付いていて、外出先からスマホで見られる。
猫を飼っている私は、「我々の留守の間に、猫たちはなにをしているんだろう?」と思っていたからだ。
ブラブラと歩いていると、次々と資料の入った手提げ袋を渡されそうになるが全て断る。あまりに多くの企業が出品しているので、とても見切れない。靴づれの足も痛い。
隣の展示会に行こうとしたら、出口で「飲み物券」を渡された。
それは一番外れの東7ホールの「ビルメンCONNECT」だったが、せっかくだから行ってみた。
飲み物を引き換えてからブラブラしたラ、面白いものに出会った。
マンション等の古い排水管の再生である。私の住むマンションでも1年に1回は工事業者がやって来て、高圧ホースを利用して排水管の洗浄を行っている。
しかし古いマンションでは修繕積立金が無いので、なにもしていないところが多く水漏れが起きている。
そのブースではビデオで工事を解説していたので、椅子に座って見ることにした。
この会社は排水管の中に端から柔らかいプラスチックのチューブを差し込み、圧力をかけて奥まで送り込む。映像を見て「凄いなー」と思っていたら、終ったら立派な保冷バッグをプレゼントされた。あまりに立派な保冷バッグなので、思わず写真に撮った。
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
詳しくはこちらハッシュタグ
月別アーカイブ
「むしゃなび」はこちらの皆様に支援して頂いています
人気の記事

イベント
「観光・体験」カテゴリーのおすすめ記事
-
2025/02/20(木) 私の方が『KEY TO LIT』
ホテルマンの幸せ
0
-
心の伊達市民 第一号
0
2
-
心の伊達市民 第一号
0
2
観光・体験に関する
特集記事
-
-
ふらり旅人からのゲストハウス 自由人 小林圭子氏 〜想いと直感のままに『ポンコタン』
今回の主人公は洞爺湖の近くでゲストハウス『ポンコタン』を営む小林圭子さん。 旭川出身の47歳。 洞爺湖に移住する前は名古屋で商売をされていました。 「北海道には30代後半からバイクにテントを積み、 ふらりと旅しに来ていました。」 洞爺湖との出会いは、 2018年に「幸せのパン」の映画の舞台になったところを見てみたくて 青春18きっぷでふらりとやってきたのが初めてでした。 ところで圭子さん。 なんと言うか・・・。 「以前、どこかで会いましたっけ?」 そんな錯覚を起こさせる人です。 あの、バリアフリーな雰囲気は一体どこからくるのだろうか? 探ってみたくなりました。 旭川から札幌へ。 そしていきなりポン!と名古屋へ飛んだ圭子さんが始めたのは、 なんと”バナナ焼き屋“のお店でした。 店の名前は「パピリカ」。 それはアイヌ語で「豊作」という意味です。 バナナ焼き屋をやろうと思った理由は〜。 「小さい頃から食べていたソウルフードだったから」 ただそれだけの理由で、 古くからお菓子文化が発達している(駄菓子の製造所も多い)名古屋で店を出そうとは、 普通はなかなか考えつかない。 でもそれをひょいっと始めてしまうところが圭子さん流。 深くは悩まない。 やりたいからやる。 ただそれだけ。 そんなシンプルさが、度胸を超えた何かを感じます。 パピリカ時代のHPを見つけました。 熊が鮭ならぬバナナを咥えている姿が なんともユニークで忘れないロゴです。 何事もサラッと話す割には材料にはかなりこだわっています。 卵も牛乳も使用していないので(カスタード以外)、 卵アレルギーや牛乳アレルギーの子どもを持つ親御さんも よく買いに来てくれたそうです。 そして白餡はしっかりと手作り。 バナナ焼きと言えば旭川の名物お菓子。 この時お話を伺うまで知りませんでしたが、 旭川のバナナ焼きにもバナナそのものやバナナエッセンスなど、 バナナフレーバーは一切入っていないそうです。 バナナ焼きとは、形からだけ連想するネーミングのようです。 とても美味しそう〜! 食べたかった〜! パピリカはすぐに地元に溶け込み、 8年間営業を続けました。 その時の繋がりは今も続いていると言います。 人懐っこいと言う表現とも違う、 相手に壁を作らせない不思議な力を圭子さんは持っています。 「いろいろなところから転勤してきた人たちが多く住むところでした。 近所の方がよく買いに来てくださっていましたよ。 家賃を払いつつ、 女ひとりが食べるだけの分はなんとか稼げていました。」 「ところで、ポンコタンは小さな村という意味。 パピリカは豊作という意味ですよね? どちらもアイヌ語ですが、なにか特別な意味があるのですか?」 そんな筆者の質問に 圭子さんはまたもやあっさりと答えます。 「いや、なんとなくです。」 まただ…。 やはりこんな調子…笑 筆者はその言葉の背景を知りたい!と質問をしても、 決してはぐらかす訳ではなく、あくまでもサラッと答える。 想いが至極シンプルだからこそ、 きっとその時の直感のまま「なんとなくそうしよ」と 思った通りに動いてしまうのだろうと思います。 しかも、転機にはだいたい誰かが力を貸してくれる。 これはもう人徳です。 気負わず流れに任せるというのは、実は楽そうで楽ではない。 でも圭子さんは素直に誰かの力を借りながら、 とても自然にその技を使ってしまう。 「名古屋の友人がゲストハウスをしていたんです。 あらたに宮古島でゲストハウスを始めるにあたって、私も少し手伝いました。 その友人は度胸があるというかなんというか、 外国人が結構泊まりに来ていたのですが、英語は喋れないんです。 でもなんてことなくやっているのを見て、 私も妙な自信をつけてしまいました。 『そうか、英語ができなくても宿屋はできるんだ』 ってね。」 「その辺りから、ゲストハウスに興味を持つようになりました。 ちょうど、ふらりと洞爺湖へ足を運ぶ機会も増えていたこともあり、 洞爺湖の近くでゲストハウスをやることが ふわっとしたものから現実的になりました。 あ…その前にバナナ焼き屋を畳まないと。」 そう思った時、 店を丸ごと買いたいと申し出てくれた人が現れました。 それは元々はお客様だった友人で、古民家カフェを営んでいる方でした。 バナナ焼き屋営業終了2日後には洞爺湖に移住してしまうというスピーディーさ。 思ったらサラッと行動! その後、1年半をかけて建物をリフォームし、ポンコタンを開業されました。 「待っていてくれているような気がしていました。 洞爺湖はどっしりとしていて迎え入れてくれるような安心感がある湖だと感じています。 移住してすぐは、キャンプ生活をしながらあるホテルでバイトをしていました。 同時に物件探し。 そんな中、即決したのがこの建物でした。 借金も1000万円以上してしまいました。」 この建物は、昔、ある会社の社員寮だったところ。 なので、一部屋一部屋にトイレが付いていました。 さて、ゲストハウス「ポンコタン」は 内装・外装そのほとんどをDIYしています。 もともと建物に興味があったわけでもなかった圭子さんですが、 もの作り好きであったことが功を奏しました。 「必要に迫られた部分もありますが、 バナナ焼き屋時代に建物の内部構造にものすごく関心を持つようになりました。 そもそもは工事関係者への不満に端を発したのですが、 お陰で建築について色々知ることができました。 建物がどんなふうにできているのかを知るために、 分解しながら構造を理解していきました。 コンクリートにネジを入れるにはどうしたらよいか?とかね。」 冒頭に登場した仕切りに描かれた洞爺湖の絵は、名古屋時代の友人が描いてくれたもの。 「名古屋時代の友人たちは変人が多くて(笑) 尋ねてきては色々置いて行ってくれます。」 困ったふりをして、笑いながら話す圭子さんには、 遠くから支えてくれる友の存在に感じる安心感が表れていました。 圭子さんの仲間たちは、 「ポンコタン」のオーナーの とてつもなく自然体なおもしろキャラクターをよくご存知のようです。 「うちね。コンセプトなんてないのよね。」 圭子さん、突然、そうサラッと言った後でこう続けました。 「よく眠れました!って言ってもらえるのが一番嬉しいかな。 旅の途中で快適な時間をここで過ごしてくれたら、 それが一番嬉しい。 それとね。 今年の夏はすごく忙しかったのね。 借金あるからあと10年はやらないといけないけど、 とりあえず持続可能な宿を目指して働き方改革するわ(笑)」 「10年経ったら何するの?」 そんな問いに。 またもやサラッと 「わからないな」 と答える圭子さんでした。 帰り際 「また来て!」 と軽い調子で言われました。 「うん」 と答えてしまいました。 ポンコタンの魅力は この気安い感じなんだろうと思った筆者でした。 決して気負うことなく、 そのまんまの圭子さんが妙な安心感を与えてくれる取材の時間でした。 ゲストハウス ポンコタン 〒049-5721 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉97 080-6092-4967
Rietty
0
-
-
-
-
Shinji