タリズマン・マスター
後醍醐天皇と文観
1321年(元亨元)末、後宇多法皇の院政を廃し名実ともに朝廷のトップに立った後醍醐天皇は、1326年(嘉暦元)頃から数年間にわたって、天皇家の復権を目指し鎌倉幕府調伏の祈祷を行ったとされている…。
しかも、僧にさせるばかりではなく、自らも護摩を焚いて法を行った…。これは天皇としては異例の振る舞いで…。清浄光寺(遊行寺・神奈川県・藤沢市)に伝わる肖像画の後醍醐天皇は法服を着て、密教法具を手にしていますが、実際にもそのような姿で護摩の煙を浴びながら鎌倉幕府を呪う呪文を唱えたとみられる…。
それだけではなく、後醍醐天皇が行った法には、ゾウの頭部を持つ男女の神が抱き合う天尊・観喜天(ガネーシア)の法が含まれていた…。
その異様な形の通りに、歓喜天は陰陽和合を表すもので、祈れば成就しない事はない!と伝えられる密教の秘仏…。後醍醐天皇は天皇家の聖性を取り戻す事を祈っていたからこそ、原始の力を感じさせる歓喜天に惹かれたかも知れませんが、天皇が一心不乱に陰陽和合の歓喜天像に浴油供(香油で尊像を洗う修法)を行う様子は怖いくらいの妖気を漂わせていたでしょうね…。
鎌倉幕府調伏の祈祷をサポートした僧の中の中心人物として文観がいる…。彼が尋常でない密教僧だった事は、1335年(建武2)、高野山が後醍醐天皇に送った書状でも明らかでして…文観は「僧のくせに算術を学び、武勇を好み、占いを好み、いかがわしい呪術を習い、修験を立て、荼吉尼天を祀る者」とされる…。
密教僧が占いや数理を学ぶ事は普通なのですが、この文面から文観は正統派が行わない呪術を行っていた事がうかがわれます。更に、荼吉尼天とは人間の心臓が大好物という恐ろしい鬼類であって、密教絵画では天女あるいは狐として描かれている…。荼吉尼天の法を行う時には、人間の髑髏や狐の頭蓋骨を壇に置き、鳥獣の肉を捧げる…。また、タントラ密教では荼吉尼天を祀って性の秘儀を執り行う…。このように荼吉尼天信仰は性の宗教・真言立川流と共通する部分が多い…。
貧しい農民の家に生まれた文観は、僧として出世するには学問だけでなく、強力な呪術が必要である!と見抜いていた…。そして修行中に知り合った修験者たちは文観に普通の学僧は持ち得ない人的ネットワークを提供したという…。
そんな魔と闇の世界に通じた文観と結びついて、後醍醐天皇は倒幕の悲願を成就させたらしい…。ただ、その栄華はわずか3年ほどで終わり、ついには吉野(奈良県吉野町)に逃れる事になる…。
恐ろしい術者ですよね?後醍醐天皇と文観で今の状況変わらないですかね…?
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